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股切り雀と腕切り雀

舌切り雀に続く第2弾・第3弾は腕切り雀と股切り雀です。

まず股切り雀。一体いつからあったのか良く思い出せないのだけど(10年前にはあったと思うけど、20年前にあったかどうか。。。)、左の内股のかなり股間に近いところに、皮膚の表面がとびでたようなものが出来ていました。説明が難しいので写真を見てもらうのが一番早いのだけど、良性とはいえ腫瘍の写真なぞあまり見ていて気持ちのいいものとも思えないので、見たい人だけ見られるよう写真の画像にリンクを張っておきます。細かく複雑な襞のあるぶよぶよしたものが、細い茎のようなもので足本体と接続しています。
10年前はもっと小さかったような気がするのだけど、最近は何となく大きくなってきていて、挟まれて引っ張られたりすると痛いし、これからもどんどん大きくなったらと思うと、あまり気分は良くありません。
というわけで、切除してもらえないかと思って某大病院に行ってきました。

診断は、「軟性線維腫」。良性の腫瘍で、手術で簡単に切除できるとのこと。
早速一週間後に予約を入れました。

ついでといってはなんですが、腕きり雀もやることにしました。
こちらもまた、だいぶ以前の話になりますが、左上腕部(肘関節のちょっと上)の皮膚の内側が腫れている感覚がありました。
何となく大きな吹き出物のように脂肪がたまっているような感じだったのですが、押したりつまんだりしているうちに、だんだん固くなってきたんですよね。写真はこちら
病院でこちらも見てもらったら、おそらく「石灰化上皮腫」であろうとのこと。こちらも手術で切除できるとのことなので、股切り雀と一緒にやってもらうことにしました。

ということで今日、股切り雀と腕切り雀をやってきました。
最初に処置室で患部の写真を撮った後、手術室に。
股切り雀は股間に近く、パンツが邪魔だということで脱ぐ羽目に。腰にタオルを巻いて手術台に仰向けになりました。
最初は腕きり雀。こちらは表面の黒ずんで見えている部分よりもかなり大きなものが皮膚の下にあるため、少々時間がかかりました。一方、股切り雀は茎状の部分をぶった切るだけなのであっというまに終了。
最初の麻酔がちょっとチクッと痛いだけで、あとは滞りなく進行しました。

終了後、病理検査に出す切り取った腫瘍を見せてくれました。
腕切り雀はゴム手袋を借りて触らせてもらいました。奥の方の石灰化している部分は果物の種のように固いです。上の黒ずんだ部分が切り取った皮膚の表面。それに比べると腫瘍本体はずいぶん大きいことがわかります。
股切り雀はまあ、見慣れたものだったので、「ああちょんぎられちゃったかー」という感じ。
「これが今生の別れ」とか言ったら、医者は笑ってました。

舌切り雀のときのように麻酔が切れたあと痛まなければいいなあ。なんとなく大丈夫っぽいけど。


「リベラル」という言葉について(メモ)

ネット上でこんな記事を見かけました。【寄稿】同胞を見捨てる世界のエリート

この記事の後半では「エリート」とひとくくりにして、特にリベラルか否かは問題にしていませんが、前半はメルケルの移民・難民受け入れ政策に関する話が多くの分量を割いて書かれているので、ここではリベラルな理念がなぜ「保護されていない人々=厳しい生活を送り、このような(=大量の難民・移民受け入れのような)重荷に対処するだけの資源を持たず、特別に保護されることもなく、金もコネもない普通の人々」のことを見捨てるようになった(ように見える)のかについて、普段何となく思っていることをメモしてみます。

ずっと「リベラル」という言葉はわかりづらいなぁと思っていました。
「自由」というニュアンスの言葉なのに、どうして民主とか平等とか福祉とか弱者救済とかいったものを意味するのかな、と。

たとえば、hamachanブログの「リベラルとソーシャル」という記事にはこんなことが書かれています。

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

なんでアメリカでそんなことになったのか疑問でしたが、そのあたりはその後に読んだ「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門」で、一応は解消しました。いま本が手元にないので不正確だけど、要するに何者かから束縛されることなく自由に生きるためには、最低限の経済的なものが保証される必要があるから、それを実現しようとする理念がリベラルなのだと。

「自由」の内容について整理するとこんな感じでしょうか。
1.経済活動の自由(とそこから得られた果実を自由に我が物とすること)
 hamachanの意味でのリベラル(反意語はソーシャル)。井上達夫の意味でのリバタリアニズム。
2.(特定の価値観への)隷属からの自由
(1)封建的遺制からの自由
(2)差別(人種、性別、性的志向、疾病等)からの自由
(3)政治的圧政からの自由
 井上達夫的な意味でのリベラルはこれに近いのでしょうが、どちらかというとこれはウヨ・サヨという切り口の方が混乱がなさそう。

 で、「何者かから束縛されることなく自由に生きるためには、最低限の経済的なものが保証される必要がある」という考え方を上記の切り口で位置づけると、1.の意味ではソーシャル、2.の意味ではリベラル、ということになるでしょう。

 一方、リベサヨなるものがあります。戦前の粛軍演説の斎藤隆夫という人も、反戦で自由主義で、でも農民や労働者の困窮した生活の改善には冷淡、というのもこれに近いと思われますが、1.の意味でも2.の意味でもリベラルということになるのでしょう。ただ、2.の意味でリベラルというのは理念的というか思想的な意味においてであって、現実問題として隷属から解放されるためには経済面からの担保が必要であり、そのためには1.の意味ではある程度ソーシャルである必要があるのではないかという気がするのですが、そういうところには無頓着というか。

時間切れだ。


読書書き殴りメモ(昭和史の決定的瞬間、ノモンハン1939)

最近、hamachanブログで紹介されていた坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」という本に興味を持って読んでみました。
斎藤隆夫という、戦前の粛軍演説で知られる(らしい)人のことを、この本で初めて知ったけれども、それにしても反戦平和を唱える人が「社会生活の安定」の問題に冷淡であることが多いのはなぜなんだろう。

奇妙に聞こえるかも知れないが、昭和12年7月の日中戦争直前の日本では、軍ファシズムも自由主義も社会民主主義も、すべて数年前とはくらべようもなく、力を増していた。政治が活性化していたのである。問題は、これらの三勢力が単純な三角関係を作ってくれないことにあった。なかでも「自由主義」と「社会民主主義」の関係が、相当にねじれたものであった。一般に「平和と民主主義」と言うときには、この二つの勢力は一括して「民主主義」の方に入るわけであるが、昭和11・12年の日本では「自由主義」は古典的な資本主義にべったりで、社会改良的な政策には驚くほど冷淡であった。

「リベラル」という言葉の多義性を精査することで何かが見えてくるんじゃないかと思って書き殴ったままのものが下書きとして放置されています。そのうち蔵出しするつもり。

一方で、軍ファシズムはどうだったのか。もちろんこの本にもいろいろ書かれていますが、後書きに、

筆者の一つの心残りは、参謀本部が対ソ戦準備に専念していたことは明らかにできたが、「日中戦争」の方は、東条英機率いる関東軍の動向を、十分に明らかにできなかったことである。

とあります。確かにそんな印象ではありました。

そこで何か良い本ないかなと思ってあれこれ探して見つかったのがゴールドマン「ノモンハン1939 第二次世界大戦の知られざる始点」。なんで中国でなくソ連なのかと言われるかもしれないけど、これはグローバルな構図の中で個別のイベントがどのような意味を持っていたのかを明らかにしてくれるグレートな本です。

「一度に二つ以上の敵を相手にする」という望ましくない状況に、自国ははまらないように、敵国をはめるように

というのを基本的な戦略として考えると、ソ連は実にうまくこの状況を回避し、日本やドイツはこの状況にはまってしまって敗北してしまったという構図が見えてきます。
なぜ日本がこの状況を回避できなかったかといえば、世界全体を見渡して各地での自国の行動を的確にコーディネートしなくてはならないのに、軍については中央による現場のガバナンスが全然効いていなかったから、ということでしょう。
一方、ソ連は政治による軍の統制がしっかり効いていたわけですが(こういうのをシビリアンコントロールというんだろうか)、それを可能にしたのが陰惨な粛清だったというのがなんともはや。まあ運もあったんだろうけど。

あと、戦争が敗北に終わった後、現場で奮闘した者は自決して責任を取るよう強要され、作戦を立案実行したミドルマネジメントは別な場所に行ってまた問題を起こし、トップマネジメントは黙認放置するという構図もなかなかしびれるものがあります。

ということで、単なる書き殴りは尻切れトンボで終わる。

 


昔のブログの画像データのリンク修復中

野付半島
このブログ、2012年2月にJugemから引っ越してきたんですが、その際、画像ファイルはJugemに置いたままでした。
記事の中の画像へのリンクを書き換えるのが面倒だったので。

最近、昔の記事を見たら、画像が表示されなくなっています。
どうしたのかなと思ってJugemを見に行ったら、画像置き場のURLが変わってました。

というわけで、いい機会だと思って、遅ればせながら画像自体の引っ越しを敢行しました。
URLの書き換えもVelvet Blues Update URLsというプラグインで一括して行えました。便利便利。

が。2005年8月8日以前の記事は、画像の管理の仕方が異なるため、上記の方法ではうまくいかず、90個近くのURLを手作業で書き換える必要があります。
めんどくさいなぁ。まあ近日中にやるけど。
今日はこれでおしまい。
【9/26追記】2005年8月8日以前の記事についてもURLを書き換え作業が完了し、画像が正しく表示されるようになりました。あー疲れた。

トップの写真はブログ第一号の記事に貼っていたもの。
冬の野付半島です。左右に海が見えます。


わたしの二十世紀(PIZZICATO ONE)

最近、小西康陽のソロ・プロジェクトPIZZICATO ONEの新作「わたしの二十世紀」を聞いています。

ミュージック・マガジンの小西康陽のインタビューを見たら、

自分の中では“いわゆるシンガーソングライターのレコード”だと思っているんですよ。

と書いてありました。
たしかにそんな感じです。

とある本で、キャロル・キングの「つづれおり」での、60年代に職業作家として他のシンガーに提供した曲の自作自演について、「あれは自分自身のことだったんだね、と思った」といった意味のことが書かれているのを読んだことがあります。
文字通り「自分自身のこと」というより、自分の中から出てきたもの、あるいは自分に降りてきたものという意味でなら、きっと「わたしの二十世紀」も同じような作品なのでしょう。キャロル・キングが自分の歌でやったことを、小西康陽は他人の歌でやったという違いがあるだけというか(本人も一曲歌ってるけど)。実際、上記のインタビューでもキャロル・キングが演ったナチュラル・ウーマンみたいなのが好きだと言っていますし。

一方でディスクレビューを見ると、

聴いている間に残像として浮かび上がってくるのは、歌詞に込められたメランコリアだ。それも、あきらかに死の匂いが感じられ・・・

とあります。これもたしかにそういう印象はあります。
一方で、インタビューでは

過去の曲ばかりなのでソングライティングは1ミリもしていない。もっというと、今はこんなに書ける自信がないですね。

と言っていて、インタビュアーから理由を尋ねられると、

歳を取ったからだと思います。あと、若いときに比べて幸せになっちゃったからかもしれないですね(笑)。

と答えています。

うーん。その、今の幸せを歌にしてくれないかな・・・。

いや、単なる幸せな歌というよりは、勝手に時が過去の悩みを解決して、棚ぼたのように幸せがもたらされたことというか、大切だと思い込んでいたことがなんだか無かったことにされてしまったような感じというか。
「死」についても、愛と表裏一体の美しい死とかじゃなくて、親を看取ったり(ベン・ワットの父親の散骨の歌とか)、近い世代の死にみっともなく(というと偽悪的かもしれないけど、少なくとも人に憧れを催させるような美しさはないと思う)不安を感じたりするようなやつ。

まぁ、自分に降りてきたものを表現するのってたぶん本人の自由になるもんでもない気がするし、そもそもそんなことは人にお願いする筋合いのものではないですよね。
だから私は私でこんな歌を作ってるわけです。ただ、周囲に人影がまばらな感じがして淋しいだけなんだと思います。