月別アーカイブ: 2016年5月

芋づるたどってくらくら。

最近、思いがけないもの同士がつながってくらくらするような感覚を覚えることが増えてきたような。年のせいかな。

たとえばfinalventさんの書評を見て興味を持って読んだ「遙かなノートル・ダム(森有正)」の巻末の年譜を見ていたら、こんな記述に出くわしました。

1915年(大正4年)4歳
妹・綾子生まれる(反核・平和活動家で、原爆の図丸木美術館館長もつとめた関屋綾子)。

この美術館の名前はなんだか見覚えがある、と思ってたどっていったら・・・ここにこういう記述が。

後には栃木県下都賀郡野木町や埼玉県入間郡越生町に転居し、1987年には越生町大満に母スマと自身の絵を紹介する「オッペ美術館」を開館しました(現在は閉館)。

やっぱりそうだったか。yojikとwandaを初めて見たゲストハウスおっぺの前身ですね。

もう一丁。筑摩書房で「遙かなノートル・ダム」の装丁担当者だった栃折久美子という人の「森有正先生のこと」という本の冒頭にこんなことが書いてありました。

すぐ横のソファーに、当時まだ資生堂のデザイン部にいた石岡瑛子さんと私がいた。・・・装丁担当者として仕事をしていた私は、このブック・デザインを、まだあまり本のデザインをしたことのなかった石岡瑛子さんに依頼することを提案した。シャープで幾何学的なデザインをする人だったので、「筑摩的ではない」と社内に多少の反対もあったが、押し切って実現した。

いや、石岡瑛子という人については全然詳しくないんだけど、昔々雑誌Cutに石岡瑛子が映画ドラキュラの衣装デザインを担当してアカデミー賞を受賞した際のインタビューが載っていたのをたまたま読んだら、ウィノナ・ライダーについて、衣装のボタンを外しているのを注意しても言うことを聞かない、何もわかっていない馬鹿な小娘みたいなことが書いてあって、しょえーっと思ったことをなぜか未だに記憶しているという。
それにしても、なぜ筑摩書房が資生堂のデザイン部の人にブック・デザインを頼むことになったんだろう・・・。

というわけで、芋づるをたどっていくと思いもよらない変な場所にたどり着いたりするのは結構楽しい。
旅の土産じゃないけど、「遙かなノートル・ダム」で推奨されていた「音楽のたのしみ(ロラン・マニュエル)」と石岡瑛子の自伝「私 デザイン」はそのうち読むつもり。

  


「yojikとwanda、田井中圭と影山朋子 」@Cafe Muriwuiを見に行ってきた。

平日にライブを見に行くのって結構好きです。仕事の気分転換的な意味ですが。
というわけで、月曜から祖師ヶ谷大蔵のCafe Muriwuiに出かけてきました。

こちらでは何度も紹介しているyojikとwandaだけど、最近wandaくんの企画で胎盤じゃない対バンライブがシリーズ化しています。
いろんな人が登場するけど、印象としてはクラシカル(あるいはジャズかも)なバックグランドがあって、ちょっと実験的なところが共通しているような。
プログラムは、それぞれが演奏した後、全員で合奏というパターンだけど、人選が上記のような次第なので、合奏もちょっと刺激的な感じ。

昨日の対バンは田井中圭影山朋子という初めて見る方々。検索して最初に出てくる動画からわかるとおり、実験的なところと素直で素朴な感じのSSW的な面を併せ持った音楽のようです。

で、昨日のライブだけど、これはもう最後の合奏にとどめを刺す!という感じ。
大爆発したアンナ、水を打ったように静寂の極みの風の道。この振り幅の極大な感じは凄い。
二人のかなり違った個性のギタリストの組み合わせも絶妙な感じ。
何となくペンタングルを思い出しました。↓とか改めて聴いてみると音楽性というか印象はだいぶ違うけど、アンサンブルの組成は共通するものがあるような(ないような)。

個人的には4人でまるごとライブやってほしい。
あるいは何かレコーディングして形にするとか。
そのくらい大きな可能性を感じました。


ロニー・レインとギャラガー&ライル

先日書いたギャラガー&ライル(と彼らが在籍していたマッギネス・フリント)のCDがどかっと届きました。
早速iPodで毎日通勤中に聴いて幸せな気分に浸ってます。

さて、ギャラガー&ライルは、フェイセズを脱退したロニー・レインが作ったバンド、スリム・チャンスに一時期在籍していたことがあります。
その頃に制作されたロニー・レインの1stアルバム「Anymore for anymore」は、ギャラガー&ライルの弾くマンドリンやアコーディオンがいい雰囲気を醸し出していて本当に素晴らしいのだけど、これまたレコードしか持ってません。以前にはCDが出ていたが今は廃盤の模様です。再発されないかな。

その時期のライブ映像が何曲かYouTubeに上がってます。
■How come。ロニー・レインのソロ・デビュー・シングル(だっけ)

■Deblis+Ooh la la。フェイセズのアルバムの曲。Ooh la laは最後に参加したアルバムのタイトルナンバーにしてラストナンバーですね。

■I believe in you。いま気づいたんだけど、これってギャラガー&ライルの曲じゃん。歌ってるのもライルだし。よく見たらアーティスト名が単なるSlim Chanceになってる。ギャラガー&ライルって(特に初期は)ほとんどライブやらないイメージがあって、この時期のライブ映像ってこれ以外に見たことないのだけど。

■そして「Anymore for anymore」に入っているTell everyone。

70年代後半以降は、多発性硬化症を発病して次第に音楽活動ができなくなっていきましたが、それでも90年には最初で最後の来日公演をやったりしてます。その頃はロニー・レインのことは全然知らなかったけど。97年に51歳で逝去。


松山で遊びまくってきた。

ごくたまに、「ここが分岐点だ」という感じがすることがあります。

たとえば、今から8年前、初めてyojikとwandaを見に越生の山奥に泊まりがけで出かけたとき
正直なところ、あのときは「これに行くの?本気?」みたいな気分が8割くらいだったように記憶しています。だって、yojikとwandaとはネットでちょぼちょぼとやりとりしたことがあるくらいで面識も何もないのに泊まりがけですよ?
でも、思い切って行ったら、今までとは違う道というかフェーズというか世界というか、そういう場所に行けるという直感が働いたんですよね。そして実際そうなった。
あのとき越生の山奥に行かなかったら、今どうしていただろう?と考えてみると、よくわかりません。もしかしたら結局は同じような道をたどったかもしれないけど、でもあのとき、確かにポイントが切り替わったような感覚はあった。

そこからさらに8年くらい前(ということは今から16年前か・・・)、松山のアーケード商店街でギター弾いて歌っていたグループが、四国の軽井沢(笑)といわれる久万高原でコテージを借りて、泊まりがけでギターを弾いて遊ぶという企画をネットで見かけたときも、同じような直感が働いたのでした。
ハードルという意味ではこっちの方が高かったかな。何しろそれまで松山はおろか四国自体一度も行ったことがなかったし、ネットでグループのメンバーを見ると、平均年齢はどうも自分よりも一回りかそれ以上下みたいだし。
でも、思い切って直感に従って行動してみたら、やっぱりそれは正解だった。
以後、年に何度も四国に足を運び、いっぱいいっぱい遊びました。ほんと楽しかった。

で、このGWに久々にメンバーが集結し、松山の野外活動センター(レインボーハイランド)(ここも2回くらい行った)で一泊二日で遊び倒してきました。
当時20台半ばだったメンバーも今ではみんな結婚して子供がいて、今回は家族総出で参加。いやー実に賑やかだー。
バーベキューやってギター弾いて歌って、晴れた二日目はキャッチボールやらキックスターターやらスケードボードやらやりまくり。締めはボウリング。もう筋肉痛と打撲(スケートボードで派手にこけた)でガタガタのボロボロですが、首都圏ではなかなかできないことがてんこ盛りでとことん満足しました。

メンバーは当時とは全く違う状況にいるのだけど、なんかみんなほとんど変わってなかった。
久しぶりに会えてほんと良かった。また会おう!

【以下は写真なぞ】
一日目、メンバーと落ち合う前に訪れた松山観光港のカフェ。やっぱり松山に来たら瀬戸内海も見なくちゃね。
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今回は魚眼レンズも持って行った。
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松山観光港にはもちろん伊予鉄で(終点は高浜で松山観光港まで連絡バスが出ている)。
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レインボーハイランドのコテージ。以前に泊まったのよりずいぶん立派なコテージだった。
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夜にバーベキューをやったところ。広いスペースがあって遊び場と化していた。夜はとんでもない土砂降りだったけど、屋根付きのスペースだったので助かりました。
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芝生広場。キャッチボールとか何年ぶりだかわかんないくらい久しぶりだったので、全然できなくなっていて愕然。
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締めのボウリング。すでに全身ガタガタボロボロだったけど、やっぱり楽しかった!
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