独創性とオリジナル/カバー

「マダムとの喧嘩は何のため?(Pra Que Discutir Com Madame?)」という曲があります。といって、私はこの曲のことはそんなに知らないし自分でも弾き語りできないのだけど(難しそうだ・・・)、以前に見に行ったジョアン・ジルベルトの来日公演で一番印象に残っている曲のひとつです。すごくかっこよかったんですよね〜。

で、どういう唄かというと、OTTさんが日本語バージョンボサノヴァ日本語化計画のサイトにアップしているので聞いていただければと思いますが、サンバを忌み嫌うマダムへの反発をサンバを愛好する立場から唄ったものです。

で、先日の日本語ボサノヴァの夜で東輝美さんは、この曲の歌詞をなんとマダム目線にしたバージョンを演ったんですよね(それに伴ってアレンジもすごいことになっている)。リハで聞いて、もう笑いと感動の嵐でしたよ。前回チンチンポルチンチンに負けず劣らずのすごさでした。前回に引き続き演った小舟のクリスマスバージョン(だっけ)の原曲とは全く異なる世界観もすごい。いやー。

一方、OTTさんの日本語ボサノヴァのアプローチは全く違ったものです。時にはほとんど直訳に近いくらい、時には全く作り替え、慎重に言葉を吟味し、時には韻を踏むなどの言葉遊び的な要素も取り入れながら、OTTさんならではの粋な世界を作り上げています。

さて、私は基本的にオリジナル曲をやっているわけですが、東さんやOTTさんを見ていると、「オリジナルだから独創的」などとはとても思えなくなってくるんですよね。
確かに、無地のキャンバスに絵を描き始めるのと同じ意味で、オリジナルは独創的なものを作れる可能性は大きいことは確かだけど、それはあくまでも潜在的な可能性に過ぎないんですよね。潜在的な可能性を顕在化できるかどうかは演る人にかかっているのであって、オリジナルをやればオリジナルなものができるわけでもない。あたりまえだけど。

というわけで、大いに楽しみつつ刺激受けまくりの日本語ボサノヴァの夜なのであります。


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