十五周年

よく考えたらこのブログ、今年で十五周年だった。。。
最初の投稿は3月29日だから記念日でもなんでもありませんが(それにしても冬の野付半島の写真はほんと懐かしい…)、いま書かないとどうせまた忘れて、気がついたら来年になっているだろうと思うので、とりあえず書いておきます。

十周年のときも書いたけど、こつこつ続けたという実感は全くなく、続ける意思が希薄なままだらだらと続いてしまったという感じ。
それでも、あの頃なにやってたかな、とか、これをやったのはいつだったかな、なんて思った時にブログを検索することが増えましたね。
過去を振り返る頻度が増えるなんて、いかにも年寄りくさいけど、探した記事が見つかると、続けていてよかったなと思ったりもします。

ということで、まだだらだら続いていくと思います。
熱心にチェックしている人がいるとも思えないけど、たまには覗いてやっていただければ幸いです。


なぜ(現代)詩はわかりにくいか

去年の春から詩の教室に通い始めて1年半。
まがりなりにも月に一作ペースで詩を書く作業につきあいつづけながら、詩についてああでもないこうでもないと考えてきました。
そんな考えを、備忘録も兼ねてまとまらないなりに少しずつ吐き出していこうと思います。

現代詩の入門書を何冊か持っていますが、どの本も「現代詩はわからない、むずかしい」という見方が広く世間で共有されていることを指摘し、その原因について考察しています。
私も現代詩のわからなさ、むずかしさについてあれこれ考えてきましたが、それは結局のところ、現代詩が「『散文(性)』とは逆の方向性」といった、ネガティブ(「・・・ではない」という形)で、しかも程度問題な捉え方をするしかないところに原因があるのかな、というのが現時点での詩の初心者としてのおぼろげな認識です。
ここで「散文(性)」という言葉は、
「一つの明確な意味をあらわすために、言葉が手段化・透明化・黒子化すること」
という程度の意味で使っています(私の独自用法です)。
最も典型的なイメージとしては、文学的な散文というよりは、マニュアルとか契約書とかの方が近いかもしれません。

で、「詩」を「散文(性)」と逆の方向性を追求することにより、何らかの芸術的な価値を生み出すものとして捉えてみます。
上記の定義で考えると、大きく分けて以下の2つの方向性があることになります。
1)「一つの明確な意味」をあらわさない
2)言葉が不透明化することで「黒子=手段」ではなくなる
「現代詩マニュアル(野村喜和夫)」という本で「詩学キーワード」として列挙されているものをこれに従って分類してみると、1)には「曖昧性・多義性」「アナロジーとイロニー」「イメージ」「隠喩と換喩」「引用・翻訳・間テキスト性」「寓意・寓話」「コノテーション」などが含まれ、2)には「音韻・オノマトペ」「音数律」「定型」「余白」「リズム」などが含まれる、ということになるでしょうか。

というわけで、なぜ詩はわかりにくいかの一点目は、「散文(性)では「ない」もの」というネガティブな形であらわされる方向性がきわめて多様かつ雑多なことにあるのではないかと思います。
(つづく。。。のか?)


めずらしく卓球の話〜佐藤瞳選手

最近、日本の卓球、特に女子がすごいことになっているのは周知のことと思います。
きっかけは福原愛選手なんでしょうけど、今や世界レベルの若手が続々と現れてしのぎを削っているようです。
そんな中で私が注目しているのは佐藤瞳選手。北海道出身ということで元道産子としては無条件で応援してしまいます。私は中学生の頃(●十年前)には卓球部に所属していましたが、当時の北海道のレベルは決して高くなかったように記憶しています。いつから全国制覇する選手を輩出するようになったんでしょうか。
佐藤選手のプレースタイルはカットマン。女性なのになぜカットマン。でもカットウーマンだとなんだか変。カットパーソンだとさらに変。どうせ和製英語だろうと思って調べてみたら、英語ではチョッパーというらしい。ベーシストか(今ではスラップだよね。年がばれる)。プロレスか(もっと古い?)。
いずれにしても守備的なプレースタイルということになっているけど、とにかく拾いまくり、隙を見ては反撃するプレースタイルはすごくかっこいいです。
例えば、YouTubeに「Sato Hitomi – best rallies」という動画が上がっていて、どれも素晴らしいプレーだけど、特に佐藤選手のすごさが凝縮されたようなのが14分13秒からのラリー。ボディ、遠いフォア、遠いバックと3連発で無茶苦茶厳しく攻め立てられても見事にしのぎ切り、その後ミスを誘って得点するのは本当に凄い。

現状、日本では上位3人(伊藤、平野、石川)にやや水を空けられている感もあるけど、先日は札幌の大会で元世界ランク1位、リオ五輪金メダリストの丁寧に土をつけたりしているので、今後に期待したいです。


★ライブ! 日本語ボサノヴァ三国志 其の拾

【日時】
2019年11月17日(日)19時〜
【場所】
カフェ ムリウイ
〒157-0072 東京都世田谷区祖師谷4-1-22 3F
【出演】
♪OTT(vo.g)
♪東輝美(vo.g)
♪heli(vo.g)
【料金】
♪1,500円(1ドリンク別)
※カフェ ムリウイのイベントページはこちら
※heliのFacebookページはこちら(よろしければこちらから参加表明してください)

2010年に始めた「日本語ボサノヴァ三国志」も、とうとう今回で10回目となりました。
思い返すと、むかしむかしOTTさんがやっていたオープンマイクイベント「そっとナイト」が2010年6月に終了したあと、その精神〜飄々としたユーモラスな自由、とでも言えばいいでしょうか〜として受け取ったものを私なりに継承(というと大げさですが)していきたいと思い、同年11月にOTTさんをお誘いして「日本語ボサノヴァ霜月ライブ」として始めたのがことの発端でした。
その後、途中から東さんを交え、名称も「日本語ボサノヴァ三国志」となりました。
「そっとナイト」の精神は、今なおユニークな価値を持ち続けていると信じています。
ぜひ、多くの方に見聞きしていただければと思います。


岸政彦「奇跡の8ヶ月、あるいは海や花や風に到達するための合理的な方法」

ジョアン・ジルベルトが亡くなってから約1ヶ月経った。

ボサノヴァを作り上げた偉大な人の死は多くのメディアで取り上げられたし、ツイッターで「ジョアン ジルベルト」などと検索すると、哀悼のつぶやきが次々と流れてくる状態だった。
なにぶん88歳という高齢だったし(私の母親と同い年だ)、演奏活動を止めてから長い月日が経ってもいたので、突然の死にショックを受けるというよりは、来るべきものが来たと静かに受け止める人が多かったのではないだろうか。

そんな中、流れてきたひとつのつぶやき。

ああ。

こういう感じでジョアンの死を受け止めていた人はどのくらいいたんだろう。私の見た範囲ではあまり見かけなかったような気がするのだけど。

ということで、岸さんに倣う、と言うとおこがましいので、岸さんのツイートをトリガーにだらだらと流れ出た自分の記憶を書いてみる。

遠い遠い昔、大学二年生の頃、まったく孤独で精神的にどん底の状況にあった。客観的に見れば、親元で経済的に不安のない暮らしをしていたわけで、何がどん底だ、と言われると何も言えないけど、とにかく気持ちはどん底以外の何物でもなかった。やりたいことも将来なりたいものも何もなく、授業にはほとんど出ず、週に二回アルバイトの家庭教師に行くほかは家で寝ているか喫茶店にいるかだった。

生きているという実感のようなものはほとんどなかったけど、そんな自分をかろうじて世界に繋ぎ止めていた生命維持装置のようなものが、エヴリシング・バット・ザ・ガール(というかトレイシー・ソーンやベン・ワット)などの音楽だった。日本で「ネオアコ」などと呼ばれていた(いる)これらの音楽は、ボサノヴァの影響を云々されることが多かったので、当時ボサノヴァなるものを聞いたこともなかった私は、こういう音楽がボサノヴァっぽいのだと信じ込んでいた。

当時、音楽はもっぱら聞くばかりで、弾くことはできなかった。弾いてみたいという気持ちはあったけど、フォークギター的なローコードは多少知っているだけで、ジャズで使われるようなテンションの入ったコードのことは知らなかったので、一体どうすればこういう「ボサノヴァっぽいギター」を弾けるようになるのか、皆目見当がつかなかった。

話をもどす。しばらくすると、岸さんがラティーナに追悼文を寄稿するとのツイートが流れてきたので、発売されるとすぐに買って読んだ。

岸さんは、ボサノヴァは、その単純性・抽象性・合理性により世界に広がっていった、という。それは間違いない。

もう一つ。ボサノヴァはその合理性により花や、夏や、木陰などの自然と「会話」ができる、という。
これは、直感的にはそうだと思うのだけど、なぜそうなのかはうまく説明できない。
それに、それは、ささやくような歌い方(「会話」だし)や曲自体の魅力とかによるところも大きいのではないか・・・。
でも、そういう魅力的な曲が他のジャンルで表現されたときと、ボサノヴァで表現されたときの「違い」がボサノヴァの特性(単純性・抽象性・合理性)に起因し、そしてその「違い」が「自然と会話できる」ところにあるのなら、「ボサノヴァはその合理性によって自然と対話できる」と言えるのではないか(やっぱりうまく説明できない)。

ジョアン・ジルベルトの唯一無二の素晴らしさは、ボサノヴァという「表現の言語」を創造したことに加えて、その単純性・抽象性・合理性を、余分なものが一切ない純粋な骨組みとして感得できるよう、現実の音楽として具現化したことにあると思う。

などといいながら、そんな認識を持つようになったのはわりと最近のこと。
就職してまもなく、ネオアコに影響を与えたというボサノヴァなるものの正体を知りたくて、「ゲッツ・ジルベルト」やナラ・レオンの新譜を買って聞いてみたけど、あまりぴんとこなかった。
90年代には「ジョアン・ジルベルトの伝説(ボサノヴァ創世記の録音群を収録した編集盤)」を聞いて、あまりに曲数が多いのでなかなか呑み込めなかったけど、それでもずいぶんボサノヴァというものの本体に近づいた感じがした。
そして、「三月の水」を買って聞いたのはわずか数年前のことに過ぎない。それでも、とうとう「源泉」にたどり着いたという気がした。これが流れ流れて、大きく形を変えはしたものの(ベン・ワットのギター演奏スタイルはボサノヴァとずいぶん違う)、これこそがあのときの自分を世界に繋ぎ止めていたのだという感慨があった。

こんなふうに、ジョアン・ジルベルトの音楽には大幅な周回遅れでたどりついたに過ぎないので、哀悼の気持ちもどことなく間接的なものとならざるを得ないのだけど、自分を救ってくれた音楽の大いなる源泉に対して、心から感謝の意を表したいと思う。

ネットや書籍にいろいろ情報が出回るようになったおかげで、今では私もボサノヴァを曲がりなりにも弾き語りすることができるようになった。
で、弾き語りしながらときどき思う。
これがあのとき自分をかろうじて世界に繋ぎ止め、救ってくれたものなのだと。
あのとき、こんなふうに弾き語りできていたらどうだっただろう、と思うこともある。考えても仕方がないことだとわかってはいるのだけど。
で、我に返るとまたギターを弾いて歌って、今現在の人生を生きる。