というわけで、純然たる新曲としては、6月にアップした「花の名前」以来半年ぶりということになります。何ヶ月か前に、twitterで誰かが「無くなった喫茶店の曲を作りたい」とつぶやいていたのに触発されて作った曲です。11月のライブでもすでに披露済みですが、改めて家で弾き語ってみました。パソコンを買い換えて、iMovieが実用的に使えるようになったので、簡単な編集(といっても、前後のゴミを切り落としてタイトルとエンディングをくっつけて音をノーマライズしただけ)を施しています。よかったら視聴してやってください。
【2011.1.2追記】歌詞も載せておきます。
出窓
出窓に頬杖
秋の陽が沈む
光と陰とが
交わり溶けてゆく
幼い頃には
出窓にもたれて
うつつと夢とを
たわむれ眠った
今日もこうして
珈琲飲んでる
生まれた街の
いつもの店で
あれから多くの
月日が流れて
仕事や暮らしに
追われる日々だけど
記憶の彼方に
朽ち果てることなく
かすかに残ってる
秋の日の出窓
今日もこうして
珈琲飲んでる
生まれた街の
知らない店で
今日もこうして
珈琲飲んでる
遠くの街の
いつもの店で
【追記終わり】
以下は長ったらしい昔話。
何年か前に買った「さっぽろ喫茶店グラフィティー 」という本は、1980年前後に札幌で喫茶店にいりびたっていた私のような人間には懐かしさで涙無しには読み進められない本です(大げさか)。
と同時に、当時の世間知らずの客の立場では知ることができなかったさまざまな事情が今更ながらわかって興味深い本でもあります。
特に、巻末にインタビューも載っている店舗デザイナーの今映人氏のことは恥ずかしながら全然知らなかったのだけど、初仕事がELEVEN、次が北地蔵、小樽のろーとれっく、テルサラサート、小樽のマリー・ローランサン、ふれっぷ館、ホールステアーズカフェ・・・これだけ名店をずらりと並べられると、「なるほど~・・・」と唸りながら深くうなずいてしまいます。
ちなみに、このうち行ったことがないのはふれっぷ館だけ。テルサラサートは大好きな店だったけど(本に載ってるモノクロ写真~窓の向こうに「人形屋佐吉」の看板が見える!~はこの店の魅力をよく捉えています)、ちょっと行きづらかったので数回しか行けなかった。他はすべて2桁回(店によっては3桁回)行っているはず。
と同時に、多くの店がバブル時の地上げで閉店したことも知り(その頃は私は東京にいた)、暗澹たる思いをすることにも。もっとも、最近買った「札幌喫茶界昭和史」という本を読んで、いかに喫茶店という業種が栄枯盛衰が激しいかを改めて認識したこともあり、「そういうもんなんだな」と半ば苦笑混じりのあきらめの境地に到達した次第です(やっぱり大げさか?)。
そんな古き良き時代の喫茶店の一つに可否茶館倶楽部という店がありました(今映人氏のデザインではありませんが)。今は無き実家から割と近くの住宅地にあって、明治時代に建てられた古い木造住宅を改造した店で、学生時代にも時折訪れましたが。特にUターン転職で札幌に戻っていた1991-95年は本当によく行きましたね。
大きな出窓のある古い木造の建物。煙突付きの(札幌では標準)石油ストーブ。美味しいコーヒーとタバコ(当時はスモーカーだった)。本当に良い雰囲気の店でした。「さっぽろ喫茶店グラフィティー 」には、そんな可否茶館倶楽部の写真も載っていて、大きな出窓から明るい光が差し込んでいる様子が懐かしかったです。
そんな可否茶館倶楽部も1996年に閉店。実はその年、父が癌で入院していて、実家(当時はすでに東京で仕事をしていたのでほぼ毎週飛行機で通っていた)から病院まで歩いて通っていたのだけど、その途中に可否茶館倶楽部があったんですよね。閉店したのは父が亡くなるほんの少し前でしたが、閉店から数日後に店の前を通ったら完全な更地になっていて呆然としたのを覚えています。
・・・まぁ、ここまで熱く喫茶店を語って、なにほどの人に理解されるのかわかりませんが、本を読んだり考え事したりぼーっとしたり、実に多くの大事な時間を喫茶店で過ごしてきたんですよね。大学時代など、過ごした時間の長さからいったら自宅>喫茶店>>>>>>大学だったと思うし。
というわけで、長文におつきあいいただきありがとうございました。