排泄としての作曲・出産としての作曲

10年もブログをやっていると、「このネタで以前記事書いたことなかったっけ?」ということが増えてきました。
まあ、押し寄せる高齢というか、脳年齢の着実な高まりというか、そういうこともあるんでしょうけど。
こういう時、ブログ記事を検索できると本当に助かります。
ということで、おそらくまだ書いたことないネタを。

私が曲を作り始めたのは数年前からですが、曲作りをする人が集う場(主にネットですが)には20年くらい前から出入りしてました。
それで思ったのが、曲作りをする人っておおざっぱに2つのタイプに分かれるということ。
一つ目は排泄としての作曲。作り上げるまでは刻苦奮闘するけど、出来上がってしまうとその曲には興味がなくなってしまうタイプですね。
もう一つは出産としての作曲。出来上がった曲を我が子のように溺愛するタイプです。XTCのアンディ・パートリッジがプロデューサやメンバーとよく諍いを起こしていたのも、自らの曲に対するモンスター・ペアレントだと捉えると納得できるような気が。

私は完全に出産タイプです。作るのって結構辛いんですけど、そこを何とか、出来上がった曲を歌ったり弾いたりする未来の幸福感を夢見て、それを支えに耐えるというかがんばるというか。
最近は作るのも少しは楽しめるようになってきたけど、でも出来上がった後の楽しみがなかったら、やっぱり曲は作らないと思います。


2 thoughts on “排泄としての作曲・出産としての作曲

  1. あのまりあ

    私は作曲し終わると綺麗さっぱり忘れちゃうヒトですが・・・
    ただ、排泄型か、って言われるとちょっと違うように思います。

    排泄って、排泄するのが楽しくてしょうがない──ワケじゃないですよね(笑)。
    中にはそーゆープレイが好きなヒトもいるでしょうが(爆)。

    どっちかっつーと、自分的には「数独」や「クロスワード」みたいな感じかな。
    「解いてる過程が楽しい」「解き終わった問題に興味は無ぇ」みたいな。
    で、次の問題求めてフラフラ・・・

    返信
    1. heli 投稿作成者

      >あのさん
      排泄型と似て非なるタイプとして、ゲーム型というのもあるということでしょうか。
      成果物に対する関心があまり高くないという点では共通するけど、制作過程の意識や、結果に対する評価あたりにいろいろバリエーションがあるのかもしれません。
      私のゲーム経験は30年前にゲーセンでやったゼビウスが最後ですが、やっているときの楽しさ・緊張感や、ハイスコアを出した時の達成感とか誇らしい気持ちみたいなのはおぼろげながらわかるような気が・・・。

      返信

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