求道

先日、アーチトップギターについて調べていて、たまたま行き当たったページ。
まだ少ししか読んでいないので、アメリカでギターの先生をやりながら、マルキオーネというギター製作家のもとで働いている人らしいということくらいしかわかってないのだけど。
ギター演奏にせよギター製作せよ、強烈に「求道」のオーラが出ています。
とはいっても、いにしえのスポ根的なくどさは微塵もなく、ユーモアも交えた淡々とした書きぶりなんですが、例えば

ヴァイオリン製作家のライアンは、先日クビになりました。彼は十年以上プロとして製作してきて、とても高い技術を持っていたのですが、メンタルな部分で「普通の製作家」でキャリアが終わるだろう、とスティーヴン(・マルキオーネ)の厳しい判断。僕が横で見ていても、ライアンはスティーヴンの楽器製作に対する狂気の執着心に、いつも押し潰されていました。負けずに跳ね返せない彼に時間を使うのは意味がない、と見切りをつけました。厳しい世界です。

とか淡々と書いてあるわけですよ。まあ、芸術とか職人とかの世界はこういうものかもしれないけど。

翻って、自分はつくづく求道的じゃないよなと思います。
怠け者だとか、物事の優先順位を付けられないとかいった、自らの欠点によるところが99%と思いつつ、残りの1%くらいは、自分のやろうとしていることの方向性にも関係しているような気がしています。

例えば、5年くらい前にボサノヴァに取り組んだときは、私にしては珍しく結構脇目もふらずに取り組んだ方だと思います(求道などとは口が裂けても言えないけど)。
でも、3年くらいたって、アルバムを作り上げた時点で、今まで登ってきたこの梯子を投げ捨てなくてはならないと思ったんですよ。
自分のやりたいことは、この梯子をずっと上り続けることではない、と。

たぶん、同じだけの熱意をもって、ロックやフォークやジャズの梯子を登ってみるべきなんだと思います。同じように途中で投げ捨てることになるんだと思うけど。
少なくともボサノヴァの梯子を登ったことで、間違いなく登る前よりは高い場所に来たはずなので。
でも、もともとロックやフォークやジャズの方をボサノヴァよりも先に聞いていたにもかかわらず、なぜボサノヴァの梯子を登ることになったかというと、ロックやフォークやジャズの梯子をうまく登れなかったからなんですよね。
今なら前よりもうまく登れるんだろうか。

何を言いたいんだかよくわからなくなってきたところで、唐突に終わり。


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