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北斗星に乗ってきた

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北海道と本州を結ぶ「青函トンネル」の話を聞いたのは、生まれ育った札幌の小学校のたぶん社会科の授業でした。
完成したら世界一長いトンネルになること。大変な難工事であること。完成は1980年代の後半であること。1988年と具体的な年を聞いたような気もしますが、昔のことなので記憶は定かではありません。

「高度成長の頃は夢があった」とか言われますが、自分自身があまり将来に夢を抱いたりするような子供でなかったせいか(単に現在のこと(野球だとか)に夢中で将来のことなぞあまり考えもしなかったというだけのことで、将来のことを冷静かつ現実的に見据えていたとか、そういうんじゃありません)、あまりぴんとこないんですよね。
でも、青函トンネルはそのような「夢」だったのではないか、と言われたら、まあそうかもしれません。

東京に母方の祖父母の家があったので、子供の頃、二度ほど鉄道で行きました。
普段から家の前を走っていた路面電車には乗り慣れていたけれど、鉄道らしい鉄道に乗るのは夏休みの海水浴で小樽の方に行くときくらい。
ましてや、東京まで、一泊二日で、青函連絡船や寝台列車を乗り継いでとなると、これはもう非日常的な体験以外の何物でもありませんでした。
乗り物酔いしやすかったため苫小牧くらいまで来たところですっかり気分が悪くなり、窓が開かないと窒息すると大騒ぎしたこと。初めて乗る大きな船に興奮して走り回ったこと。青森駅の跨線橋から眺めるホームに泊まっている何台もの寝台列車の幻想的な光景。冷凍みかんのひんやりとした味。明け方にこっそり寝台の小窓から眺めた、どことも知れない土地の薄明の景色・・・。

・・・とまあ、そんな記憶もすっかり過去のものとなった1988年。
新卒で上京した際に勤務先から世話してもらった練馬区のアパートを引き払って、埼玉県の京浜東北線沿いにある巨大団地に引っ越した年。結局、その一年間しか住んでいなかったんですが。
ある日。仕事帰りで駅から団地に向かう途中、線路沿いの道を歩いていると、後ろから列車がごーーっという音とともに追い抜いて行きました。
何気なく列車の方に目をやると、それは寝台列車で、行き先の表示は「札幌」。

あのときのくらくらするような感覚。
スガシカオの「夜空ノムコウ」に

あのころの未来に、僕らは立っているのかなぁ

という一節があるけど、まさにそういう感じ。

これは乗らなくてはならない、と思って、その年の夏休みに札幌に帰省するときに早速乗りました。
バブルの頃だったこともあって、食堂車「グランシャリオ」とかロビーカーとか、なんだか自分の知っている寝台列車と違って豪華だなーと思いながらも、これ一本で札幌まで行けてしまうんだ!という事実はやはり圧倒的、感動的。
そして青函トンネル。トンネルに入る前はすごくドキドキしたけど、いざ入ってしまえば、トンネルはトンネル。
とはいえ、途中の竜飛海底とか吉岡海底とかの駅を通過したときは、海底を通っているという感動がじんわりと湧いてきたし、その前後の津軽線とか旧江差線から眺める海は本当に美しかった。

その後も何度か北斗星には乗ったけど、90年代半ばに父親が逝去して実家が札幌になくなってからは、札幌に行く機会も少なくなり、北斗星にもずいぶん長い間ご無沙汰することとなりました。

今年、北斗星の運行がとうとう終了するとのニュースが。
正直なところ、速く行きたいなら飛行機使うよ!新幹線なんてどうでもいいやん!と思うわけですが、まあそのあたりは今や関東在住の私がとやかく言うべき話でもありません。
というわけで、予定を立てて、一ヶ月前の午前4時に最寄りの駅に並んで、チケットをなんとかゲット。今週末に乗ってきました。
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19時間の旅だったけど、なんだかあっという間に終わってしまいました。
自分にとっての一つの時代が終わったという感じ。