月別アーカイブ: 2016年4月

祝!ギャラガー&ライルのファーストアルバム初CD化

枕で「ラビリンス/英国フォーク・ロックの迷宮」の話をしようと思ってアマゾンを見に行ったら、なんと電子ブックになっている!
CD-ROMにPDFが入っているという微妙な仕様がなんだかそれらしいです。

それはさておき、今から20年近く前に「ラビリンス/英国フォーク・ロックの迷宮」を買って読んで、見たことも聞いたこともないレコードが際限も無く紹介されているのに大きな衝撃を受けました。
ちょうどその頃、この本に載っていたマイナーな作品がぼちぼちとCD化されていたので、良いレビューが書かれていたものをいくつか試しに買って聴いてみました。バシュティ・バニヤンとか、シャーリー・コリンズとデイヴィ・グレアムとかですが、これがみんな大当たり!一気にこの本に対する信頼度がアップしたのでした。

そんな本のとあるレビューにこんなことが書いてありました。

コリン・ヘアとロニー・レーンの1st、そしてギャラガー&ライルの1stが私にとっての英国3大フォーク・ロック・アルバムです。初恋の思い出のように甘酸っぱいのです。

ほぉと思って真っ先に手に入れたのがコリン・ヘア。今思うと、コリン・ヘアが一番入手しやすいというのは何かがおかしいような気もしますが、これはまぁまぁという印象でした。いや、決して悪くないというか良い作品なんですが、私はどっちかっつーとその後入手したハニーバス(コリン・ヘアが在籍していたバンド)の方が好きだった。

次に手に入れたのがロニー・レインの1st。スモール・フェイセスのオリジナルメンバーだからマイナーとは言えないか。たまたま中古レコード屋を漁っていたら、そんなに高くない値段で見つかったので買ってみました。これは大当たり!一時期はCDが出ていたのに今は見当たらず。

問題はギャラガー&ライル。1stはCD化されたこともなく、中古レコード屋でも見たことがありませんでした。その筋の店に行けばあるのかもしれないけど、きっと目がぴよーんと飛び出るようなお値段なんだろうな。
そこでeBayを漁ったところ、まずまずの値段のものが出ていたのでゲット。送料を入れるとどうしても割高になってしまいますが。
で。これまた大当たり!次々と買った2nd以降の作品もみんな大当たり!いやーすばらしい。
アップルレコードのソングライターだったくらいなので曲自体も折り紙付き(死語)ですが、アコーディオンとマンドリンが得も言われぬ味を出していて本当に良いです。

こんな素晴らしい作品がなんでCD化されないんだろう?と思ってましたが、当初EMIからリリースされ、直後にA&Mからリリースされ直したりしているので、何か契約関係というか権利関係が面倒なのかも。

が。このたびとうとう初CD化が実現することになりました。ギャラガー&ライルの他の作品や、在籍していたマッギネス・フリントの作品も一気にCD化。というわけで、大人買いしまーす。いくつかはレコード持ってるけど、iPodでも聴きたいし、歌詞も見たいし。

 


「枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ」

近所の商店街に3フロアもある大きな書店があります。
できるだけ贔屓にしようと思って、よく足を運んで本棚を眺めては、面白そうな本を買ってるんですが、一昨日は新潮文庫の棚で「枯れるように死にたい」という本が目にとまり、早速買って読んでみました。
著者は団塊世代の女性のライター(特に医療や福祉が専門というわけではなさそう)で、夫は心臓外科医として長年病院で働き、定年後に老健や特養で経営と利用者の健康管理に従事しているとのこと。

この本の良さは、この夫婦の組み合わせによるところが非常に大きいと思いました。
終末期の介護や医療について特に医療や福祉に専門的知見があるわけではない一般読者と同レベルの著者の目線と、長年医療に携わってきたものの老人施設での終末期の実態について知見の無かった医師の著者の夫の目線の組み合わせが、大きな説得力を生んでいるように思いました。
特に、著者の姑(ということは夫にとっての母親)を看取る話は、「医師が自分の母親の終末期にどう向き合ったか」と捉えると、貴重なレポートなのではないかと。

できれば老衰で安らかに逝きたいけど、そもそも老衰って実際にはどういうものなのか全然わかっていなかった私には、口から食事を取ったり水を飲んだりできなくなったあと、鼻や胃ろうや鼠径部から栄養を送り込んだり点滴で水分を送り込んだりすることをしなければ、こうなるのか!ということがわかって、とても有益でした。

勢い余って「「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」という本を読み始めました。こちらはの著者は医師(やはり病院勤務後に特養に移ったとのこと)です。まだ読んでる途中ですが「枯れるように死にたい」と特に矛盾や齟齬はなく、自分の中の終末期や老衰死のイメージがさらに補強されたような気がします。

ただ、そういう死に方をするためには、少なくとも現時点ではそれなりの備えが必要のようです。終末期の延命措置は不要である旨の意思を文書にしておくとか(日本尊厳死教会のリビングウィルとか)、延命措置なしの看取りに協力してくれる医師や福祉関係者や施設を探しておくとか。
いずれにしても、倒れたりぼけたりしてからでは遅いので、元気なうちにやっておかなくては。

 


「いやな気分よ、さようなら」

認知療法について懇切丁寧に書いている本としてfinalventさんが紹介しているのを見て、興味を持って買ってみたのが何年前だったか・・・。
アマゾンから届いた本の厚さにびびり、しかもおびただしい序章や序文やはじめにを読んでいるうちにすっかりめげてしまい、中断。
うつのときって本を読むのが一苦労だったりするんですよね(まあそんなに深刻な状態でもなかったけど)。

そんなわけで、長らく積ん読リストの中に埋没していたわけですが、最近久々に取り出してもう一度チャレンジしてみることに。
前回のことを反省し、頭の方はすっとばしてダイレクトに第一章から読んでみたところ、今度はどんどん読み進めることができました。

これまで、なんとなく精神療法一般に対して懐疑的な気持ちを持っていたのですが、それを的確に指摘した文章があったので、ちょっと長いけど引用。

あらゆる学派のセラピスト達が、決めつけた言葉でもって患者達の経験を解釈してきました。しかもそれはほとんど、あるいは全くといっていいほど、実証的に確認されていないのです。もしあなたがそうしたセラピストの説明を受け入れなければ、もっともらしく「真実」への「抵抗」と解釈されるでしょう。こうした巧妙的なやり方で、あなたの問題は無理矢理に、あなたの言うことに耳を貸さないセラピストの型にはめられてしまいます。宗教家のカウンセラー(神秘的要素を持つ)や、共産国の精神医学者(社会ー政治ー経済的環境)、フロイト派分析家(内向した怒り)、行動療法家(陽性強化の欠如)、薬物にこじつける精神科医(遺伝的要因とバランスのくずれた脳内生化学現象)、家族療法家(不穏な人間関係)などなど、あなたがそこを訪れればうんざりするほどいろいろの説明をきくはめになるわけです。

ちょっと笑いました(これは、この本の中でも一番毒のある箇所で、この本全体がこんな感じというわけではありません)。

これに対して、認知行動療法は以下のようなものであると主張されています。

1.効果が定量的・統計的に把握され、薬物療法等との比較により評価されている(ように見える)こと。
 薬物療法と同等の効果があり、再発しづらいということらしい。
2.治療の前提が穏当かつ常識的なこと。
 物事と感情の間に認知が介在し、認知が歪むことがうつ病の症状を引き起こす。

実際の方法論ですが、頭の中だけで考えているだけでは、歪んだ認知がぐるぐる回ってどんどん歪んでいってしまうので、何らかの方法で認知の内容を頭から外に出して、客観的に歪みを認識できるようにします。
具体的には、
1)医師やカウンセラーと対話する
2)紙に書き出す
ということになりますが、後者は自分一人でもできるというわけで、この本でもいろいろなワークが提案されています(医師やカウンセラーのところに通う場合でも「宿題」としてそのようなワークをやらせるもののようです)。

第1章がイントロダクション、第2章がうつ病の病状の評価、第3章がうつ病による認知のひずみ方のパターンで、第4章以降はこれらをベースにしたワークがいろいろ紹介されています。
個人的な印象ですが、第4章でまっさきに紹介されている「トリプルカラム法」だけでもかなり効果があるように感じたので、最初からあれこれやるよりも、まずは一つか二つの方法論にじっくり取り組むのが吉ではないかと思います。
ちなみに、第3章にある10個の認知のひずみ方のパターンは、かならずしもロジカルに美しい整理ではないようですが、実用的ではあるようだし、それぞれのパターン同士の関係を考えること自体が治療効果がありそうな気もします。

一方で、訳書だなあと思う部分もちょびちょびあります。
たとえば、第5章のタイトルは「虚無主義」となっています。英語を見るとdo-nothingismなんですが、ちょっと違和感を覚えました。Weblioを見ると「無為無策主義」とありますが、まだこちらの方が近い気がします。もっと平たく「何もしない(したくない)主義」とかでいいんじゃないでしょうか。
あと、「マスターベーション」。英語はmusturbationで、「すべきだ」「しなければならぬ」という考えが自らを追い詰めてしまうような状態を表す言葉として、masturbationとmust(しなければならぬ)を引っかけた造語なんですが、これは翻訳すると伝わらないですよねー。

とまあこんな感じで、多少気になる部分もありますが、私には大いに参考になったし役にも立つ本でした。
ちなみに後ろの5分の2くらいは抗うつ剤に関する解説です。


新興国の割安な高級(?)品

最初にそういう感じがしたのは、何年か(もしかすると10年以上前かも)ベトナム製のアコギというのをアコースティック・ギター・マガジンで見たときだったかな(名前は忘れた)。一見してマーティンっぽい感じで、レビューもそれなりに好意的なことが書いてあって、お値段もマーティンよりはだいぶ安いけどそこそこ、みたいな感じだった記憶が。

いま使っているギターはイーストマンのフルアコ。
オール単板のアーチトップはギブソンだったら目んたまがぴよーんと飛び出る値段だけど、イーストマンのサイトを見ると私が持っているやつの実勢価格は41万円。まあこれとても十分すぎるくらい高いですが。ちなみに私はeBayで1500ドルでゲット。

話は突然ギターから靴に移ります。
最近、ジャラン・スリウェアというブランドの靴を買いました。
インドネシア製で、高級な作りの靴が割安(だいたい3万円くらい)という触れ込み。
確かに見た目はいい感じだし、何回か履いてみても結構良さそう(まだちょっと硬いけど)。

日本も、いにしえの高度成長のプロセスの中で、最初は安かろう悪かろうだったのが、次第に割安で結構良い(時にはすごく良い)ものを作るようになっていったと思いますが、一方でその「良さ」というのは「品質の良さ」であって、もの自体の位置づけは「中級品」であることが多かったような気がしています。

それに比べると、上に挙げたような新興国の製品はもうちょっと高級な路線っぽい。

あまり深く考えたわけでもないですが、なんとなくそんな感じがしています。


【来場御礼】日本語ボサノヴァ三国志Ⅶ【4/15】

160405muriwui04
4/15の日本語ボサノヴァ三国志Ⅶ、おかげさまで無事開催することができました。
どうもありがとうございました!

日本語ボサノヴァ三国志は今回で7回目ですが、記念すべき1回目って一体いつやったんだかすっかり忘れていたので検索してみました。記録はこちら。2010年か。6年も前なんだな・・・。
一番最初はOTTさんと私の2人だったんですが、2回目から東さんが加わり一気に充実というか面白さ倍増という感じになりました。
結局7回も続いているのは、もちろんムリウイさんにご支援いただき、東さんとOTTさんが喜んで出てくださり、また足を運んでくれる皆さんがいるからではありますが、私に関して言えば何と言っても東さんとOTTさんの演奏を見聞きしたいからなんですよね。やはり私利私欲に動機付けられると強いということでありましょうか。今回もお二人とも新しいネタがあって新鮮な面白さと感動がありました。
そんな私からすると、今回アンコール(というか言われる前から自発的にやってるんだけど)として自作の「リオデジャネイロ」を3人で演ったというのは、全く望外の喜びでありました。喜んでご一緒いただいた東さんとOTTさんには感謝の言葉もありません。

というわけで、8回目も必ずやります!(秋くらいかな?)
その節は多くの方のお越しをお待ちしています。