カテゴリー別アーカイブ: お知らせ

昔のブログの画像データのリンク修復中

野付半島
このブログ、2012年2月にJugemから引っ越してきたんですが、その際、画像ファイルはJugemに置いたままでした。
記事の中の画像へのリンクを書き換えるのが面倒だったので。

最近、昔の記事を見たら、画像が表示されなくなっています。
どうしたのかなと思ってJugemを見に行ったら、画像置き場のURLが変わってました。

というわけで、いい機会だと思って、遅ればせながら画像自体の引っ越しを敢行しました。
URLの書き換えもVelvet Blues Update URLsというプラグインで一括して行えました。便利便利。

が。2005年8月8日以前の記事は、画像の管理の仕方が異なるため、上記の方法ではうまくいかず、90個近くのURLを手作業で書き換える必要があります。
めんどくさいなぁ。まあ近日中にやるけど。
今日はこれでおしまい。
【9/26追記】2005年8月8日以前の記事についてもURLを書き換え作業が完了し、画像が正しく表示されるようになりました。あー疲れた。

トップの写真はブログ第一号の記事に貼っていたもの。
冬の野付半島です。左右に海が見えます。


わたしの二十世紀(PIZZICATO ONE)

最近、小西康陽のソロ・プロジェクトPIZZICATO ONEの新作「わたしの二十世紀」を聞いています。

ミュージック・マガジンの小西康陽のインタビューを見たら、

自分の中では“いわゆるシンガーソングライターのレコード”だと思っているんですよ。

と書いてありました。
たしかにそんな感じです。

とある本で、キャロル・キングの「つづれおり」での、60年代に職業作家として他のシンガーに提供した曲の自作自演について、「あれは自分自身のことだったんだね、と思った」といった意味のことが書かれているのを読んだことがあります。
文字通り「自分自身のこと」というより、自分の中から出てきたもの、あるいは自分に降りてきたものという意味でなら、きっと「わたしの二十世紀」も同じような作品なのでしょう。キャロル・キングが自分の歌でやったことを、小西康陽は他人の歌でやったという違いがあるだけというか(本人も一曲歌ってるけど)。実際、上記のインタビューでもキャロル・キングが演ったナチュラル・ウーマンみたいなのが好きだと言っていますし。

一方でディスクレビューを見ると、

聴いている間に残像として浮かび上がってくるのは、歌詞に込められたメランコリアだ。それも、あきらかに死の匂いが感じられ・・・

とあります。これもたしかにそういう印象はあります。
一方で、インタビューでは

過去の曲ばかりなのでソングライティングは1ミリもしていない。もっというと、今はこんなに書ける自信がないですね。

と言っていて、インタビュアーから理由を尋ねられると、

歳を取ったからだと思います。あと、若いときに比べて幸せになっちゃったからかもしれないですね(笑)。

と答えています。

うーん。その、今の幸せを歌にしてくれないかな・・・。

いや、単なる幸せな歌というよりは、勝手に時が過去の悩みを解決して、棚ぼたのように幸せがもたらされたことというか、大切だと思い込んでいたことがなんだか無かったことにされてしまったような感じというか。
「死」についても、愛と表裏一体の美しい死とかじゃなくて、親を看取ったり(ベン・ワットの父親の散骨の歌とか)、近い世代の死にみっともなく(というと偽悪的かもしれないけど、少なくとも人に憧れを催させるような美しさはないと思う)不安を感じたりするようなやつ。

まぁ、自分に降りてきたものを表現するのってたぶん本人の自由になるもんでもない気がするし、そもそもそんなことは人にお願いする筋合いのものではないですよね。
だから私は私でこんな歌を作ってるわけです。ただ、周囲に人影がまばらな感じがして淋しいだけなんだと思います。


3年半ぶりの2nd mini album「青空のかたち」7/26発売!(SoundCloudで期間限定全曲配信)

今日の空模様、どんなかたち?
〜暮らしの音楽家・heliの視点で切り取る日常、ときどき非日常。


全曲オリジナル。歌詞カード付き。¥1,000(税込)
発売日7/26までの期間限定でSoundCloudにて無料配信しています(上に貼りつけてあるやつです)。是非聞いて下さい。
聞いた方は(聞いていない方も)、CDの予約をお忘れなく。Amazon.co.jpで予約受付中です。
同時にiTunes Storeで配信予定です。

すでに案内してますが、7/26のレコ発ライブ(というかライブに合わせて発売日を決めた)もよろしくお願いします。
ここのブログの案内ページ
Facebookページ

アルバムのことは、何回かに分けてぽつぽつと書いていくつもり。こちらもお楽しみに。


【ライブ告知】惑星のかぞえかた、heli@渋谷North Marine Drive【7/26(日)18:00-】

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「暮らしの音楽」と途中から銘打って不定期に行っている企画ライブも今回で6回目となりました。
今回は惑星のかぞえかたの石坂智子さんをお招きします。
■日時 7月26日(日)18時~
■場所 North Marine Drive@渋谷
■出演 heli(唄、ギター、ピアノ)、惑星のかぞえかた(石坂智子ソロ)(唄、ギター)

惑星のかぞえかたは、去年の11月に池の上ボブテイルでおこなれたyojikとwanda企画のライブ「夜の配役」で初めて見ました。
ライブ全体としてもとても素晴らしかったけど、初めて耳にする惑星のかぞえかたの音楽に即座に魅了されてしまいました。
ぜひ一緒にライブをやりたいと直ちに思ったのですが、よく考えるとこれまで「暮らしの音楽」に出てもらったことがあるのは、この企画ライブを始めたときに程度の差はあれ一応面識のあった人ばかりなんですよね。
ということで、もう何回か見てからオファーしようと思い、ねむたい目レコード企画の高円寺レブンでのライブとか(6/23にもライブあるとのこと。行くぞ−)、美肌室ソラでの唄と朗読のイベントとか、荻窪ルミネの屋上とか、いろいろ見ました。なんかみんな昼だな。夜はボブテイル以外は七針に一度行ったか。

惑星のかぞえかたの音楽って、昼がよく似合うと思う(夜が似合わないという意味ではない)。

今回のライブは昼ではないけれど、7月の18時ならまだそれなりに明るいんじゃないかな。
というわけで、多くの方のお越しをお待ちしています!

あ。一つ書き忘れていたけれど、7/26にミニアルバム「青空のかたち」を出すべく、現在鋭意作業中です。
前作「いつか住んでいた家」から3年半でたった5曲かよ!という気もしますが、こちらもぜひぜひよろしくお願いします。


「Jazz The New Chapter ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」

現代音楽とは何か、誰に聞いても明確な答えは返ってこない。答えはあるのだが十人十色で結局何が何だかわからなくなる。現代音楽とは20世紀に作曲された音楽のことである。ではロックも演歌も現代音楽か、ということになってしまうので、クラシックに限ると註をつける。しかしクラシックとは何なのかという大問題にひっかかってしまう。
(長岡鉄男編集長の本―ヴィジュアル・オーディオ・パワー)

先週末、近所の本屋の音楽雑誌のコーナーを眺めていたら、「Jazz The New Chapter 2」というムック本が平積みされていました。へえ、と思って手に取ってみたら、その下にあるのは別の雑誌。だれかが元の場所に戻すのが面倒で適当に置いていったようです。
それはともかくとして、「Jazz The New Chapter 2」をちらちらと眺めてみましたが、いつまでもマイルスやらコルトレーンやらエヴァンスやらじゃないだろう、長年メディアが取り上げなかった現在形のジャズに光を当てるのだ、という趣旨の本らしい。載っているアーティストも聞いたことない人ばかり。
そういうことなら、まずChapter 1から読んでやれと思いましたが、その本屋には置いてなかったので、家に帰ってアマゾンに注文。サブタイトルに名前を記されたロバート・グラスパーという人についても知らなかったので、Black RadioというCDも併せて注文しました。Chapter 2を買う時はその本屋で買うから許してくれー。
で、一昨日届いたので、まずはBlack Radioを聞いてみました。うん、なかなかいいんじゃないかな。いいんだけど・・・でもこれってジャズ? たぶん予備知識ゼロの状態でこの音楽のジャンルは何かと問われたら、R&Bなどと答えるんじゃないかな。頭に「ジャズっぽい」という形容の言葉は付くかもしれないけど。
となると、これを「Jazz The New Chapter」と呼ぶ時の「Jazz」って何という話になりますよね。もちろんそういうことはこの本では先刻承知で、いろいろな人がいろいろなことを書いてます。例えばスタイルの継承ではなく姿勢や精神や文化の継承が重要なのだと書いている人もいます。そういう考え方に全く不同意、というわけではないのだけど、多様な姿勢や精神や文化を持って音楽をやっている数多の音楽家の誰が「Jazz」の継承者で誰がそうでないかを、好き嫌いのような恣意性で裁断してしまう可能性があるんじゃないかな、という気もしました。
何となく思ったのは、バークリー的な教育機関と教材によって育成された人がマジョリティとなって支えているのが現代のジャズ世界なんじゃないかということ。もちろん、そういうふうに育成された人でジャズをやらない人もいるし、そういう教育を受けていなくてジャズをやっている人もいるわけだから、厳密な定義にはなり得ないんだけど。
で、冒頭の長岡鉄男の話に戻ると、現代音楽って何か、クラシックって何かという話と共通するものがあると思ったんですよ。芸大や国立音大のような教育機関によって育成された人がマジョリティとなって支えていることが、現代音楽を含むクラシックというジャンルを特徴づけていると考えると、わりとすっきり整理できるんじゃないか。

・・・とここまで考えた時に、さて「Jazz」に「New Chapter」を開かねばならぬという問題意識は自分に取って切実かというと、自分はその村の住人じゃないよなーという気が・・・。
ただ、Jazzジャーナリズムが「New Chapter」を開かなかったが故に、この本で紹介されているような音楽が長らく紹介されてこなかったのであれば残念なことだと思うし、この本が「New Chapter」を開くことに大きな意義はあると思いました。

というわけで、なんか面倒な話になったけど、単純に未知の音楽家の未知の音楽を少しずつ楽しんでます。