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Candeias弾き語り動画アップしました。

前回の投稿はいつだっけと思ったら去年の12月でした。
というわけで今年初めての投稿です。あけましておめでとうございますことしもよろしくおねがいします。

ここしばらく何をやっていたかというと、車に乗っているか詩を書いているかだったような気がします。
このブログで車の話は何度も書いているからいいとして、詩についてはほぼ何も書いてないですね。
詩はかなり全力で取り組んでいたのだけど、世の中に対してどういうふうに見せていくかといったことは何も考えていませんでした。
そのうち何か考えようと思います。

というわけで、しばらくほったらかしだった音楽もぼちぼち再開。
リハビリ的にレパートリー拡張をということで、Candeiasにチャレンジ。
カエターノ&ガルの名作「ドミンゴ」の中の名曲ですね。
最近読み始めたカエターノ・ヴェローゾの「熱帯の真実」にはこんなことが書いてありました。

エドゥ(・ロボ)は、ガルが僕らのアルバムで歌うようにと、「バイアーノ・グループのスタイルで」曲を書いてくれた。(中略)それは、エドゥ自身がペルナンブーコで過ごした休暇の思い出を歌った「カンデイアス(Candeias)」という曲で、この最初のアルバムでガルが歌ったなかでは最良のものだと、僕は今でも思っている。

もちろん私も大好きな曲です。
曲を覚えるのもギター弾いて歌うのもなかなか難しかったけど、なんとか出来上がって嬉しいです。
よかったら聞いてやってください。

 


私の平成十大ニュース

※久々のエントリーですが、昨日ツイッターに投稿したものの転載です(若干編集はしていますが)。

【私の平成十大ニュース~はじめに】

finalventさん「とある私の平成史(仮題)」を書き始めているとのこと。ぜひ読んでみたい。私も何か書けたらいいのだけど、「史」の名に値するものは無理なので、「私の平成十大ニュース」くらいにしておこうっと。

【私の平成十大ニュース(1)~Macとモデムを買ってニフティに加入(平成元年)】
私にとっての昭和と平成の区分は単純で、昭和はネットがなかった時代、平成はネットがある時代。とにかくネットは私に計り知れないものを与えてくれた。ネットがなかったら今ごろ私はどういう人生を送っていたか、うまく想像できないけど、きっとずいぶんしょぼい人生だったんじゃないか。

【私の平成十大ニュース(2)~音楽を聞く側から演る側へ(平成元年)】
平成元年にMacとともにMIDI音源とシーケンサーを購入し、ちまちまと打ち込みを始めたことが、現在に至るまでの音楽活動の出発点だったことが、いま振り返ると痛感される。ずいぶん細くて長い道のりだったけど、ずいぶんあれこれやってきたもんだ。

【私の平成十大ニュース(3)~二回の転職(平成三年、七年)】
生まれ育った街の大学を卒業して東京に就職するも、6年勤めてUターン転職。故郷で4年勤めた後(と言いながらそのうちの一年は首都圏で研修だったのだけど)、またしても首都圏に転職。「いつになったら落ち着くのかねえ」と両親は気が気でなかったらしい。

【私の平成十大ニュース(4)~父の死(平成八年)】
二度目の転職のちょうど一年後に父親が肺癌で逝去。雪国の一戸建てに老母(といっても当時60代半ば。今思うと全然若かった)一人置いておくわけにはいかないと思い、首都圏に呼んで生家は処分。なんだか橋を焼いた気分だった。

【私の平成十大ニュース(5)~人生唯一の洋行(平成九年)】
「洋行」とは古めかしいけど、実はこれまでの人生で日本を出たのはたった一回きり。仕事で二週間アメリカに出張したのだけど、印象に残っているのはボストン美術館のカフェで昼下がりにサンドイッチ食いながらぼーっとしてたのと、ニューヨークのイートイン付きベーカリーで早朝デニッシュ食いながらぼーっとしていたこと。そういえば世界貿易センタービル最上階のレストランも行った。

【私の平成十大ニュース(6)~「黒木のなんでも掲示板」(平成十年)】
その後の自分の知的基盤に甚大な影響を受けた場所。(まともな)反緊縮も源流をたどれば山形浩生さんが紹介したクルーグマン論文に行き着くだろうし、田崎晴明さん他が翻訳した「知の欺瞞」でポストモダンときっぱり縁が切れた人も多かったのでは。最近の岸政彦さんの活躍ぶりも素晴らしい。ところでここを教えてくれたもとはしみほさんは今どうしているのであろうか。

【私の平成十大ニュース(7)~アンプを作った(平成十二年)】
今から二十年近く前はオーディオアンプやスピーカーをさかんに自作してた。ネットで知り合ったエレクトロニクス関係のエンジニアの方々に刺激を受けて、高校の数学や物理をやり直したり、電気回路の専門学校の教科書を勉強したり。最近はオーディオと縁が切れかかっているけれども、また遊んでみたい。

【私の平成十大ニュース(8)~彼女ができた(平成十六年)】
恋愛と無縁な人生というわけではなかったけれど、「付き合っている」と言えるほど安定した関係が長続きしたこともなく、これからもこんなふうにして年を取っていくのかなとぼんやり思っていた時、なんだかリアルワールドでの出会いがあって、今なお付き合いが続いているのは不思議な感じ。

【私の平成十大ニュース(9)~音楽を創る側へ(平成二十三年)】
作曲に憧れて、ニフティ時代にオリジナル曲を創る人が集うMIDIオリジナルフォーラム(FMIDIORG)の末席を汚してはいたものの、結局その当時は一つもオリジナル曲を作ることができなかった。その後十数年が過ぎて作曲活動が曲がりなりにも軌道に乗り、オリジナル作品をまとめてCDにしたのが平成二十三年。

【私の平成十大ニュース(10)~詩を書き始めた(平成三十年)】
こうやって平成の30年間を振り返ってみると、ニュースは前半に集中しているみたいだけど、前半に蒔いた種子が後半実って、いま一所懸命収穫しているという感じ。そんな中、一年前から通い始めた文月悠光さん詩の教室は久々の新たな種蒔きになるのかも。何が収穫できるか楽しみ。

【私の平成十大ニュース~おわりに】

あまり深く考えずに自分の平成時代を振り返ってみたわけですが、なんだか妙に明るいな。世相を振り返ると、テロやら災害やらいっぱいあったし、何よりも30年のうち20年は「失われた20年」だったわけで経済もずいぶんひどかったのに。思い出は美化されるということを別にして、おそらく人生の基盤が決定的に損なわれるということがなかったということなのでしょう。そういう意味では、平成はまずまず幸運に恵まれた30年だったと言うべきなのかもしれません。

次の元号の時代もつつがなく過ごせたら良いな。

というか、生きているうちに次の改元を迎えられるかな。


初めて出会ったヤマドリタケモドキ(たぶん)

金曜日に原宿シーモアグラスで行われた「かえるとセツコの部屋」とか、土曜日に見に行った「ウエノ・ポエトリカン・ジャム」とか、書きたいネタはいろいろあるのだけど、今回はヤマドリタケモドキの話。

子供の頃、秋になると親に連れられてよくキノコ狩りに行きました。
単に食べられるキノコを収穫するだけでなく、見つけたキノコの種類を図鑑で調べるのが楽しかったんですよね。
そうなると食用も毒も関係ないというか、むしろ毒キノコを見つけるとかえって興奮したもんです。
タマゴテングタケを見つけたときなど「これ一本食ったら死ぬのか!」と思ってドキドキしたり。

そんなことをやっていると、いつか見つけてみたいと思う「あこがれのキノコ」のようなものが心中に宿るようになります。
最初にそんな感じがしたのはタモギタケかな。タモギタケって他のキノコよりも出る時期が早いので、なかなか普通にキノコ狩りしていても出くわすことがなかったんですよね。
それが、なぜか中学一年の時に沢の倒木にあの黄色いキノコがびっしり生えているのを見つけたときの感動といったら。

あとはタマゴタケ
毒キノコがずらりと勢ぞろいするテングタケの仲間で、傘は鮮やかな赤、茎は鮮やかな黄色とめっちゃ派手なルックスなのに毒がない(結構美味しいらしい)。
いつかお目にかかりたいとずーーっと思っていたんですが機会に恵まれることはありませんでした。
それが、大人になってから観光関係の仕事で礼文島に行った時に山道を歩いていたら、ばったりと目が合ったんですよね。
すごくうれしかったなぁ。
結局、食べはしませんでしたが。

ヤマドリタケもそんなキノコの一つ、といっていいのかな。
タモギタケやタマゴタケに比べれば色彩的には全然地味です。でも、とても大ぶりで肉厚で見栄えがして、しかもとても美味しいということだったので、やはり憧れのキノコの一つでした。
しかも、大人になってイタリア料理を料理本を見ながら見よう見まねで作ったりするようになったとき、ポルチーニがヤマドリタケのことだと知って、ますます興味津々。
ただ、今の住環境は、生まれ故郷のように歩いて行けるところに森林があったりするわけでもなく、キノコ狩りをする機会も全くなくなってしまったので、生えているところを目にすることはないだろうな、と思っていました。

それが、昨日山手線の内側の緑豊かな某公園を歩いていたら、ばったり目があったわけですよ。
※ちなみに、すぐ横には毒キノコのイッポンシメジまたはクサウラベニタケが生えていました。襞が薄桃色のシメジっぽい形のキノコには気をつけましょう。

ただ、ヤマドリタケはタモギタケやタマゴタケのように他と間違いようのない唯一無二のキャラがあるわけではなく、似たようなキノコがいくつかあることも認識していました。
しかも、その中にはドクヤマドリという毒キノコが含まれています。
というわけで、慎重を期して図鑑やネットを調べてみました。

まず、ドクヤマドリタケの特徴を見ると
・管孔(傘の裏の部分)は・・・黄色から黄褐色。傷つけるとゆっくりと青変し、黄褐色から褐色のしみとなる。
・肉は・・・淡黄色。これも傷つけるとゆっくりと青変するが管孔ほどではない。独特の臭気がある。
とありますが、今回採取したものは、管孔も肉も白で、傷つけても色は変わらなかったので、ドクヤマドリではなさそうです。

あと、ヤマドリタケモドキというのもあり、これとの違いは、
・ヤマドリタケは傘の表面に光沢があるのに対し、ヤマドリタケモドキの傘の表面はビロード状
・ヤマドリタケの柄には途中まで網目模様があるのに対し、ヤマドリタケモドキの茎には全体に網目模様がある
とのこと。今回採取したものをじっくり検分した感じでは、ヤマドリタケモドキの特徴の方が当てはまるようです。

まあ、モドキなのは偽物っぽくて残念ではありますが、図鑑の説明を読むと日本にはモドキしかないようでもあり、仕方がありません。
いずれにしても、ヤマドリタケの仲間を見つけるのは初めてだったので、とても嬉しい!です。

さて。モドキとはいえポルチーニの近縁種。それが生で手に入ったのだから、食べない手はありません。
ということで、久々に絶望のスパゲティを作ってみることにしました。
絶望のスパゲティというのは、手持ちの料理本のレシピを見る限り、ポルチーニの入ったプッタネスカという感じです。材料は黒オリーブ、アンチョビ、ケッパー、赤ピーマン、玉ねぎ、にんにく、トマト缶。

▪️手持ちのレシピではポルチーニも含め材料は皆みじん切りにすることになっていますが、今回はキノコの歯ざわりを楽しみたかったので、キノコだけは少し大きめの薄切りにしました。

▪️トマト缶を加え、塩胡椒とチーズで味を整えて出来上がり。

というわけで、微妙に盛り付けが美しくありませんが完成!
味は文句なし!キノコはしっかり炒めたので、味は美味しいけど結構柔らかくなったかも。

今のところ体調は良好なので、ドクヤマドリではなかったと信じたい。


マイルス・デイヴィスの選曲

昨日弾き語り動画をアップしたAos pés da Cruzをマイルス・デイヴィスが取り上げてました。

マイルスが手がけた唯一のボサノヴァアルバム、ということだそうですが、アマゾンのレビューを見るとなかなか微妙な評価です。
でも、100%金儲け狙いだったら、この曲入れるかなぁ。

全然ジャンル違うけど、マイルスってDavid CrosbyのGuinnevereとかもやってるんですよね。最近知ったんですが。
なんだか選曲ににじみ出る音楽の趣味にちょっと共感。


Aos pés da Cruz弾き語り動画アップしました。

最近、ライブも曲作りもすっかりさぼってしまっています。
もっとも、ライブはともかく曲作りに関しては、いろいろ仕込んでいるところではあるので、そんなにさぼっているという気分でもないんですが(仕込みがちゃんと結実するかどうかは心もとないのだけど)。
あとは、リハビリも兼ねてボサノヴァのレパートリーの拡張に取り組んでいます。
やはり、「好きなことをやる」ことが音楽活動全体の燃料というかエンジンというかエネルギー源であって、それがコアにないと音楽活動全体が続けられないんですよね。

で、今回は「Aos pés da Cruz」。ジョアン・ジルベルトのファーストアルバムに入っている曲です。

ジョアン・ジルベルトのバージョンは、とても哀愁に満ちた美しい曲という感じですが、

オリジナル(だったかな)のオルランド・シルヴァのは、例によっていかにもなサンバですなー。Rの巻き舌がすごい。

歌詞は「十字架のもとで永遠の愛を誓ったのに(以下略)」というもの。個人的には歌詞の意味に感情移入しながら歌うのはなかなか難しいですが、典型的なボサノヴァに比べるとメロディがそれほどテクニカルというかメカニカルな感じではないので、曲の美しさに没入しながら歌ってます。