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私の平成十大ニュース

※久々のエントリーですが、昨日ツイッターに投稿したものの転載です(若干編集はしていますが)。

【私の平成十大ニュース~はじめに】

finalventさん「とある私の平成史(仮題)」を書き始めているとのこと。ぜひ読んでみたい。私も何か書けたらいいのだけど、「史」の名に値するものは無理なので、「私の平成十大ニュース」くらいにしておこうっと。

【私の平成十大ニュース(1)~Macとモデムを買ってニフティに加入(平成元年)】
私にとっての昭和と平成の区分は単純で、昭和はネットがなかった時代、平成はネットがある時代。とにかくネットは私に計り知れないものを与えてくれた。ネットがなかったら今ごろ私はどういう人生を送っていたか、うまく想像できないけど、きっとずいぶんしょぼい人生だったんじゃないか。

【私の平成十大ニュース(2)~音楽を聞く側から演る側へ(平成元年)】
平成元年にMacとともにMIDI音源とシーケンサーを購入し、ちまちまと打ち込みを始めたことが、現在に至るまでの音楽活動の出発点だったことが、いま振り返ると痛感される。ずいぶん細くて長い道のりだったけど、ずいぶんあれこれやってきたもんだ。

【私の平成十大ニュース(3)~二回の転職(平成三年、七年)】
生まれ育った街の大学を卒業して東京に就職するも、6年勤めてUターン転職。故郷で4年勤めた後(と言いながらそのうちの一年は首都圏で研修だったのだけど)、またしても首都圏に転職。「いつになったら落ち着くのかねえ」と両親は気が気でなかったらしい。

【私の平成十大ニュース(4)~父の死(平成八年)】
二度目の転職のちょうど一年後に父親が肺癌で逝去。雪国の一戸建てに老母(といっても当時60代半ば。今思うと全然若かった)一人置いておくわけにはいかないと思い、首都圏に呼んで生家は処分。なんだか橋を焼いた気分だった。

【私の平成十大ニュース(5)~人生唯一の洋行(平成九年)】
「洋行」とは古めかしいけど、実はこれまでの人生で日本を出たのはたった一回きり。仕事で二週間アメリカに出張したのだけど、印象に残っているのはボストン美術館のカフェで昼下がりにサンドイッチ食いながらぼーっとしてたのと、ニューヨークのイートイン付きベーカリーで早朝デニッシュ食いながらぼーっとしていたこと。そういえば世界貿易センタービル最上階のレストランも行った。

【私の平成十大ニュース(6)~「黒木のなんでも掲示板」(平成十年)】
その後の自分の知的基盤に甚大な影響を受けた場所。(まともな)反緊縮も源流をたどれば山形浩生さんが紹介したクルーグマン論文に行き着くだろうし、田崎晴明さん他が翻訳した「知の欺瞞」でポストモダンときっぱり縁が切れた人も多かったのでは。最近の岸政彦さんの活躍ぶりも素晴らしい。ところでここを教えてくれたもとはしみほさんは今どうしているのであろうか。

【私の平成十大ニュース(7)~アンプを作った(平成十二年)】
今から二十年近く前はオーディオアンプやスピーカーをさかんに自作してた。ネットで知り合ったエレクトロニクス関係のエンジニアの方々に刺激を受けて、高校の数学や物理をやり直したり、電気回路の専門学校の教科書を勉強したり。最近はオーディオと縁が切れかかっているけれども、また遊んでみたい。

【私の平成十大ニュース(8)~彼女ができた(平成十六年)】
恋愛と無縁な人生というわけではなかったけれど、「付き合っている」と言えるほど安定した関係が長続きしたこともなく、これからもこんなふうにして年を取っていくのかなとぼんやり思っていた時、なんだかリアルワールドでの出会いがあって、今なお付き合いが続いているのは不思議な感じ。

【私の平成十大ニュース(9)~音楽を創る側へ(平成二十三年)】
作曲に憧れて、ニフティ時代にオリジナル曲を創る人が集うMIDIオリジナルフォーラム(FMIDIORG)の末席を汚してはいたものの、結局その当時は一つもオリジナル曲を作ることができなかった。その後十数年が過ぎて作曲活動が曲がりなりにも軌道に乗り、オリジナル作品をまとめてCDにしたのが平成二十三年。

【私の平成十大ニュース(10)~詩を書き始めた(平成三十年)】
こうやって平成の30年間を振り返ってみると、ニュースは前半に集中しているみたいだけど、前半に蒔いた種子が後半実って、いま一所懸命収穫しているという感じ。そんな中、一年前から通い始めた文月悠光さん詩の教室は久々の新たな種蒔きになるのかも。何が収穫できるか楽しみ。

【私の平成十大ニュース~おわりに】

あまり深く考えずに自分の平成時代を振り返ってみたわけですが、なんだか妙に明るいな。世相を振り返ると、テロやら災害やらいっぱいあったし、何よりも30年のうち20年は「失われた20年」だったわけで経済もずいぶんひどかったのに。思い出は美化されるということを別にして、おそらく人生の基盤が決定的に損なわれるということがなかったということなのでしょう。そういう意味では、平成はまずまず幸運に恵まれた30年だったと言うべきなのかもしれません。

次の元号の時代もつつがなく過ごせたら良いな。

というか、生きているうちに次の改元を迎えられるかな。