がんにかかって何もしないで死ぬということ

あまり話題にしたことのない分野ですが・・・。

父親を肺がんでなくし、母親もがんの経験があるということで(いまは元気)、自分が将来がんを患う可能性は小さくないと考えています。
というわけで、がんについては人並みに関心があります。

ちょうど父親が肺がんになった頃、情報収集のためにあれこれ本を買って読んだりしたのですが、そのときに出会ったのが「がんもどき」で有名になった近藤誠氏の本でした。

治療法を選択する際には、それぞれの選択肢の治療効果を評価しなければなりませんが、そのような評価はつきつめたところでは難しい医学の世界の話なので、素人が自信を持って判断するのは難しいものがあります。
そのあたりを括弧に入れると、近藤氏が言っていることの多くはかなり説得力のあるように思われ、いろいろ考えさせられました。

たとえば、抗がん剤でも手術でも放射線治療でもいいですが、ある治療を行った場合と何も治療しない場合で結果が(あまり)変わらないのなら(たとえば5年後に生きている確率が同じとか)、その治療は効果が(あまり)ないわけですよね。もちろん、がんが縮小して苦痛が減るとかいう可能性もあるけど、一方で治療の副作用は多かれ少なかれほぼ間違いなく出るわけで、コストも含めて考えると結果として何もしない方がベターということになるケースも多いのでは、というのが近藤氏の言っていることの一つだと理解しています。

たとえば、治療してもしなくてもケースで5年後に生きている確率が20%だとします。
で、治療しないという選択をした場合、生きている確率は20%です(当たり前ですね)。言い換えると、死ぬ確率は80%です(当たり前ですね)。

なんでこんなことを書いているかというと、アマゾンの近藤氏の本のレビューで「(肉親とか知人とか患者とかが)近藤氏の本を読んで何もしない(たとえば手術をしない)という選択をしたら、その後、がんが進行して亡くなった」といった趣旨のことが書かれているのを読んだからです。星の数は少なかったので、ネガティブな意味合いを込めたレビューなのでしょうし、「何もしないままむざむざと死んでいくなんて」という心情は理解できる面もあります。

ただ、それは当然ありうる事態なんですよね。近藤氏が「患者よ、がんと闘うな」と言っているのは、意味のない闘いはやめましょうということですが、闘うのをやめたら勝つ(治る)可能性が高まるわけではありません。
近藤氏のような考え方に立つということは、(緩和ケア的なものは別として)治療はせずに死ぬ可能性を受け入れる、ということになるんだろうな、と思います。

なにもしないという選択をするのは、現実にはなかなか難しい面があるとは思います。
ひとつは、上に述べたように、なにもしない場合と治療を行った場合との効果が(あまり)変わらないということに確信を持てるほどの知識も情報もない状態で決断をしなければならないという、自分自信の心の持ち方、覚悟の決め方の問題。
あと医者との関係の問題もあります。なにもしないという選択肢をポジティブにとらえ、親身に相談に乗ってくれる医者ってどのくらいいるんでしょうか(いや今は時代が変わってそういう医者もたくさんいるのかもしれないけど)。がんが進行した段階で痛みが出たりすることもあるだろうし、死ぬ間際になったらあれやこれやで医者の世話になる必要がいろいろ出てくる可能性は高いと思うので、「何もしない=医者いらず」ということではないんですが・・・。まぁそのあたりは緩和ケアの領域で考えればいいのか。

というわけで、がんと闘わないことは、自分自身や他のいろいろなものと闘うことになるのだという気がしています。


2 thoughts on “がんにかかって何もしないで死ぬということ

  1. あのまりあ

    難しいのが「治療/非治療のそれぞれのケースでの5年後に生きてる確率を、誰も算出しえない」ことでしょうね。
    それが第三者的に計算出来るモノなら、治療しない、って言う選択をするヒトは急増するに違いありません。

    しかし、実際は「やってみなきゃわかんない」ワケで、そうなると、人間、どうしても「効果があるンじゃないか」、あまつさえ「奇跡的に治っちゃうンじゃないか」とまで期待しちゃうンですよね。

    どちらを選ぶか、って言うより、「確率が分からない」コトの方が遥かに難題なような気がします。

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    1. heli 投稿作成者

      >あのさん
      薬や治療法が公に認可されたり健康保険の適用を受けるためには、効果があることを示す必要がありますよね。
      で、効果の証明は治験を行って統計的に示すことによって行われるので、その薬や治療法を使った場合とそうでない場合を一定期間追跡比較したデータはたくさんあるようです。さらに、異なる治療法や薬を相互に比較するばかりでなく、いわゆる「プラセボ群」とか「無治療群」とかと比較したデータもかなりあるようです(人体実験なので常に望ましいデータが得られるわけではなく、データの信頼度に基づいて根拠の強弱も変わってきますが)。

      問題はデータがないことではなくて、データがたくさんあるけれど、それらの多くは医学雑誌に載っている専門的論文なので、素人はそもそも情報にアクセスすることが困難だし、アクセスできても理解し評価するのはもっと困難、ということではないかと思います。

      で、日本で行われている治療がそのような根拠に基づいたものであればよいんですが、その根拠がいろいろ疑問視されているとか、効果が同じような複数の選択肢があるはずなのに現場では実際には患者に示されないとか(特に無治療という選択肢は示されないような気がします)、いろいろ問題があるらしいの、というのが私の理解です。

      統計の結果と、じゃあ自分の場合はどうなのかは別である、というのはそのとおりです。
      「やってみなきゃわかんない」というのもそのとおりだし、何もしないよりは何か効果がありそうなことをやってみたいという気持ちも理解できます。
      が、「この薬を使っても使わなくても5年生存率は同じという統計結果が出てるんですがどうしますか」と問われたら、「それじゃやらない」という人も少なからずいるんじゃないでしょうか。

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