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讃岐旅行記 その3(直島)

直島がいつからコンテンポラリーアートの島になったのか、よく知りません。
(ぐぐったりウィキペディアを見ればすぐわかるんだろうけど)
また、私がそのことを認識したのがいつ頃だったのかもよく覚えてません。
とにかく、なんだかぐだぐだな経緯で今回の旅行の目玉として直島が組み込まれることになりました。
瀬戸内を船で渡りたかったという気持ちが実は一番大きかったかも。

今回の旅は、天気にはとても恵まれました。
気温もそんなに高くないし(朝晩は少し肌寒いくらい)。
とはいえ、真っ昼間の直射日光は結構こたえます。
ベネッセハウスミュージアム、李禹煥美術館、地中美術館を歩いてはしごしたんですが、海岸から小高い丘というか山の上まで、トータルで40分くらいは歩いたかな。景色も良くてピクニック気分を満喫したことは確かなのだけど、とにかく日差しは熱い。

感想なぞ。
■ベネッセハウスミュージアム
あんまりぴんとこなかった。
■李禹煥美術館
書いた作品より、石や鉄板を組み合わせたもののほうが好きかも。
■地中美術館
ジェームズ・タレル。オープン・スカイは金沢21世紀美術館のブルー・プラネット・スカイと同様、四角に切り抜かれた天井から空が見える部屋なのだけど、こちらの方がずいぶん白くてまぶしい気がしたのは季節のせいなのかな。あと、オープン・スペース。あの青い空間に入れると思わなかったので、かなり新鮮な驚きが。
モネは、作品よりも、障子の部屋のようなやわらかい光に感動。なんだかんだいって安藤忠雄って結構好きなんだなと再確認(東横線の渋谷駅は許せないけど、まあ安藤忠雄だけが悪いわけでもなし)。
■草間彌生
フェリー乗り場や美術館近くの海岸に草間彌生のかぼちゃが設置されています。中は空洞になっていて、子供が普通に出入りして遊んでました。あと、町営バスとかタクシーとかにもかぼちゃがペイントされていた。これまで草間彌生って、なんか変わってるなーくらいにしか思ってなかったけど、こういうロケーションに置いてみると、意外といい感じ。

あとは、直島銭湯「I♥湯」が臨時休館していて入れなかったのが残念。


讃岐旅行記 その2(森川義信生家の詩碑)

森川義信という詩人のことをどのようにして知ったか、あまり覚えていません。

高校から大学の頃、現代詩というものに興味を持って、少しだけ読んでいたことがあります。
ただ、とても感動して深くのめり込んだ、ということは全然なくて、なんとなく微妙な距離感を持って接していたという感じだったように思います。基本的な部分で、あまりよくわからなかったというか、ぴんとこなかったということなのかもしれません。それでも完全に縁が切れるというわけでもなく、細々と付き合い続けたのはなんでなんだろ。やっぱり詩を書いてみたかったのかな。

そんな中で読んだ「鮎川信夫詩集(現代詩文庫)」の最初の方に出てくる、戦争で死んだ友人のことを語る遺言執行人というモチーフで書かれたいくつかの詩が印象に残りました。
そして、Mというイニシャルで語られる「死んだ男」が森川義信という詩人のことだと、何を読んで知ったのか。。。
※ちなみに、「死んだ男」の最後の行「きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」にインスパイアされて、スガシカオはSweet Babyの「むねのシリコンは まだ今でも そんなに痛むかい」というフレーズを書いた、という話もあったような。これも何で知ったのか覚えていない。。。

森川義信という人は一体どういう詩を書いたのか、好奇心を持って「鮎川信夫詩集」の巻末にある現代詩文庫のリストを見てみたけど、森川義信という名前を見つけることはできず、なんだかがっかりしたことを今思い出しました。

その後、大学卒業前後(本の奥付の日付からその頃だろうと推定しているだけで覚えているわけではありません)に読んだ「ぼくの現代詩入門(北村太郎)」という本に、「若い荒地の詩」という章があって、そこに森川義信の詩が2つ載っていました。ひとつは「勾配」、もう一つは「あるるかんの死」です。
「勾配」はそのとき初めて読んだけど、「あるるかんの死」は見覚えがあったように記憶しています。高校の教科書か何かに載っていたのかな。そのあたりもどうにも定かではないんですが。
「あるるかんの死」について、北村太郎はこう書いています。

こうして書き写していると、身体が震えてくるみたいな感動を覚えます。こんなにも深く、読むものを沈黙に引き込む詩って、この百年の間に何篇あったか、と思います。

この百年の間にあった詩についてほとんど何も知らない私にこの評価の是非を語る資格はないけれど、「読むものを沈黙に引き込む詩」というのはなんだかわかる気がします。

その後、長い時が経過して、最近どういうわけかアマゾンで森川義信の詩集を入手することになりました。
なんでこのようなものが目に留まったのか、最近のことなのによく覚えていません。耄碌してきたんでしょうか。
編者の鮎川信夫が解説で「・・・あまりうまくない朔太郎ばりの詩を書く一方、・・・シュルレアリスムの栄光を受けたような詩も書くという具合に、中期ではやや作風に変化を来した・・・」と書いているとおり、結構いろんなタイプの詩があって興味深く読みました。初期の作品など十代に書かれていることもあって、若々しいなぁという印象。

で、この本に載っている年表から、香川県三豊郡の生まれだという事を知りました。本人や家族の写真の他、生家の写真まで載っていました。
そこから、どうして生家に「勾配」の詩碑があることを知ったのか、これまた最近のことなのになんだかよく思い出せません。たぶん何となくあれこれぐぐっているうちに引っかかったんだろうと思いますが。

で、今回の讃岐旅行に森川義信の生家にある「勾配」の詩碑を見に行くというイベントが、出来心のようにして挿入されたのでした。
場所はすぐにわかりました。稲作地帯に散在するのどかな集落という感じ。「森川義信文学館」のようなものがあるわけではなく、古い日本家屋の空き家の前に石碑があるだけです。

衝動を芸術に具体化するうえにおいて、太古の洞窟に動物の絵をはじめて描いた原始人と同じような手を持っていたということが、彼の不幸であり、栄光であった。(鮎川信夫解説)

どうも天然の自然人みたいなタイプの人だったらしいので、たぶんどんな時代のどんな場所に生まれていても、その才能は開花したんだろうなと想像します。
で、讃岐ののどかな田舎に育ち、東京で数々のきらめくような才能の持ち主たちと交流したあと、異国の地に出征し25歳で戦病死する人生というものに、石碑の前で思いをはせようとしてみましたが、6月の日差しを受けて頭がぼんやりするばかりで、なんだかうまくいきませんでした。

自分はここで一体何をやってるんだろ。

 


讃岐旅行記 その1(谷川米穀店)

6/3-5の金土日に讃岐地方を旅行してきました。
讃岐は今回で何回目だろう。2回目か3回目かな。仕事で行った一回は覚えているのだけど、それ以外がどうにも記憶が定かではありません。
今回は車を借りるというのが一つのテーマです。
何を言いたいかというと、いわゆる製麺所系のうどん店の多くは、公共の交通機関と徒歩だけで行くのは難しいので、そういうところを制覇してやろうという魂胆。
というわけで、空港から直行したのが谷川米穀店。製麺所じゃないやん。でも米穀店の方がなんだか凄い気がする。地図を見て、なんかものすごい山奥の秘境のようなイメージを抱いていたのですか、はたしてどんなところなのやら。
■地図。徳島との県境も間近の、讃岐山脈の中です。

・・・って、今ではストリートビューというものがあるので、いろんなことが旅する前にわかってしまうんですよね。いいんだか悪いんだか。ちなみに、今回はカメラを持って行ったのだけど、いざ撮影しようとしたら、バッテリーを自宅の充電器に置き忘れたことが判明。意味ないやん(泣)。

■こんなところ。山奥は山奥だけど、秘境というほどではないですね。

でも、ここにたどりつくまでの道は、一部がなかなかのもんでした。

■県道39号。この程度で「険道」とか言ったら四国原住民から鼻で笑われるかもしれないけど、こちらは北海道出身の神奈川県民である。

それはともかくとして、谷川米穀店。平日の昼前に行ったのだけど、2人ほど並んでました。土日はさぞかし凄いんだろうな。というかこの時間だともう売り切れじまいだったりして。
熱いのに卵を入れたのと、冷たいのを注文。ネギをかけ、醤油をたらしていただく(途中から名物の唐辛子を追加)。

こりゃうまいわ。

実は今まで、醤油だけで食べるやりかたってやったことなかったんですよね。美味いという話はいやというほど聞いていたのだけど、どうして出汁もないのに美味いのか、今ひとつ頭で納得できなかったというか。
でも、これはたしかにうまい。というかこの旨みはどこからくるんだろ。ネギがすごく旨味があるのは確かなのだけど、それにしても。。。うどん自体?醤油?

何はともあれ、さぬきうどん体験のステージが一段上がった気分。

で、次のうどん店は・・・とご期待の方もいらっしゃるかもしれませんが(いないって)、実はレンタカーで行ったうどん店はこれだけ。申し訳ありません。
(つづく)。


鬼まんじゅう

イオンのお菓子のコーナーでよく売っている「鬼まんじゅう」が好きで、時々買って食べてます。
白いまんじゅうにサツマイモを小さく切ったものが大量に突き刺さっているという作りで、名古屋のお菓子らしいんですが、知人の名古屋人に言わせると、本場のものは全然違うとのこと。
というわけで、名古屋出張にかこつけて、梅花堂という有名店に行ってきました。駅から地下鉄で15分くらいの覚王山という駅の近くです。
他のお菓子もいろいろ売ってますが、レジに並んでいる客はみな鬼まんじゅう目当て。レジの奥に3個入りと5個入りの鬼まんじゅうの紙包みがいっぱい並んでました。予約とおぼしき電話もしょっちゅう入っている模様。
ネット情報によれば、午後の早い時間に売り切れてしまうこともあるらしいので、11時半くらいに行ったのですが、なんとかゲットすることができました。
ブツはこちら。たしかにこれは全然違う。芋をつないでいるのは普通のまんじゅう生地ではなく、芋ういろう(なんてものがあるのかどうか知らんけど)みたいな感じ。食べ終わってからもずいぶん長いあいだ口の中に芋の後味が残ります。芋好きにはなかなかたまらん食い物ですね。

賞味期限は作った日だし、包装も紙でくるんだだけの簡易なものであることからして、基本的に地元の人が食べたいときに食べたいだけ買ってすぐに食べるものであって、遠方に土産として持って行くものではないけど、何はともあれゲットできて満足。
翌日も美味しくいただけました。


出雲旅行記 その9(呑んだり食ったり)

なんだか番外編っぽいけど、呑み食い関係の情報をまとめて、旅行記の締めくくりとします。
ちなみに今回は写真は全くありません。

かねや(出雲大社)
 出雲大社では午後1時から定時ガイドに参加するので、昼飯は必然的に出雲大社付近で、ということになります。
 出雲に来たら出雲そばでしょう!と思いつつ、メジャーな観光地ということもあって、呑み食いにはあまり多くは期待しないでおこうと思いながら食べログを検索。結果を見ると、上位はそんなに点数に差がないので、混んでいたり並んでいたりしている店は避けようという方針で、そば屋がありそうな方角に歩いて行きました。が、道は地図で見た印象と異なり、なんだか全然賑わっていない。本当にこの道なんだろうかと不安になりなががら歩いていたら、そのうち店が見えてきて一安心。あとで気づいたけど、この道の地味な雰囲気は、たぶん昔ながらの景観を保つために、けばい看板や広告を出すのを規制しているということなんじゃないかな。
 結局行ったのは「かねや」という店。外に並んではいなかったけど、常に8割方の席がうまっているという程良い混み具合。注文したのは割子そば750円。赤くて丸い器が3段。もっと高い三色割子というやつはいろいろ具が入っているけど、私が頼んだやつは薬味がのっているだけのシンプルなもの。でも、そばもつゆもなかなか美味しかった。一段食べたら、その中のつゆを2段目にかけるという食べ方はあとから知りました。あと、釜揚げというのも出雲独特なスタイルだということも。もっとちゃんと予習すれば良かった。

湯乃上館(湯村温泉)
 2日目に泊まった湯村温泉の宿ですが、離れのいろり端で食べた晩飯がとても美味しかった! ひらめの昆布〆に始まって、いろりで焼いてくれる鮎や油揚げ(奥出雲の大豆で作ったものだとのこと。外側がぱりっとしていて素晴らしい)などなど。温泉で炊いた仁多米がまた美味い。

庭園茶寮 みな美(松江)
 9月に一月と六月という境港の雑貨屋さんで個展を行った友人のアトリエか猫さんから、松江の観光情報をいろいろいただいてました。おかげさまでレイクラインとか堀川遊覧船とか情報を存分に役立てたのだけど、中でも大当たりだったのが庭園茶寮 みな美という老舗旅館が経営するお店。もう入口からして上品な和の世界なのだけど、かといって私のようなバックパックを背負ったカジュアルな旅行者が入ってもそんなに違和感があるわけでもありません(と信じたい)。お客さんは品の良い中高年の方がメインのようだけど、昼ご飯を食べに来た普段着の若者の客もちょぼちょぼとはいる。
 いただいたのは名物の鯛めし。どういうものかはお店のリンク先を見てください。ちなみに最初からこういうふうに具材がごはんの上にのっているわけではなく、自分でのせて出汁をかけるんですが。広い窓から庭とその向こうの宍道湖(というかそこから流れ出る大橋川)を眺めながらのんびりと昼食をいただくのはなかなか優雅な気分。

■東風(こち)(松江)
 こちらもか猫さんに教えてもらった店。JR松江駅から10分くらい歩いたところにあります。松江城方面とは反対の方向なので、観光っぽい雰囲気のある界隈ではありませんが、こういう地元っぽい感じがかえって良かったりして。
 ちょっと寒かったので、出雲の天穏というお酒を熱燗で一杯やりながら、暖かい蕎麦をいただきました。なんだか深まる秋を感じてしみじみしてしまったり。

彩雲堂(松江)
 JR駅ビルの中でお土産を物色した際に、若草というひときわ鮮やかな緑色の和菓子が目に留まりました。解説を見ると、なにやら由緒正しいものらしい。ということで、柚子じょうようというまんじゅうとともに購入。あとでネットで調べたら、若草は江戸時代の松平治郷(不昧)という茶道をたしなむ粋人の藩主が好んだ和菓子を復活させたものだとのこと。