月別アーカイブ: 2020年2月

Pomera対iPhone〜11年前の選択肢の振り返り

finalventさんの極東ブログに、2/21付であなたの時間を吸い取る「果てしないプール」という記事が上がっていた。
twitterなどSNSを完全にやめはしないにしても、距離をとろうとしているということらしい。確かに最近twitterであまりお見かけしないなと思っていたけど、そういうことだったのか。

思い出したのは、2009年にpomeraを買った時のこと。
自分のブログを検索したら、当時のことはちゃんと書き残してあった。よかったよかった。

ネットでレビューをいくつか眺めてみましたが、何人かが指摘していたのが「現実逃避でメールとかウェブとかSNSとかをついつい見てしまうということがないため、原稿作成に集中でき生産性が高い」ということ。それはあるかもなー(笑)。

記事には書いてないけど、実はもう一つの選択肢がiPhoneだった。
当然ながらiPhoneの方がデジタルガジェットとしては魅力的で話題にもなっていたし、テキスト入力ツールとしてもフリック入力にチャレンジするのも面白いかなと思ったりしていたように記憶している。

それでも結局pomeraを選んだのは、結局のところ「ものを書ける(創れる)人」になりたかったんだよなー。「読むだけの人」ではなくて。
もともとものを書くことに苦手意識が強かったし、そもそも「創造の苦しみ」に耐える堪え性も足りない人だったのだけど、そこを抜け出すには、「自分で創らない限り自分を楽しませることはできない」環境に自らを強制的に追い込む必要性を感じていたんだと思う。

※余談だけど、当時仕事で某シンクタンクの人と雑談したときに、その人が「最近iPhone買ったんですよねー」といいながら何となく誇らしげにブツを取り出したので、「私はpomera買いました」とブツを取り出したら、なんだか微妙な空気が流れたような記憶が。

その2年後にささやかながら自主制作CDを完成させることができたわけだけど、そこに収めた10曲の歌詞は全部pomeraで書いた。
これがiPhoneだったらどうだっただろうか。なんとも言えないけど、書き通せた可能性はpomeraよりは小さかったと思う。

その後、2011年にpomeraはMacbook Airに取って代わられ、2017年にはとうとうiPhoneを買ってしまった。
危惧した通り、SNSをだらだら見ることに少なからぬ時間を費やすようになってしまったけど、それでも平日の朝にサンドイッチ屋で詩を書き続けたりすることができているのは、pomeraを使っていた2年間があったからだと思っている。

とはいいながら、2015年に2枚目の自主制作CDを作って以来、曲を作ろう作ろうと思いつつ全然できていないのは、やっぱりiPhoneをいじって無駄な時間を過ごしているからではないのか、などと思っていたところに、finalventさんの上記記事を読んだわけですよ。
今一度この11年間を振り返って、今後どうするか考えてみる良い機会かもしれない。


戦前の文芸雑誌なぞ買ってみる。


古本屋巡りのような趣味はないんですが、戦前の詩をあれこれ読んだりしていると、面白半分かつお手軽にオークションとか「日本の古本屋」とかを検索したりするんですよね。
そうすると、時々なんだか面白そうなものが眼について、ついポチッとやってしまったりするわけです。まあ、まだそんなに高くないものを数冊ゲットしたくらいですが。
今日はそんなふうに手に入れた戦前の雑誌を2冊ほど紹介。

■新若草詩歌集
若草については以前にも書いたけど、は、戦前に少女雑誌から派生した文芸雑誌です。
詩歌の投稿欄が充実していて、そこからよりすぐった(たぶん入選とか佳作とかの)作品をまとめたのがこの歌集。
冒頭の「序」はこんな感じです。

曩に「若草・五周年記念」として出版された若草詩歌集は、異常な反響を以て迎へられた。
本書はその後、今日に至るまでの秀篇を以て、再び世に問ふ第二次・若草詩歌集である。

この十年にも足りない期間には、我々は幾多の大事件を経験し来り、今又茲に、東亜再建設の為の聖戦に、挙国一致の緊張の中に在るのである。この時代の推移は、この書にも亦窺ひ得られて、感一入深きものがあらう。

或は溌剌たる青春を謳歌し、或は時代の苦悶をうたった、この書の作者の中には、既に鬼籍に入り、また今事変に雄々しく出征された幾多の友のあるを聞く。
さはれ、
本書を心の糧にして、読者諸子の多幸ならんことを−−−

二五九八年盛夏
編者

5年前に「第一次」が出版されていたようです。二五九八年というのは皇紀というやつですね。西暦で言うと1938年ということで、やはりすでに中国で戦争に突入していた世情が色濃く反映されています。
作品を見ても、例えば

 日支交戦の号外村に入りてより新聞申込とみに殖えたり
 守備隊の将校の兄の身上をおもひ憂ひて号外を買ふ

などといったものが散見されます。

注目は当時まだ早大生だった鮎川信夫と森川義信の初期作品。それぞれ「伊原隆夫」「鈴しのぶ」というペンネームで載っているのだけど、なんかほほえましいというかかわいらしい感じ。

でも、この数年後に森川はビルマで戦病死し、鮎川はボルネオから帰還して森川を悼んだ「死んだ男」を書くという−−−

■セルパン 昭和6年6月号
ヤフオクで「伊藤整」をキーワードに検索していたら引っかかってきたのがこれ。目次を見ると「チャタレイ夫人の恋人 D・Hロオレンス 伊藤整」と書いてあります。そんなに厚いとも思えない雑誌に小説本体が載っているとも思えないし、何が載っているんだろう??と思いつつ、目次をさらに眺めていたら、左川ちかの「海の花嫁」が載っている!! 左川ちか詩集の巻末にある初出一覧を確認したら、左川ちかの詩が載っているセルパンはこの号だけらしい。
というわけで入札してみたところ、あっさり落札できました。うーむ。

左川ちかの「海の花嫁」は作品自体はもちろん知っているけど、こうやって初出媒体を見ると何か不思議な感じ。

伊藤整の「チャタレイ夫人の恋人」はあらすじでした。小説自体も読んだことなかったので、へーそういう小説なんだーと勉強になりました{ネタバレだけど)。もっとも巻末の編集後記で春山行夫に

ロオレンスの道徳観と描写が省略されているので、テキストからは可成り離れたものとなった感がありますが、本稿では筋の構造が人物のどういふ配置からできているかを輪郭的にスケッチしたものとして役立てば仕合せです。

などと微妙にちくちくやられていますが。