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三角みづ紀さんによる「連詩ワークショップ@三軒茶屋twililight」に参加。

前回の投稿からなんと一年半もさぼってしまいました。
年末から振り返ると、2024年はいろいろやれていないことが積み上がってしまった一年だったように思います。
来年はちょっと巻き返しを図りたいところです。

そんな2024年に比較的熱心に取り組んだのが詩歌でした。
数年継続している三角みづ紀さんの詩の教室に加え、4月からは服部真里子さんの短歌教室にも参加。
細々とではありますが、継続は力なりということで、作品も少しずつ積み上がってきています。
特に詩は7年くらい続けたことになるので、それなりの作品数になりました。
そのうち詩集でも作ろうかな。。。

そんな流れの中で、先月三軒茶屋の本屋&ギャラリー&カフェtwililight(トワイライライト)で行われた、三角みづ紀さんによる「連詩ワークショップ」というイベントに参加してきました。
「連詩」というものがあるのを知ったのは、そんなに昔のことではないと思います。たぶん「しずおか連詩の会」というイベントのことを耳にして、「へえ、連詩というものがあるんだ」と思ったのが最初じゃないかな。
詩人が何人か集って即興で作品を生み出すのって、なんとなく風流なイメージがあったので、ワークショップの話を目にしたとき「なんだか面白そう」くらいの軽い気持ちで参加を決めました。
とはいえ、不安材料がなかったわけではありません。
私の場合詩を作るのに非常に時間がかかるんですよね。詩の教室では毎月作品を書いて提出しますが、正直なところ月に一つ作るのがやっと、という感じです。
こんな私が「その場で即興的に詩を作る」ワークショップについていけるのか?

というわけで当日。11/25と11/30の2回開催されましたが、私は11/25の回に参加。
各回、10名の参加者(三角を2つのグループに分け、くじ引きで順番を決め、あらかじめ用意された詩句にリレー形式で詩句を足していきます。行数は5行と3行を代わる代わる(比較的よく採用されるルールのようです)。全員書いたらまたくじ引きをして順番を決め・・・を繰り返します。今回は三巡回ってきました。

時間が来たら、各自自分が書いた詩を朗読。
そして、今回は朗読を映像担当の小林大賀さんが録音し、後日映像とバックグラウンドノイズを付加するなど編集制作してYouTubeにアップ、という流れでした。

というわけで、動画は以下のとおりです。
■グループA「ともしび」(11/25)

■グループB「あたらしく生まれる」(11/25)→私はここに参加

■グループC「航跡」(11/30)

■グループD「私を知らない白い町で」(11/30)

以下、我が身を振り返っての簡単な感想です。
・短時間で即興で詩句を作ることは思ったよりはなんとかなった(思ったよりは、です。現実は青息吐息・・・)。
・リレー形式なので、「つなぐ」意識が必要。
・一方で、無難につなぐことばかり考えると、のっぺりした感じになりそう。流れを見ながら、時には思い切って「飛ばす」ことも必要。
・一人一人が朗読するのを聴くのは、なんだか特別な時間を共有している感じでよかった。
・朗読+文字+映像+バックグラウンドノイズで編集した動画も、暮らしの中に生きる詩、といった趣でこれまたよかった。

まあ、初めてということなので、自分が良い物を生み出せたかどうかはさておき、興味深く楽しい体験ができて良かったです。
またこういう機会があったら参加してみたいですね。


【二篇参加】詩誌「蜜」5/21文学フリマ東京で発売

先日のライブでも予告しましたが、詩誌「蜜」が5/21文学フリマ東京36で発売されます。私は「周回遅れ」「どこでもない町」の二篇で参加しましたが、私なぞが名を連ねていていいのか?という感じの充実した内容で、めっちゃおすすめです。って、私もまだゲラをざっと見ただけなので、早くじっくり読みたい!

※以下は詩誌「蜜」編集部の告知ツイートから引用

詩誌 「蜜」【O-37 文フリ東京】

【お知らせ】

<詩誌 蜜 創刊号✨>
5/21 #文学フリマ にて発売します。

◎招待作品に文月悠光さん(@luna_yumi )をお迎えして、20名の方にご寄稿頂きました。

◇5月21日(日)12:00~17:00
東京流通センター(第一展示場)
蜜ブースは【O-37】です🍯

https://c.bunfree.net/c/tokyo36/h1/O/37

◎招待作品 文月悠光

服部真里子
村田活彦
小川芙由
四塚麻衣
坂田雅史
雨椎零
遠藤紘史
鹿嶋里
背川吐茅
前原徹也
水谷美雪
佐藤茂樹
谷原百合
渡邉清文
末野葉
田畑浩秋
山口守俊
鈴木美紀子
佐野真人
定行恭子
(掲載順/敬称略)

装画:鈴木琢未(@tamabi0207 )

#詩誌蜜


【詩】風葬

ウィキペディアで風葬を調べると、具体的な事例がいろいろあるわけですが、ここでは単に風に葬られるという意味だけで使っています。そんなのが許されるのかどうかは皆さんにご判断いただければ。

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風葬

真っ白に輝く遠い山並みは
青空の表面にハイライトを入れ
薄茶の砂はゆるやかなドレープを描き
群青の海は白いレースをまとう

この誰もいない海岸に
限りなく広がるうつくしい方角を
身体は魚眼レンズのように
溢れても溢れても取り込み続けた

冬の北国の海といえども
いつも灰色に塗りつぶされているわけではなく
まぶしい光の日には
裸の樹木や海食崖さえも
隠されたテクスチャーを露わにする

天気予報の悪戯のせいで
当てが外れてしまったけれども
握りしめた切符に導かれたならば
あとは静かに向き合えばよい

こんなにも透き通った海と空に
ただ眼を閉じて身体をゆだねれば
魂の最後のひとしずくまで希釈されて
悼む言葉もないまま風に葬られる


還暦÷3

ついでに20歳の頃のことを思い出しながら作った詩も載せてみる。

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軌道

この街の三月は春だから、夜の電車の窓に映り込んだまなざしは楕円の軌道を描いて合わせ鏡の奥へと遡っていく。限りなく遠い接点。やわらかな色彩の座標は季節はずれの服のように居場所をなくす。うち捨てられた旗はかわいた雪にゆれて、トラックのさびた残骸は化石のように凍りついている。そして無人駅の廃屋へと続く道が残されたただ一つのものだった。それでも明滅する言葉は幼いかたちのまま降り続けていて、ほんの少しだけぬくもりを帯びることがあったかもしれない。やがて冬の太陽が定刻の合図を送ると、鉄橋の下をゆるやかにうねる河から血の気が失せて、列車は送電線の鉄塔に導かれて地平線の彼方へと姿を消していく。取り残されたわたしの方角は大きな弧を描いて回帰し、どうしようもなく離れていく軌道から眺めているのが同じ闇なのかどうかもわからなくなってしまう。


還暦÷2

あと数日で誕生日。なんと還暦。
60歳。どうにもこうにも実感が湧かない。
30歳を2回生きたことになるなんて。いやはや。
ところで30歳の誕生日をどう過ごしたのか。全然覚えていないし日記とかつける習慣もないので記録もないけど。
その頃は、最初に就職した東京からUターン転職で札幌の実家に戻ってきていて、北海道内(札幌を除く)の商店街を出張して回るような仕事をしてました。
結局札幌にいたのは4年くらいで、また東京に転職して今日に至るのですが。

その頃のことを思い出しながら数年前に書いた詩なぞ。

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どこでもない町

音もなく波打つ灰色の海をまとって
車は霧雨の道を流刑のように走り続ける
睥睨する断崖を首をすくめてやり過ごすと
どこでもない町の一週間が始まる

そこでは埃の匂いのするソファに座り
郷土の名士の色褪せた肖像写真に囲まれて
にこやかに訳知り顔の世間話をしたり
黙々と渋面のキーボードを叩いたりする

昼下がりの岬を見晴るかす緩やかな斜面に立てば
ことばは白く輝く水平線の彼方から、
このきれいに生えそろった若草の芝生へと届くだろう
あらゆる世界から隔絶しているどこでもない町は
それでもなおあなたの引力圏にあり
たとえ途方もなく長大ではあっても
楕円軌道を描いているはずだったのだから

しかし、ことばは断崖の向こうで身もだえする海岸線に拘束され
海霧や横殴りの風に傷ついて
とぎれとぎれの雑音にかき消されてしまう
そしてわたしは海からも取り残される。

傾きかけた日差しが物憂げな頃になると
放課後の子供たちが遊ぶのが聞こえてくる
五時のチャイムが夕焼けに浸された町に漂うと
みんなそれぞれの家に帰っていく

わたしはどこの町に帰るのだろうか

次の週には塩まじりの冷たい風にまみれて
車はまばらな灌木の道を走り続けるだろう
まなざしが灰色の海霧に溶け出す方角には
どこでもない町がとりとめなく漂っているだろう