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札幌周辺旅行記(その1)

先週末から3泊4日で札幌に行ってきました。
メインの目的は10/20に閉店する福来軒本店に行くことですが、それだけだったら、もう少し旅行料金が安くなる9月〜10月にしたでしょう。

もう一つの目的はサマー(スキー)ジャンプを見に行くこと。札幌の大会は8月第1週に開催されるので、これで旅行時期がピンポイントに決まってしまいます。

今回は8/6(日)の大倉山チャレンジカップ2017サマージャンプ大会というのを見に行ったんですが、女子は上位選手が海外遠征にちょうど出発してしまって不参加(前日の札幌市長杯には出場していたようなんですが。。。)だったのがちょっと残念。一方、男子は葛西、竹内、伊東がそろって出場。みんな良いジャンプをしてくれて、なかなか見応えがありました。
何より、夏の青空の下で見るジャンプ台は最高! 札幌の空気は東京よりも圧倒的に涼しく乾いてはいますが、さすがに真夏の炎天下は日差しが強烈で、めちゃ日焼けしたっぽい。

■ジャンプ台のでかさはどうやっても写真では伝わらないので、ぜひ足を運んで体感してほしいところ。初めて見る人の多くは唖然とします。

■着地面の真横のかぶりつきのところまで観客席があるジャンプ台は世界的にも稀なのでは? 選手が身体をほぼ水平になるまで前傾しながら時速90キロで空をぶっとんでいくのを目の前で見るのは、なかなか強烈な体験です。というか着地面の急な角度がそもそもあり得ません。写真を撮った場所から下を見下ろすと、こんなところに向かって飛び降りていくのかと愕然とします。

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綱島の桃

先日買った初めてのスマホiPhoneでwordpressに初投稿してみる。

昨日は予約していた桃を取りに行ってきました。

以前に紹介した綱島のピーチゴルフセンターは最近廃業したようですが、もともとの本業(?)の桃園は続けていくようです。

ただ、日月桃は今年も不作で販売されず。残念。

というわけで、今年は初めて白鳳を買ってみました。

事前に予約を取り、樹上で完熟させて、収穫したその日に渡すという販売方式。

そんな桃は、まずもって濃厚な甘い香りがすごい。

味も市販のものではなかなか味わえない、濃くて甘いもの。

ごちそうさまでした。

来年こそは日月桃を食べたいものです。

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舌切り雀

去年の秋、歯医者の定期通院に行ったところ、舌にポリープのようなものが出来ていると指摘されました。
たぶん大丈夫だとは思うけど、口腔外科の先生を紹介するから念のため見てもらってください、とのこと。
なんとなく不安を感じつつ紹介された病院に行ってきました。家から電車を乗り継いで50分くらい。
診察の見立ては
・乳頭腫というもので、白くて柔らかいのでまず間違いなく良性と思われるが、念のため切除した方が良い。
・切除手術の所要時間は30分くらい
・切った場所を縫うので、抜糸するまでの一週間くらいは喋りづらくなる
とのこと。
一週間も喋らなくて良いタイミングをいつ確保できるかわからないので、その日は一旦保留にして帰宅しました。

それはともかく。

舌を縫う?

というわけで、早速ぐぐってみたところ、たとえばこんな記事が見つかりました。
舌を縫った写真もあるよ。げええええええ。めっちゃ痛そうというか、見ているだけでなんだかざわざわしてくるんですけど。

というわけで半年近く放置していたのだけど、そろそろ今のうちにやっておかないと、また仕事が忙しくなってきたら時間が取れなくなると思って、3週間くらい前の土曜日の午後に手術しました。

最初は麻酔。まず薬を塗ってしびれさせて、そのあと注射という二段階方式だったと思うけど、特に問題なし。
その後はいよいよ切除。いわゆる電気メスというやつなんでしょうか、切りながら高周波で焼いて止血するということで、経験者の記録の中には牛タンが焼ける香ばしい匂いがするという話もあって、「牛タンならぬ人タン。森下人タン。なんちて」などとくだらない面白ネタにできるかと思って楽しみにしていたのだけど、思ったほどそういう匂いもせず、ちょっと期待はずれ。
しかも、そろそろ完了という頃になって、やや麻酔が切れてきたのか、結構舌の奥の方の部位だったこともあって、急に嚥下反射が。おかげで、さいごの一針がはずれてしまったようです(というより粘膜が裂けたということらしい。ぎょええええ)。まあそれでもなんとか終了。

終了後は、痛み止め、腫れ止め、化膿止めの処方箋をもらいました。
が。自宅の近所の調剤薬局をいくつか回ったのだけど、土曜日の午後ということで営業してないところばかり。そうこうしているうちに麻酔が切れてじわじわじわじわと痛みが。
焦りと痛みが募る中、ようやく一軒、空いている調剤薬局を見つけ、もらった薬を直ちに服用。
その日の夕方以降の状態は、痛みは眠れないほどではなく我慢できるレベルではあるけれども、痛いことは痛い。あと、化膿しているわけではないのだろうけど、やはり腫れて熱を持っている感じで、どうにも辛い感じ。
というわけで、その日の夜に予約していた惑星のかぞえかたのライブは泣く泣くドタキャンし、家でひたすら床に伏せっていました。

その後、抜糸までの一週間の状態はというと、喋るのは思ったほど問題なかったんですが、問題だったのは飲み食いですね。最初の二日くらいはさすがに固いものを食べるわけにはいかず、レトルトのおかゆとか野菜ジュースとかでしのいでいましたが、それでも呑み込むときには舌を全く動かさないわけにはいかず、そのたびにかなり痛みがあり、相当不自由な思いをしました。それでも日一日と状態はめざましく良くなり、水曜日にはカレーライスが食えるようになり、その後も舌の動きが糸で制約されている違和感はあるものの、特に固いものでなければ普通に食べることはできていました。

で、土曜日にはめでたく抜糸。次の土曜日にもう一回確認しておしまい。

やれやれ。

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とうとうスマホに移行

8年前にポメラを買いました。
結局ポメラにした経緯はこちらをどうぞ。ブログって便利。
で、ここには明示的には書いていないんですが、「現実逃避でメールとかウェブとかSNSとかをついつい見てしまうということがないため、原稿作成に集中でき生産性が高い」というときに意識したのは、iPhoneでした。
つまり、あのときはポメラとiPhoneという選択肢に直面し、結局ポメラを選んだということだったんですよね。
以来8年間、iPhoneを始めスマホとは縁が無い人生でした。
良かったのか悪かったのか、両方あると思うけど、一つだけ確かなのは、あのポメラで「いつか住んでいた家」の10曲分の歌詞を書いたということ。あれがiPhoneだったらどうだっただろう。。。

それはともかく、この平和な日々に終止符を打つことになったのが、ガラケー(らくらくホン)の不調です。
長年使い続けてきて、壊れたら新しいのに換える(ほとんどお金は払ってないので「買い替える」という感じではない)ということを繰り返してきて、何の不満もなかったんですが、1年ちょっと前から使い始めたやつが、どうにもいただけない代物。最初からなんとなく調子が悪いところがあったんですが、それがじわじわと病魔に冒されるように悪化し、最近ではまともに使える時間が1割あるかないか(それでもまともに動くときが1割あるというのが実に感じ悪い)で、ほとんど用をなさないというか、電話料金をどぶに捨てているも同然の状態になってしまいました。
機器のことを意識することなく心の平和を維持するためにわざわざガラケー(それもらくらくホン)を使っているというのに、これでは全く意味がありません。

というわけで、とうとうガラケーに見切りをつけ、スマホ使いになることになりました。
8年前のことがちらっと脳裏をかすめましたが、今ではポメラもMacBook Airになり、すっかり気が散る環境になってしまったので(おかげでブログ書いたりすることもできるわけですが)、もういいっか、という気分。
善は急げということで、昨日仕事帰りにアポストアに立ち寄りiPhone7を購入。
家で電源を入れてあれこれ設定しようとしたけど、 ちょっと進めたところでSIMがないと怒られる。もうちょっと何かやれるかと思ったんだけどな。
本日の気づき:「スマートホン SIMがなければ ただの板」
というわけで、アマゾンで調達したみおふぉんの手続き開始。本人確認とかがあるため、SIMが届くのは一週間後の見込み。

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戦争末期の「台風の目」

先日、弥生美術館生誕100年 長沢節展というのを見に行ったら、解説にこんなことが書いてありました。

戦前から池袋の近くにアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)なるものがあり、アーティストが多数暮らし芸術活動にいそしんでいたらしいのですが(ウィキペディアを調べてみたけど、池袋モンパルナスなどと呼ばれていたようですね)、戦争末期に空襲警報が発令されても長沢節(や周囲のアーティスト)は防空壕に入らずダンスパーティーに打ち興じていたとのこと。

そういえば、最近読んだ鮎川信夫の「凌霜の人」というエッセイには、こんなことが書いてありました。

私は傷痍軍人の特権で毎日ぶらぶらしながら、暇を持てあますと、釣り竿をかついでアマゴやウグイを釣りに川に出かけていた。今から思うと、このときが生涯で最ものんきな時期だったような気がする。

これも戦争末期。ただし場所は疎開先の岐阜県の山奥ですが。

ついでに長岡鉄男の「落ちこぼれの音楽」というエッセイ。大学受験にことごとく失敗した後のことがこんなふうに書かれています。

ぶらぶらしているわけにもいかないので、超三流の特殊学校に入ったら、これが学校とは名ばかり、実は東大航空研究所の少年実験工(実験器具の準備、測定、計算などの手伝い)を集めるための餌だった。特に昭和十九年。幸か不幸か、戦争の真っ只中で、一般人よりはずっと情報が入る環境にあって、傍観者の立場で、プラスチックのパイプの空気を抜くとどこから凹み始めるか、なんていう浮き世離れした、いい加減な実験をのんびりやっていたわけで、落ちこぼれの極致というか、極意というか、今考えてもお伽噺かSFの世界のような不思議な生活だった。あるいは台風の目の中にいたのかもしれない。

そういえば、村上春樹の「遠い太鼓」にも、ドイツの強制収容所が楽しかったと述懐するイタリア人のじいさんが出てきたな。

もちろん、戦争末期がのどかな時代だったなどと言いたいわけではありません。
この台風の目のような世界は、戦争末期という時代にあっては稀なケースだったのかもしれないし、そもそも地獄と隣り合わせではあります。
アトリエ村に爆弾が命中したら、防空壕に逃げていない長沢節ほかダンスパーティに打ち興じていた人はひとたまりもなかっただろうし、鮎川信夫は病院船の乗り継ぎが一つでもうまくいかなかったら東南アジアのどこかで骨を埋めることになっていたかもしれないし、長岡鉄男の穏田(現在の原宿の近くらしい)の借り家は空襲で灰になったとのことだし。

ただ、(どんな時代でもそうだけど)戦前・戦中の具体的な話をいろいろ読んでいくと、なんだか一つの見方というか文脈というか世界観にうまくおさまらない多様性・むらのようなものがいろいろ出てきて、面白いというか困惑するというか。

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