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還暦÷3

ついでに20歳の頃のことを思い出しながら作った詩も載せてみる。

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軌道

この街の三月は春だから、夜の電車の窓に映り込んだまなざしは楕円の軌道を描いて合わせ鏡の奥へと遡っていく。限りなく遠い接点。やわらかな色彩の座標は季節はずれの服のように居場所をなくす。うち捨てられた旗はかわいた雪にゆれて、トラックのさびた残骸は化石のように凍りついている。そして無人駅の廃屋へと続く道が残されたただ一つのものだった。それでも明滅する言葉は幼いかたちのまま降り続けていて、ほんの少しだけぬくもりを帯びることがあったかもしれない。やがて冬の太陽が定刻の合図を送ると、鉄橋の下をゆるやかにうねる河から血の気が失せて、列車は送電線の鉄塔に導かれて地平線の彼方へと姿を消していく。取り残されたわたしの方角は大きな弧を描いて回帰し、どうしようもなく離れていく軌道から眺めているのが同じ闇なのかどうかもわからなくなってしまう。


還暦÷2

あと数日で誕生日。なんと還暦。
60歳。どうにもこうにも実感が湧かない。
30歳を2回生きたことになるなんて。いやはや。
ところで30歳の誕生日をどう過ごしたのか。全然覚えていないし日記とかつける習慣もないので記録もないけど。
その頃は、最初に就職した東京からUターン転職で札幌の実家に戻ってきていて、北海道内(札幌を除く)の商店街を出張して回るような仕事をしてました。
結局札幌にいたのは4年くらいで、また東京に転職して今日に至るのですが。

その頃のことを思い出しながら数年前に書いた詩なぞ。

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どこでもない町

音もなく波打つ灰色の海をまとって
車は霧雨の道を流刑のように走り続ける
睥睨する断崖を首をすくめてやり過ごすと
どこでもない町の一週間が始まる

そこでは埃の匂いのするソファに座り
郷土の名士の色褪せた肖像写真に囲まれて
にこやかに訳知り顔の世間話をしたり
黙々と渋面のキーボードを叩いたりする

昼下がりの岬を見晴るかす緩やかな斜面に立てば
ことばは白く輝く水平線の彼方から、
このきれいに生えそろった若草の芝生へと届くだろう
あらゆる世界から隔絶しているどこでもない町は
それでもなおあなたの引力圏にあり
たとえ途方もなく長大ではあっても
楕円軌道を描いているはずだったのだから

しかし、ことばは断崖の向こうで身もだえする海岸線に拘束され
海霧や横殴りの風に傷ついて
とぎれとぎれの雑音にかき消されてしまう
そしてわたしは海からも取り残される。

傾きかけた日差しが物憂げな頃になると
放課後の子供たちが遊ぶのが聞こえてくる
五時のチャイムが夕焼けに浸された町に漂うと
みんなそれぞれの家に帰っていく

わたしはどこの町に帰るのだろうか

次の週には塩まじりの冷たい風にまみれて
車はまばらな灌木の道を走り続けるだろう
まなざしが灰色の海霧に溶け出す方角には
どこでもない町がとりとめなく漂っているだろう


【復刊ドットコム】萩原朔太郎編「昭和詩鈔」をエントリー!

久々に復刊ドットコムにエントリーしました! 投票はこちらから!
「昭和詩鈔」は戦前(昭和)の詩のアンソロジーで、四季派からモダニズム系、プロレタリア系に至るまで万遍なく収集されている貴重な本です。安藤元雄による解題では「当時における同時代詩壇の展望としてはかなり目配りの行き届いたもの」「編者朔太郎の最晩年における重要な仕事のひとつ」と評されています。編者が萩原朔太郎というのもポイント高いと思います。内容には関係ありませんが、字が大きくて読みやすいのも高齢者に親切! ぜひ復刊実現に向けて投票を!
・・・って、エントリーして2日たったけどまだ投票数は私自身の一票だけだよ(号泣)。

ちなみに、日本の近現代史を一通り概観するのに便利なアンソロジーとして、これまで集めたものをリストアップしてみましょう。
・戦前(昭和)・・・昭和詩鈔(萩原朔太郎編)
・終戦直後・・・荒地詩集(特に1951)
・高度成長期以降(20世紀)・・・詩のレッスン(入沢康夫他編)
・21世紀・・・現代詩手帖2020年8・9月号 現代詩アンソロジー
※「昭和詩鈔」の解題によれば、明治・大正の詩については日夏耿之介編「明治大正詩鈔」が計画されたが実現しなかったとのことです。

日本の古本屋やアマゾンを見た限りでは、どれもそんなに高くなかったはず。って、念のため確認したら、詩のレッスンは5000円くらいする! ちょっと高いなあ。これも復刊ドットコムにエントリーしようかな。
あと、現代詩手帖の現代詩アンソロジーも単行本化してほしい。雑誌だけだと時の流れに埋もれてしまいそうなので。

ところで、昭和詩鈔には女性詩人が一人も載っていません。
戦前の昭和の時代に女性詩人がどれだけいたか、全体像はよくわかりませんが、取りあえず知っているのは左川ちか。あと名前しか知らないのだけど永瀬清子(そのうち詩を読んでみたい)。
昭和詩鈔をつらつらと読んだ限りでは、少なくとも左川ちかの詩が載っていても全然おかしくないと思うのだけど。「当時における同時代詩壇の展望としてはかなり目配りの行き届いたもの」は、やや看板に偽りありかも。
これって、昭和15年という刊行時期も関係あるのかな。荒地の出発点であるルナが、当初は若草から流れ込んだ女性詩人が何人もいたのに、だんだん減っていって、荒地詩集1951にはやはり女性は一人もいなくなってしまったのも同じことだったりしないんだろうか。