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岸政彦「奇跡の8ヶ月、あるいは海や花や風に到達するための合理的な方法」

ジョアン・ジルベルトが亡くなってから約1ヶ月経った。

ボサノヴァを作り上げた偉大な人の死は多くのメディアで取り上げられたし、ツイッターで「ジョアン ジルベルト」などと検索すると、哀悼のつぶやきが次々と流れてくる状態だった。
なにぶん88歳という高齢だったし(私の母親と同い年だ)、演奏活動を止めてから長い月日が経ってもいたので、突然の死にショックを受けるというよりは、来るべきものが来たと静かに受け止める人が多かったのではないだろうか。

そんな中、流れてきたひとつのつぶやき。

ああ。

こういう感じでジョアンの死を受け止めていた人はどのくらいいたんだろう。私の見た範囲ではあまり見かけなかったような気がするのだけど。

ということで、岸さんに倣う、と言うとおこがましいので、岸さんのツイートをトリガーにだらだらと流れ出た自分の記憶を書いてみる。

遠い遠い昔、大学二年生の頃、まったく孤独で精神的にどん底の状況にあった。客観的に見れば、親元で経済的に不安のない暮らしをしていたわけで、何がどん底だ、と言われると何も言えないけど、とにかく気持ちはどん底以外の何物でもなかった。やりたいことも将来なりたいものも何もなく、授業にはほとんど出ず、週に二回アルバイトの家庭教師に行くほかは家で寝ているか喫茶店にいるかだった。

生きているという実感のようなものはほとんどなかったけど、そんな自分をかろうじて世界に繋ぎ止めていた生命維持装置のようなものが、エヴリシング・バット・ザ・ガール(というかトレイシー・ソーンやベン・ワット)などの音楽だった。日本で「ネオアコ」などと呼ばれていた(いる)これらの音楽は、ボサノヴァの影響を云々されることが多かったので、当時ボサノヴァなるものを聞いたこともなかった私は、こういう音楽がボサノヴァっぽいのだと信じ込んでいた。

当時、音楽はもっぱら聞くばかりで、弾くことはできなかった。弾いてみたいという気持ちはあったけど、フォークギター的なローコードは多少知っているだけで、ジャズで使われるようなテンションの入ったコードのことは知らなかったので、一体どうすればこういう「ボサノヴァっぽいギター」を弾けるようになるのか、皆目見当がつかなかった。

話をもどす。しばらくすると、岸さんがラティーナに追悼文を寄稿するとのツイートが流れてきたので、発売されるとすぐに買って読んだ。

岸さんは、ボサノヴァは、その単純性・抽象性・合理性により世界に広がっていった、という。それは間違いない。

もう一つ。ボサノヴァはその合理性により花や、夏や、木陰などの自然と「会話」ができる、という。
これは、直感的にはそうだと思うのだけど、なぜそうなのかはうまく説明できない。
それに、それは、ささやくような歌い方(「会話」だし)や曲自体の魅力とかによるところも大きいのではないか・・・。
でも、そういう魅力的な曲が他のジャンルで表現されたときと、ボサノヴァで表現されたときの「違い」がボサノヴァの特性(単純性・抽象性・合理性)に起因し、そしてその「違い」が「自然と会話できる」ところにあるのなら、「ボサノヴァはその合理性によって自然と対話できる」と言えるのではないか(やっぱりうまく説明できない)。

ジョアン・ジルベルトの唯一無二の素晴らしさは、ボサノヴァという「表現の言語」を創造したことに加えて、その単純性・抽象性・合理性を、余分なものが一切ない純粋な骨組みとして感得できるよう、現実の音楽として具現化したことにあると思う。

などといいながら、そんな認識を持つようになったのはわりと最近のこと。
就職してまもなく、ネオアコに影響を与えたというボサノヴァなるものの正体を知りたくて、「ゲッツ・ジルベルト」やナラ・レオンの新譜を買って聞いてみたけど、あまりぴんとこなかった。
90年代には「ジョアン・ジルベルトの伝説(ボサノヴァ創世記の録音群を収録した編集盤)」を聞いて、あまりに曲数が多いのでなかなか呑み込めなかったけど、それでもずいぶんボサノヴァというものの本体に近づいた感じがした。
そして、「三月の水」を買って聞いたのはわずか数年前のことに過ぎない。それでも、とうとう「源泉」にたどり着いたという気がした。これが流れ流れて、大きく形を変えはしたものの(ベン・ワットのギター演奏スタイルはボサノヴァとずいぶん違う)、これこそがあのときの自分を世界に繋ぎ止めていたのだという感慨があった。

こんなふうに、ジョアン・ジルベルトの音楽には大幅な周回遅れでたどりついたに過ぎないので、哀悼の気持ちもどことなく間接的なものとならざるを得ないのだけど、自分を救ってくれた音楽の大いなる源泉に対して、心から感謝の意を表したいと思う。

ネットや書籍にいろいろ情報が出回るようになったおかげで、今では私もボサノヴァを曲がりなりにも弾き語りすることができるようになった。
で、弾き語りしながらときどき思う。
これがあのとき自分をかろうじて世界に繋ぎ止め、救ってくれたものなのだと。
あのとき、こんなふうに弾き語りできていたらどうだっただろう、と思うこともある。考えても仕方がないことだとわかってはいるのだけど。
で、我に返るとまたギターを弾いて歌って、今現在の人生を生きる。