「Jazz The New Chapter ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」

現代音楽とは何か、誰に聞いても明確な答えは返ってこない。答えはあるのだが十人十色で結局何が何だかわからなくなる。現代音楽とは20世紀に作曲された音楽のことである。ではロックも演歌も現代音楽か、ということになってしまうので、クラシックに限ると註をつける。しかしクラシックとは何なのかという大問題にひっかかってしまう。
(長岡鉄男編集長の本―ヴィジュアル・オーディオ・パワー)

先週末、近所の本屋の音楽雑誌のコーナーを眺めていたら、「Jazz The New Chapter 2」というムック本が平積みされていました。へえ、と思って手に取ってみたら、その下にあるのは別の雑誌。だれかが元の場所に戻すのが面倒で適当に置いていったようです。
それはともかくとして、「Jazz The New Chapter 2」をちらちらと眺めてみましたが、いつまでもマイルスやらコルトレーンやらエヴァンスやらじゃないだろう、長年メディアが取り上げなかった現在形のジャズに光を当てるのだ、という趣旨の本らしい。載っているアーティストも聞いたことない人ばかり。
そういうことなら、まずChapter 1から読んでやれと思いましたが、その本屋には置いてなかったので、家に帰ってアマゾンに注文。サブタイトルに名前を記されたロバート・グラスパーという人についても知らなかったので、Black RadioというCDも併せて注文しました。Chapter 2を買う時はその本屋で買うから許してくれー。
で、一昨日届いたので、まずはBlack Radioを聞いてみました。うん、なかなかいいんじゃないかな。いいんだけど・・・でもこれってジャズ? たぶん予備知識ゼロの状態でこの音楽のジャンルは何かと問われたら、R&Bなどと答えるんじゃないかな。頭に「ジャズっぽい」という形容の言葉は付くかもしれないけど。
となると、これを「Jazz The New Chapter」と呼ぶ時の「Jazz」って何という話になりますよね。もちろんそういうことはこの本では先刻承知で、いろいろな人がいろいろなことを書いてます。例えばスタイルの継承ではなく姿勢や精神や文化の継承が重要なのだと書いている人もいます。そういう考え方に全く不同意、というわけではないのだけど、多様な姿勢や精神や文化を持って音楽をやっている数多の音楽家の誰が「Jazz」の継承者で誰がそうでないかを、好き嫌いのような恣意性で裁断してしまう可能性があるんじゃないかな、という気もしました。
何となく思ったのは、バークリー的な教育機関と教材によって育成された人がマジョリティとなって支えているのが現代のジャズ世界なんじゃないかということ。もちろん、そういうふうに育成された人でジャズをやらない人もいるし、そういう教育を受けていなくてジャズをやっている人もいるわけだから、厳密な定義にはなり得ないんだけど。
で、冒頭の長岡鉄男の話に戻ると、現代音楽って何か、クラシックって何かという話と共通するものがあると思ったんですよ。芸大や国立音大のような教育機関によって育成された人がマジョリティとなって支えていることが、現代音楽を含むクラシックというジャンルを特徴づけていると考えると、わりとすっきり整理できるんじゃないか。

・・・とここまで考えた時に、さて「Jazz」に「New Chapter」を開かねばならぬという問題意識は自分に取って切実かというと、自分はその村の住人じゃないよなーという気が・・・。
ただ、Jazzジャーナリズムが「New Chapter」を開かなかったが故に、この本で紹介されているような音楽が長らく紹介されてこなかったのであれば残念なことだと思うし、この本が「New Chapter」を開くことに大きな意義はあると思いました。

というわけで、なんか面倒な話になったけど、単純に未知の音楽家の未知の音楽を少しずつ楽しんでます。

 


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