以前、Wikipediaのスガシカオの項を眺めていたら、
また、戦後詩の代表的な詩人である鮎川信夫にも影響を受けたと語っており、『SWEET BABY』の中に出てくる「Oh SWEET BABY 胸のシリコンはまだ今でもそんなに痛むかい」という歌詞は、鮎川信夫の代表作である『死んだ男』の作中にある「Mよ、地下室に眠るMよ、きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」との類似点も多く、その影響がうかがえる。
という記述が。
うーむ、そうだったのか。
鮎川信夫は、現代詩文庫の詩集を1冊持っているだけですが、その一番最初の詩が「死んだ男」なんですよね。
鮎川信夫資料室というサイトによれば、1947年2月に発表された、とあります。
これも含め、「1 橋上の人」に含まれる終戦後の詩編では、第一次『荒地』を共に企画した詩人・森川義信など戦争で死んでいった人々のことと、彼らがいなくなった戦後の世界(に生きている自分)とを中心に言葉が紡がれていて、とても強い印象を受けた記憶があります。
それに続く「2 囲繞地」には戦前の詩が含まれていて(「死んだ男」では「短かった黄金時代 活字の置き換えや神様ごっこ」と言ってますね)、優れていることはわかるんですが、「1 橋上の人」の後に続けて読むと、なんだか頭が馬耳東風状態になってしまい、結局これまでのところ頭にはほとんど残ることはありませんでした。
でも、昨晩とある店でビール飲みながら、「1 橋上の人」を飛ばして「2 囲繞地」からゆっくり読んでみたら、割と頭というか心に入ってきたんですね。
多くの詩は1930年代に作られたようです。ということは、まだ二十歳前に書いたのか。
うーむ。すごいなあ。
詩に限った話じゃないけど、同じものでも接した時によって、すごく良く入ってくることもあれば全然入ってこないこともあるなぁと改めて思いました。
というわけで、また少しずつつきあってみようと思います。
こんばんは、「橋上の人」に反応しました。
「橋上の人」は高田三郎が合唱組曲にしています。
私は大学の混声合唱団にいたときに第3曲目である「橋上の人よ」を歌いました。
1曲目も2曲目も歌いたかったけど、松原(豊中だったかな?)のCDを買って
自分で(今でも時々)歌っています。
2曲目は詞が嫌いなんだけど、合唱にするとなんとなく歌ってしまいます。
のめり込む曲です。
本題と外れてしまってごめんなさい。
いろいろ繋がることもあるんですね~
「橋上の人」って合唱曲になってたよなーとうすぼんやり思ってましたが、高田三郎だっけ。
楽譜を立ち読みしてみたけど、やはりこの長い詩の全部が使われているわけではなく、合唱曲の一が詩のIIIに、二がVに、三がVIに、それぞれ対応しているみたいだね。
「橋上の人」も長いだけに、これまであまりまだちゃんと読めてなかったけど、どこかでじっくり時間を取ってつきあってみたいと思ってます。