新丸子のHanaCAFE nappa69で晩ご飯を食べてきた。
夜に来るのは初めてだったけど、和める空間でいただく根菜のカレーとコーヒーは本当に美味くて、仕事帰りの疲れた身体と心に沁みた。
また平日に晩ご飯食べに来よう。
月別アーカイブ: 2014年9月
元を取る
少し前に読んだウェス・モンゴメリーの伝記に、子供の頃に高いお金を払って買ったギターの元を取ろうと必死に練習して上達した、といったことが書いてありました。
うーむ。自分にはどうもこういう部分が不足しているんですよね。
裕福な家に生まれ育ったわけでもないけれど、ピアノはあったんで、楽器があるのが有り難いという感覚が薄いということなのかな。
教則本とかもそう。
子供の頃はあまり本を読む習慣もなかったけど、大学の頃からはずいぶん読むようになり、本もいっぱい買うようになったんですが、音楽を始めてからは同じ調子で教則本もあれこれ買うようになったんですね。
でも、教則本は基本的に繰り返し練習して習得するためのものだから、普通の本を読むようなペースで読了しても仕方がないわけで、そんなものを普通の本と同じようなペースで買い続けたら、ひどい積ん読状態(「読」じゃないけど)になるのは当然の話。
でも、ついつい買ってしまう。アマゾンとかが出来てからは、この傾向はますますひどくなったような。
まあ、おかげで良い教則本はいっぱい手元にあるので(良くないのもあるけど)、あとは自分次第、やる気さえ出せばいろんなことができるようになるでしょう。
でも、そんなにあれこれやる時間はないんですよね。良い曲を作ったり、弾き語りの練習をするだけで、もういくら時間があっても足りないという感じで・・・。
何はともあれ、やれることを一所懸命やって結果を出すのが、元を取る一番の早道なんでしょう。結果としてムダな買い物はいっぱいあったということになるけど、過ぎたことはしょうがない。
シューシャイン・デイ
子供の頃、家の本棚に並んでいた暮らしの手帖(1960年代のもの)を愛読していたのですが、その中で確か「今日はシューシャイン・デイ」とかいうタイトルの記事がありました(これも含めて以下もぜんぶうろおぼえ。間違ってたらすいません)。
「天気のいい秋の日曜日には靴を磨きましょう」みたいな書き出しに感化されたのか、今でも秋晴れの週末になると、日頃さぼっている靴磨きをやらなきゃという気分になるんですよね。
記事の中身は、都心(八重洲だったか丸ノ内だったか銀座だったか)の路上の靴磨き職人に靴の磨き方を教わるというものでしたが、その手順は、
1.ブラシや布で汚れを落とす。
2.汚れ落としクリーナーで汚れや古いクリームを除去する。
3.乳化性クリームを少量とって靴全体に広げ、磨く。
4.油性クリームを少量とって靴全体に広げ、磨く。
5.ぼろ切れをいらなくなったパンストでくるんだもので磨き上げる。
という感じ。
マニアックな靴好きでもなければ、今でもこのやり方は十分通用するんじゃないでしょうか。というか、私は油性クリーム(今ではワックスと言うのかな)は使わないなー。めんどくさいし、顔が写るほどピカピカなのもそんなに好きじゃないし。
何はともあれ、そんなわけで久々の靴磨き。今回はプライベートで履く2足を磨きました。どちらも一生物だと思い込んでます。
■Paraboot Chambord
この形の靴は心底気に入っていて、20年以上前からいろんなメーカーのものを履き続けてきました。その中でもこれがいちばんごつい感じで好きかな。できれば一生履き続けたいけど、だめになったら同じものを買うと思います。
■Trippen Tyler
こちらは最近買ったものだけど、Parabootに負けず劣らず気に入ってます。高さがあって靴紐の存在感もありながら、バイクブーツやワークブーツみたいなハードな感じが全くないのが良いです。
実は仕事用の靴もしばらく磨くのをさぼってるんだけど、今日はもういいや。
音楽における競争
「文化系のためのヒップホップ入門」という本を読み始めたら、しょっぱなの方でこんなことが書いてありました。
「ヒップホップは音楽ではない」(中略)ずばり、一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです。
なんとなく、自分がヒップホップに入り込めない理由がわかったような気がしました。
自分が音楽に求めているのはゲームでもコンペティションでもないな、というか。
競争そのものが嫌だというわけでもありません。
例えばスポーツをやるのは基本的に好きで、小学校の頃は野球、中学校の頃は卓球、高校〜大学にかけてはソフトボール、社会人になってからはテニスに親しんできました。どれもレベル的には全然たいしたことなかったけど、試合になれば勝とうと必死になったし、負ければすごく悔しかった。
大学2年くらいで引退したテレビゲーム(ゲーセンに置いてある据え置き型のやつ。家庭用テレビゲームには手を出したことがない)も、自分が得意なゲームで他人がハイスコアを出しているのを見るや、自分がさらに高いスコアを出すまで飽くことなく100円玉を放り込み続けたもんです。おかげですっかり目が悪くなってしまいましたが。
なんですが、どうも自分の音楽に対する嗜好は、競争的なものが入り込むのをあまり好まないようなんですよね。
もちろん、AよりBが好き、みたいなことは当然あるけれど、別にそれは競争という文脈ではないと思います。
XTCとプリファブ・スプラウトはどっちが好きかと言われたら、どっちだ、という結論が出たり出なかったりするけれど、
結論が出たとして、それは「競争」なのか、と言われると、結果としてそうだと言えないこともないけれど、やっぱり違和感がある。
「文化系のためのヒップホップ入門」では「ナンバーワンじゃなくてオンリーワンになればいい!」という言葉が否定的というか揶揄的に使われています(日本の風土はそうだ、という客観的事実を指摘したまでということかもしれませんが)。
「オンリーワン」が自分が自分であるというだけで自動的に成立してしまうものを指すのなら、それは(本人や近親者にとってはともかく)あかの他人にとっては別に価値ではないとは思うけど、よく「ワンアンドオンリー」とかいう言葉で称揚される音楽の価値ってそういうものではないと思うんですよね。
「ワンアンドオンリー」な音楽を作り上げるにあたって、他人の音楽を意識しながらレベルアップすべく努力することもあれば、自分自身と闘いながら求道的に極めるということもあるでしょう。それは広い意味での競争心かもしれないけど、ゲームとかコンペティションといった狭義の競争とかとはなんか違う気がするんですよね。
だんだんまとまらなくなってきたので、例によって唐突におしまい。
ちなみに、「文化系のためのヒップホップ入門」はまだ途中までしか読んでないけど、面白い本ですよ。
アーチトップの削り出し
例えばアーチトップギターのトップの作り方。
合板のものはプレスで成形してアーチをつけますが、高級なものは単板を削り出してあの形を作り出します。
(フィードバック対策として敢えて合板を使うということもあるので、合板イコール安物というわけではないけど、単板削りだしは安物では無理)
・・・ということは知ってましたが、削り出しって具体的にどうやってやるのかなと思ってました。
答えがここにありました。
こりゃすごい。まじで「削り出し」てるよ!
でも、凄いスピードでこんなふうに削り出せるのは、腕前もさることながら道具も良い物をしっかり手入れして使っているからなんだろうな。というかノミもカンナも自分で作ってるし。すげー。
出来上がりはこちら。
トップの裏側もこんな感じ。高精度で厚みを出すとともに、ブレースがぴったり接着できるよう滑らかに仕上げると。いやはや。