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【詩】風葬

ウィキペディアで風葬を調べると、具体的な事例がいろいろあるわけですが、ここでは単に風に葬られるという意味だけで使っています。そんなのが許されるのかどうかは皆さんにご判断いただければ。

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風葬

真っ白に輝く遠い山並みは
青空の表面にハイライトを入れ
薄茶の砂はゆるやかなドレープを描き
群青の海は白いレースをまとう

この誰もいない海岸に
限りなく広がるうつくしい方角を
身体は魚眼レンズのように
溢れても溢れても取り込み続けた

冬の北国の海といえども
いつも灰色に塗りつぶされているわけではなく
まぶしい光の日には
裸の樹木や海食崖さえも
隠されたテクスチャーを露わにする

天気予報の悪戯のせいで
当てが外れてしまったけれども
握りしめた切符に導かれたならば
あとは静かに向き合えばよい

こんなにも透き通った海と空に
ただ眼を閉じて身体をゆだねれば
魂の最後のひとしずくまで希釈されて
悼む言葉もないまま風に葬られる


還暦÷3

ついでに20歳の頃のことを思い出しながら作った詩も載せてみる。

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軌道

この街の三月は春だから、夜の電車の窓に映り込んだまなざしは楕円の軌道を描いて合わせ鏡の奥へと遡っていく。限りなく遠い接点。やわらかな色彩の座標は季節はずれの服のように居場所をなくす。うち捨てられた旗はかわいた雪にゆれて、トラックのさびた残骸は化石のように凍りついている。そして無人駅の廃屋へと続く道が残されたただ一つのものだった。それでも明滅する言葉は幼いかたちのまま降り続けていて、ほんの少しだけぬくもりを帯びることがあったかもしれない。やがて冬の太陽が定刻の合図を送ると、鉄橋の下をゆるやかにうねる河から血の気が失せて、列車は送電線の鉄塔に導かれて地平線の彼方へと姿を消していく。取り残されたわたしの方角は大きな弧を描いて回帰し、どうしようもなく離れていく軌道から眺めているのが同じ闇なのかどうかもわからなくなってしまう。


還暦÷2

あと数日で誕生日。なんと還暦。
60歳。どうにもこうにも実感が湧かない。
30歳を2回生きたことになるなんて。いやはや。
ところで30歳の誕生日をどう過ごしたのか。全然覚えていないし日記とかつける習慣もないので記録もないけど。
その頃は、最初に就職した東京からUターン転職で札幌の実家に戻ってきていて、北海道内(札幌を除く)の商店街を出張して回るような仕事をしてました。
結局札幌にいたのは4年くらいで、また東京に転職して今日に至るのですが。

その頃のことを思い出しながら数年前に書いた詩なぞ。

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どこでもない町

音もなく波打つ灰色の海をまとって
車は霧雨の道を流刑のように走り続ける
睥睨する断崖を首をすくめてやり過ごすと
どこでもない町の一週間が始まる

そこでは埃の匂いのするソファに座り
郷土の名士の色褪せた肖像写真に囲まれて
にこやかに訳知り顔の世間話をしたり
黙々と渋面のキーボードを叩いたりする

昼下がりの岬を見晴るかす緩やかな斜面に立てば
ことばは白く輝く水平線の彼方から、
このきれいに生えそろった若草の芝生へと届くだろう
あらゆる世界から隔絶しているどこでもない町は
それでもなおあなたの引力圏にあり
たとえ途方もなく長大ではあっても
楕円軌道を描いているはずだったのだから

しかし、ことばは断崖の向こうで身もだえする海岸線に拘束され
海霧や横殴りの風に傷ついて
とぎれとぎれの雑音にかき消されてしまう
そしてわたしは海からも取り残される。

傾きかけた日差しが物憂げな頃になると
放課後の子供たちが遊ぶのが聞こえてくる
五時のチャイムが夕焼けに浸された町に漂うと
みんなそれぞれの家に帰っていく

わたしはどこの町に帰るのだろうか

次の週には塩まじりの冷たい風にまみれて
車はまばらな灌木の道を走り続けるだろう
まなざしが灰色の海霧に溶け出す方角には
どこでもない町がとりとめなく漂っているだろう


福島桃購入出撃作戦+α敢行

GWの北海道旅行について書いてから一ヶ月さぼってしまった。

東日本大震災よりも前のことだから、もう十年以上経つことになるのだけど、知人から一切経山がお勧めと教わって、とある夏に行われた勤務先の職員旅行で山形の赤湯温泉に行った帰りに福島で一人途中下車してレンタカー借りて一切経山に赴き、帰り道にたまたま立ち寄った農協か何かの桃の直売所で試食した桃が死ぬほど美味かったんですよね。一文が長い。
というわけで、いつか福島の美味い桃を箱買いしてやろうと思って早十数年。ようやくその時がやって来ました。

・・・といっても、さすがに桃だけ買いに行くのも芸が無いので、いくつかのイベントを抱き合わせ。もっとも、ここ数日やたらと暑くて熱中症になりそうだから、山登りはなし。

(今回は全然写真を撮ってないので、テキストばっかりだけどご容赦ください)

【一日目】
まずはいわきの小名浜を目指す。首都高を走るのはいつも難儀だけど、事前にストリートビュー等でみっちり予習したので合流や車線変更もスムーズにこなし、比較的道が空いていたこともあって、つつがなく常磐道までたどり着いて一安心。
小名浜ではうろこいちという海鮮料理の店を訪れる。テレビでメジャーリーグの試合をやっていて、大谷が三振をバシバシ決めていたけど試合は2対0で負けていた。今日もいわゆる「なおエ」というやつらしい。料理はうにいくら丼を注文。美味しかった〜。でもかつおも食べたかったな。。。
その後、福島市方面に移動。当初は福島駅近くの東横インに泊まるつもりで一旦予約もしたのだけど、晩飯に何を喰うかがなかなか決まらなくて。ふと思いついたのが、米沢まで足を伸ばして、なみかた羊肉店めえちゃん食堂で義経焼を喰うこと。でも、それだと福島に車で戻ってこなくてはならないのでビールが呑めないな・・・と思っていたところ、米沢の東横インがめえちゃん食堂のすぐ近くにあるではないか! というわけで米沢に泊まることに。めえちゃん食堂では義経焼の生ラムバージョンをいただきました。文句なしにうまかった。
【二日目】
桃購入出撃作戦開始ということで米沢から福島に向かう。まずは直売所あたごを目指して、事前にストリートビューで予習した道を快調に進んでいたところ、なんと途中の橋が通行止めに。仕方なくYahooカーナビに従って走ってみたけど、わけのわからない細い道を行かされて半泣きに。苦労した挙げ句にたどり着いたら、なんだか人があふれかえっているし、車を駐める場所もない。
こりゃだめだと思って、二の矢である保原営農センターに向かう。こちらは駐車スペースがはるかにでかく(それでも車で一杯だったけど)、行列の長さも許容範囲ということで、こちらに並ぶことに。それなりに待ったけど、なんとかゲット。一箱11〜12個入りで何と600円。選果場ではねられた規格外品ということなんだろうけど、味に違いがあるわけでもなく、超お買い得。一人一箱までだけど、まあそんなに大量に買っても仕方がないので、これで十分。
桃以外のものも見てみようと思って、JAふくしま未来 みらい百彩館『んめーべ』に立ち寄ったら、巨大な駐車場には車があふれかえって周辺の道は渋滞しており、店の前の行列もすごいことに。「でもこの行列って桃を買う人でしょ? 私は桃じゃないから関係ないもんね〜」と思って店に入ろうとしたら、なんと入店そのものが規制されてた。。。というわけで戦利品ゼロですごすごと撤退(しかも渋滞)。
その後はあっさり高速に。昼飯は上河内SAで宇都宮餃子を食って、そのまままっすぐ帰宅。

一泊二日だけど、なかなか美味しいもの三昧の旅ではありました。

桃は少しずついただいていますが、さすがに収穫したての香りは素晴らしいですね。買った当日はちょっと固かったけど、翌日には少しずつ柔らかくなってきました。味は個体差があるけど、美味しいのは美味しいです。


北海道自家用車旅行その25〜帰還

というわけで無事帰ってきました。

八戸から首都圏までの700キロのドライブは旅の疲れや前日の寝不足もあってかなりへろへろだったけど、こまめにSAに寄って休みを取り、昼食後は1時間昼寝するなどの対策を講じてなんとか乗り切りました。

自宅の駐車場に車を止めて車を降り、地元の見慣れた商店街を歩くと、非日常から日常への切り替えがあまりにも急過ぎて、先ほどまでの6日間の旅行は一体なんだんたんだろう?と狐につままれたような呆然とした気持ちになりました。

そう。今回は5泊6日という、かなりの長旅だったんですよね。うち船中泊が2泊だけど。
走行距離は2914.9キロ。1日あたり約500キロ。まあよく走りました。
もちろん、首都圏から八戸が長いんだけど、道央と道東との往復もなかなかのもんです。
31年前の北海道自動車旅行でも、だいたい1日あたり500キロ走っていたので、北海道を走るというのはそんなもんなんでしょう。

これだけ走れば満腹状態、当面長距離ドライブは勘弁、ということになるのではないか。。。などと思っていましたが、そんなことは全くありませんでした。
さすがに帰宅後数日はぐったりしてましたが、疲れが取れたら、またどこか遠くに行きたい!という気持ちがふつふつと湧いてきて。
たぶん秋にはまた自動車旅行をするでしょう。北海道というほど遠くではないにしても、まあそこそこの遠さのところへ。

いやほんと、車買ってよかった〜。