投稿者「heli」のアーカイブ

【暮らしの音楽ライブⅨ】OTT、heli@渋谷North Marine Drive【4/16(日)17:00-】

新型コロナのパンデミックが始まって以来ずっと中止していた「暮らしの音楽ライブ」を三年半ぶりに再開します。

今回お招きするのは、ボサノヴァ日本語化計画のOTTさん。「ジョアン・ジルベルト全曲日本語化計画」の完了を祝して、さりげなく機知に富んだ音楽をお届けします。
heliはライブ中断中に詩作を学んだことが吉と出るか、乞うご期待。

予約は下の方にある「予約フォーム」を使うか、出演者に何らかの方法で直接連絡してください。
(3月に入ったらお店のウェブサイトで告知されるので、それ以降はお店に直接電話していただいても結構です)

ぜひ多くの方のお越しをお待ちしています!

■暮らしの音楽ライブⅨ
〜ジョアン・ジルベルト全曲日本語化計画 by OTT(イン)コンプリート?記念
OTT(Vo,Gt)
heli (Vo,Gt,Pf)

2023.4.16(Sun)
Open 16:30 Start 17:00
Charge 投げ銭(要ドリンクオーダー)

North Marine Drive
東京都渋谷区宇田川町11-2 2F 03-3476-3097
http://north-marine-drive.com/

■予約フォーム
※「題名」には4/16ライブの予約であることを、「メッセージ本文」には予約する人数をそれぞれご記入ください。

    お名前 (必須)

    メールアドレス (必須)

    題名

    メッセージ本文


    Só Danço Samba弾き語りました。

    明けましておめでとうございます。
    コロナも3年目になりましたが、まだ終わりそうな気配がないどころか、ますます猛威を振るっているようで、本当に困ったものです。
    それでも今年は久々にライブなど音楽活動を再開しようと思います。しかるべき時が来たら告知しますので、ぜひよろしくお願いします。

    ボサノヴァを弾いたり唄ったりする人なら誰でも弾いたり唄ったりできる曲というと、なんだろう。
    イパネマは誰でも知ってはいても、弾いたり唄ったりするのは結構難しいような気がします。
    となると、Só Danço Sambaとかになるのかな。
    が。私は最近までSó Danço Sambaを弾いたり唄ったりしたことはありませんでした。
    なんかご縁がなかったというか。
    同じような曲としては増毛灘があるな。これもそのうち弾き語りできるようにしよう。

    というわけで今年のボサノヴァ弾き語り初めはSó Danço Sambaです。ぜひ聞いてやってください。


    【詩】風葬

    ウィキペディアで風葬を調べると、具体的な事例がいろいろあるわけですが、ここでは単に風に葬られるという意味だけで使っています。そんなのが許されるのかどうかは皆さんにご判断いただければ。

    **********************

    風葬

    真っ白に輝く遠い山並みは
    青空の表面にハイライトを入れ
    薄茶の砂はゆるやかなドレープを描き
    群青の海は白いレースをまとう

    この誰もいない海岸に
    限りなく広がるうつくしい方角を
    身体は魚眼レンズのように
    溢れても溢れても取り込み続けた

    冬の北国の海といえども
    いつも灰色に塗りつぶされているわけではなく
    まぶしい光の日には
    裸の樹木や海食崖さえも
    隠されたテクスチャーを露わにする

    天気予報の悪戯のせいで
    当てが外れてしまったけれども
    握りしめた切符に導かれたならば
    あとは静かに向き合えばよい

    こんなにも透き通った海と空に
    ただ眼を閉じて身体をゆだねれば
    魂の最後のひとしずくまで希釈されて
    悼む言葉もないまま風に葬られる


    Avarandado弾き語りました。

    先日、ガル・コスタが亡くなりました。

    私自身は、ガル・コスタの作品ってほとんど聴いていなくて(というかそもそもボサノヴァ以外のブラジル音楽をあまりよく聴いていない。。。)、唯一聴いているのがカエターノ・ヴェローゾとの「ドミンゴ」。
    でも、「ドミンゴ」は大好きでよく聴いてましたというか聴いてます。無人島に持って行く●枚のレコードみたいな企画があったら、必ず含めるであろうくらい好きです。
    というわけで、「ドミンゴ」への愛に免じて、哀悼の意を捧げつつAvarandadoを弾き語るのをお許していただければ幸いです。


    還暦÷3

    ついでに20歳の頃のことを思い出しながら作った詩も載せてみる。

    ****************

    軌道

    この街の三月は春だから、夜の電車の窓に映り込んだまなざしは楕円の軌道を描いて合わせ鏡の奥へと遡っていく。限りなく遠い接点。やわらかな色彩の座標は季節はずれの服のように居場所をなくす。うち捨てられた旗はかわいた雪にゆれて、トラックのさびた残骸は化石のように凍りついている。そして無人駅の廃屋へと続く道が残されたただ一つのものだった。それでも明滅する言葉は幼いかたちのまま降り続けていて、ほんの少しだけぬくもりを帯びることがあったかもしれない。やがて冬の太陽が定刻の合図を送ると、鉄橋の下をゆるやかにうねる河から血の気が失せて、列車は送電線の鉄塔に導かれて地平線の彼方へと姿を消していく。取り残されたわたしの方角は大きな弧を描いて回帰し、どうしようもなく離れていく軌道から眺めているのが同じ闇なのかどうかもわからなくなってしまう。