最後にブログ記事を書いたのが3月。またしてもすっかりさぼってしまいました。
何事につけコンスタントにやり続けることができないのが情けないところですが、それでも何とか復活することができるのは良いところだと無理矢理思うことにしよう。
ネタはいっぱいたまっているけど、まずは7/21に1年半ぶりに開催した「暮らしの音楽ライブVIII」。暑い中多くの方にお越しいただきありがとうございました。
また、5年ぶり2度目の参加ということで、素晴らしい演奏を聴かせてくれたレバさん+クラモトキョウコさんにも改めて御礼申し上げます。今回のお二人の演奏は本当に絶好調という感じで、すごく音楽自体に引き込まれる感じがしました。
私のセットリストは以下のとおり。
1.月と桃
2.ハイビスカス
3.花火と子供
4.同潤会アパート
5.白い月
6.自然には、かなわない
7.あなたのいない世界で
8.倒れるひと(新作)
9.青空のかたち
今回初めて披露したのは「倒れるひと」。ボサノヴァスタイルのギターを弾きながら、自作の詩(歌詞ではありません)を朗読するという、自称「ボッサ・ポエトリー」です。
昨年4月から文月悠光先生の詩の教室に通っているのですが、半年に一度「発表会」があり、自作の詩を朗読することになっています。で、私はギター弾き語りをずっとやってきているので、詩もギターを弾きながら朗読できないかと思って試してみたのがこのスタイルです。こういうのは今まで聞いたことがないので、いいんだか悪いんだか判断がつかないまま何の確信もなく取り組んできましたが、これまで人前で3回ほど演った感じでは、まずまずポジティブな反応があり、これって案外悪くないかも、という手応えのようなものを掴みつつあります。
以前にも書きましたが、「暮らしの音楽ライブ」は、ぜひ一緒にやってみたい!という音楽家が見つかって、オファーして、OKが出たら開催できるという、良い食材が入らなかったら店を開けられない料理屋みたいなものなので、次はいつになるかわかりませんが、ぜひ続けたいところです。
あと、もっと曲を作って録音してリリースしたいですね。まあ詩作に時間を取られているということもあるわけですが・・・。
倒れるひと
水の気配のする暗がりから
かすかに光が差し込む方へ
過ぎ去ったおびただしい歳月の
接触不良の曖昧な記憶が断続する
いつか住んでいた街の夜明け前
空洞のようなホテルの部屋で
一通のメールに不意打ちのようにさらわれて
どこでもない場所に宙吊りになってしまう
ひとが倒れるのは確率的な出来事
そんな頭痛が二日酔いのように脈打った
夜明けとともに冷たい曇り空が
ホルマリンのように侵食してくる
かすかな光はたわいもなく
いつわりの平穏にすり替わった
たくらみのないあなたの言葉が
死と区別のつかない眠りと
世界をつなぐ接点だったのに
鈍色のまま過ぎた季節の間も
いつからか忘却された言葉は
目に見えない水脈のように
流れ続けていたのかもしれないけれど
ゆるやかな淀みのような別れの時
何もない空間に眼差しは焦点を結ばない
あなたの言葉は形骸だけを残して
もはや届かないところにあるようだった
混濁した心を抱え込んだまま
仮借なく高まる水位を歩きつづけて
わたしもいつか倒れるだろう
そのときに一体何がわかるだろうか