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トゥッカ(トゥーカ)の動画


Bonitaの弾き語りに取り組んで以来、トゥッカ(トゥーカ)という人のことがとても気になって、あれこれ調べたら、なんと動画があった!
全体をざざっと通して見たところでは、ものすごい振れ幅が大きいという印象だけど、中でもフランソワーズ・アルディに提供した「雨降りの中で」という曲の弾き語りがものすごく沁みた。
(その少し後に、フランソワーズ・アルディが唄ってトゥッカがギターを弾いている映像も出てくる)
あとでゆっくり見ようっと。


Bonita弾き語りました。

メネスカルが楽曲を聴いてみると、アルバムとして出すには、ピアノとチェンバロの伴奏があまりにも稚拙だと感じた。「トゥッカのハーモニーは間違っていたし、全然ボサノヴァになっていなかった。パリでは、ブラジルへの恋しさから、なんだって良く見えてしまうんだ。でもここブラジルであの状態で出すわけにはいかなかった。
(「ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズの真実」)
アルディは言っています。
「(中略)彼女(トゥーカ)の音楽は、いつもいささかむつかしく、何の妥協も許しませんが、そのおかげで私は、自分としてはおそらく最上の歌詞を書くことができました。」
(フランソワーズ・アルディ「私の詩集」のライナーノート)

いわゆる「ネオアコ」に触発されてボサノヴァなるものに興味を持ったのは大学生から社会人になったばかりにかけての頃だったように記憶しているけど(もう40年近く前だ)、何も知らないままボサノヴァの代表作だと思って最初に買った「ゲッツ/ジルベルト」がなんだかぴんとこなくて、次に買ったのがナラ・レオンの「イパネマの娘」という1985年の来日記念盤。その10年以上後に「元祖ボサノヴァ」とでも言うべきジョアン・ジルベルトのオデオン時代の三部作をまとめた「ジョアン・ジルベルトの伝説」を買うまでは、ボサノヴァのCDは上記の2枚しかなくて、もっぱらナラ・レオンの方ばかり聞いてました。

その後、今日に至るまでの二十数年間にあれやこれやといろいろ聞いて、それなりに知識も増えたわけですが(当社比)、割と後になってから(それでも今から十年くらい前かな)聞いたのがナラ・レオンの1971年の作品「美しきボサノヴァのミューズ(Dez anos depois)」。
ボサノヴァを生み出した環境で幼少期を過ごしながらも、自らの音楽活動は脱ボサノヴァ的な時代と立ち位置からスタートし、その後ブラジルの軍政の圧迫からパリに逃れた際に創った作品、というようなことはおぼろげながら知ってはいました。ボサノヴァの時代が過ぎ去ってから十年後(Dez anos depois)に遠い異国で唄うボサノヴァということで、深いリバーブのかかったしっとりと昏い(感傷的とも言えるかもしれない)音楽に魅力を覚えました。もっとも2枚組24曲というボリュームもあって、じっくり聞き込むというよりも通して聞き流すようなことが多かったのだけど。

その中でも印象に残っていたのが「Bonita」という曲で、今回軽い気持ちで自分のレパートリーに加えてみることにしたのですが、残念ながらナラ・レオンのバージョンの譜面は見当たりません。作曲者であるアントニオ・カルロス・ジョビン自身のバージョンの譜面がダウンロード販売されていたので購入し、併せてジョビン自身やジョビンとフランク・シナトラが共演した音源も聴いてみたのだけど、なんだかナラ・レオンの音源とずいぶん違う。もちろん男声と女声の違いやアレンジの違いもあるけど、どうもそれだけではなさそう。

そこで、ナラ・レオンのバージョンを自分なりに耳コピして、ジョビンの譜面と比較してみたのだけど、これがなかなか興味深い。
ジョビンのバージョンは、マイナー基調の前半と平行調のメジャー基調の後半に分かれいて、後半の方はめくるめく複雑な展開ではあるものの、全体としては構造が明確で「律儀」な印象を受けます。
一方、ナラ・レオンのバージョンは、前半と後半というような明確な分かれ方はしていないし、全体にとりとめなく浮遊感が強い印象。しかも、小節数もところどころ変わっていたりしていて、いわゆる「リハーモナイゼーション」というよりももっと創作、再作曲っぽいニュアンスを感じます。
このバージョンをナラ・レオンと一緒に創ったトゥッカ(トゥーカ)という人のことは今回初めて知ったけど、音楽学校を出ていて曲も作りアルバムも数枚出しており、ナラ・レオンのアルバムと同時期に出たフランソワーズ・アルディのアルバム「私の詩集(La question)」では”Direction Artistique”としてクレジットされ、アレンジとほとんどの曲の作曲を担当し、ギターまで弾いているような多才な人のようなので、ナラ・レオンのアルバムでも(少なくとも一枚目は)相当大きな役割を果たしているのだろうなと思われます。

そうであるなら、この創作・再作曲のポイントは何でしょうか。

この曲の歌詞はアメリカ人の書いた英語詩ですが(いきさつはWikipedia参照。なんか音楽業界ってこの手の話って多いですよね)、実は今回聞き込むまで曲全体が英語の歌詞だとは気づいていませんでした。「何聞いてるんだ」と思われそう。いや、途中で”I love you, I tell you,…”と唄っていたりするのは認識していたけど。。。まあ、その程度の聞き込み具合だったということで。
で、詩の内容はいにしえのアメリカのスタンダードナンバー的に王道で、男が恋する女に向かって「あなたは私に何を求めているの。あなたの望むことは何でもやるから行かないで。僕を愛して」云々と訴えるもの。なんともストレートな内容なのですが、その中でひとつ気になったのは、
like a soft evasive mist
you are, Bonita
というくだり。この歌詞で唯一知らない英単語はevasiveだったのですが、訳すと

とらえどころのない霧のよう
あなたは ボニータ

といったところでしょうか。
そしてアレンジ面でも、この歌詞の部分に入る前に一小節挿入して引き延ばされている上に、コードもIII/IV→IV7(9)→III/IV→IV7(#11)という謎めいた浮遊感の強いものが使われているなど、かなり特徴的な箇所になっています。

何となく思ったのは、ジョビンやシナトラのバージョンが「とらえどころのない霧のよう」な人に対して悶々と苦しんでいる気持ちを表現しているのに対して、ナラ・レオンのバージョンは音楽そのものが「とらえどころのない霧のよう」な存在になっているのではないかということ。そして、その唄をナラ・レオンが唄うことで、愛する側と愛される側のイメージが重なり合って複雑な味わいを醸し出しているようにも感じます。

とまあ、そんなことをあれこれ考えながら弾き語ってみました。


Wave弾き語りました。


前回から3ヶ月近く空いてしまいました。3ヶ月前というとコロナウイルスδ株が猖獗を極めていた頃だったかと思いますが、ずいぶん状況は変わったものだと思います。10月以降はごく親しい友人と少しずつ食事に行ったりするようになり、この一年半ほどいかにいろんなことを我慢していたかを身を以て思い知らされました。いやー会食ってほんと素晴らしいです。

というわけで、弾き語りも前回のEste seu olharから3ヶ月ぶり。こちらは割と短めのインターバルです。まだいろんな意味で自分には「音楽の肥やし」が足りないような気がしていて、少し頑張っていろんな曲に取り組もうとしています。
今回はWave。説明の必要もない有名曲ですね。結構私のレパートリーからは有名な曲が漏れていたりします。例えばSó Danço SambaとかMas que Nadaとか。まあそれでも好きな曲しかやる気はないですが。

私事ですが、ずいぶん長い間喉と鼻の調子が悪くて、安定して声を出すことが出来ず悩んでましたが、最近良い薬に当たったようで、だいぶ状態が改善されてきている感じです。
この動画でも、少しはまともな歌になっていればいいのですが。