音楽における競争

「文化系のためのヒップホップ入門」という本を読み始めたら、しょっぱなの方でこんなことが書いてありました。

「ヒップホップは音楽ではない」(中略)ずばり、一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです。

なんとなく、自分がヒップホップに入り込めない理由がわかったような気がしました。
自分が音楽に求めているのはゲームでもコンペティションでもないな、というか。

競争そのものが嫌だというわけでもありません。
例えばスポーツをやるのは基本的に好きで、小学校の頃は野球、中学校の頃は卓球、高校〜大学にかけてはソフトボール、社会人になってからはテニスに親しんできました。どれもレベル的には全然たいしたことなかったけど、試合になれば勝とうと必死になったし、負ければすごく悔しかった。
大学2年くらいで引退したテレビゲーム(ゲーセンに置いてある据え置き型のやつ。家庭用テレビゲームには手を出したことがない)も、自分が得意なゲームで他人がハイスコアを出しているのを見るや、自分がさらに高いスコアを出すまで飽くことなく100円玉を放り込み続けたもんです。おかげですっかり目が悪くなってしまいましたが。

なんですが、どうも自分の音楽に対する嗜好は、競争的なものが入り込むのをあまり好まないようなんですよね。
もちろん、AよりBが好き、みたいなことは当然あるけれど、別にそれは競争という文脈ではないと思います。
XTCとプリファブ・スプラウトはどっちが好きかと言われたら、どっちだ、という結論が出たり出なかったりするけれど、
結論が出たとして、それは「競争」なのか、と言われると、結果としてそうだと言えないこともないけれど、やっぱり違和感がある。

「文化系のためのヒップホップ入門」では「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンになればいい!」という言葉が否定的というか揶揄的に使われています(日本の風土はそうだ、という客観的事実を指摘したまでということかもしれませんが)。
「オンリーワン」が自分が自分であるというだけで自動的に成立してしまうものを指すのなら、それは(本人や近親者にとってはともかく)あかの他人にとっては別に価値ではないとは思うけど、よく「ワンアンドオンリー」とかいう言葉で称揚される音楽の価値ってそういうものではないと思うんですよね。
「ワンアンドオンリー」な音楽を作り上げるにあたって、他人の音楽を意識しながらレベルアップすべく努力することもあれば、自分自身と闘いながら求道的に極めるということもあるでしょう。それは広い意味での競争心かもしれないけど、ゲームとかコンペティションといった狭義の競争とかとはなんか違う気がするんですよね。

だんだんまとまらなくなってきたので、例によって唐突におしまい。

ちなみに、「文化系のためのヒップホップ入門」はまだ途中までしか読んでないけど、面白い本ですよ。


2 thoughts on “音楽における競争

  1. yojik

    なるほどー
    さすがへりさんの分析はいつもわかりやすいですね。

    オンリーワンナンバーワン戦争ありますねえ。
    めっちゃ指が動くから勝ちでもないし、
    とはいっても楽器や歌がヘタで良しとしちゃったら
    音楽じゃなくて別のものでもいいような気がするし。

    以前は自分のやりたいことに足る技術があればそれ以上は
    望まないでいいやと思っていたんですけど、
    最近はその「やりたいこと」自体も実は自分の脳のスケールが狭すぎて枷をはめて小さくしてるだけではないかと思えてきてゾッとしてます笑

    自分のことはともかく、
    音楽て主観(てか思い込み)が成り立たせている部分が
    大きいせいか、どーしても勝負に持ち込めないてとこがありますよね。
    でもそれでは困るので(決着つかないとつまらないので)、
    人気のあるほうが勝ちとしよう、と
    なるのが今の状況みたいな気がします。

    返信
    1. heli 投稿作成者

      自分の中で日々更新され、時とともに形を変えていく「やりたいこと」の基準というかものさしのようなもので自分を評価するということはありますよね。
      それが更新されていくのは、「やりたいこと」が自分の脳と外部からの刺激の相互作用から成り立っているからでありましょう。
      枷って、自分の脳の制約でもある一方で、それがなくなったら自分でなくなってしまうものでもあるような気がするので、難しいですよね。

      またしても何を言いたいんだかよくわからなくなってきた・・・。

      返信

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