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北海道自家用車旅行番外編〜余市という町

ところで、このブログを読んでいる人の間で、余市という町はどのくらいの知名度があるんでしょうか。

余市町は人口が2万人弱(ずいぶん減ったな)と、町としてはそこそこ大きい方だとはいえ、全国レベルで考えれば、同等以上の規模の市町村はいくらでもあります。
それでも、余市の全国的な(さらには世界的な)知名度は結構あるのではないかと思います。考えられる要因としては、

1.ウイスキー
テレビを見る習慣が無いので実感としてはよくわからないけど、やはり連続テレビ小説「マッサン」の影響が大きかったのかな。最近は日本のウイスキーの世界的な評価も高くニッカウヰスキー余市蒸溜所も今や有名な観光名所のようですね。一度蒸留所の見学ツアーに参加したことがありますが、製造工程や設備はもちろん、やはり年季と風格のある建物は一見の価値があります。

2.スキージャンプ
札幌オリンピックでの笠谷幸生(70メートル級)、長野オリンピックでの船木和喜(ラージヒル個人)、斉藤浩哉(団体)と金メダリストを3人も輩出しており、世界的に高い知名度があると言えると思います(まあ熱心なジャンプファンが多数いるのは中欧・北欧でしょうけど)。
ちなみにスポーツ分野では戦前に根上博という余市出身の水泳選手がベルリンオリンピックで入賞したり世界新記録を叩きだしていたりしていたのを最近知りました。

3.宇宙飛行士・毛利衛
余市出身の宇宙飛行士・毛利衛さんが日本人として初めてスペースシャトルに搭乗したのが1992年とのこと。もう30年前か。。。
ちなみに道の駅「スペース・アップルよいち」内に「余市宇宙記念館」があるようです。まだ行ったことがないので、次に余市を訪れた際には足を運んでみようかな。

4.モダニズム詩人・左川ちか
戦前のモダニズム詩人の詩は、西脇順三郎など一部の詩人を除いて詩集が入手困難だったため、左川ちかの認知度も低い状況が続いていましたが、数年前に英訳が海外で出版されたのを機に評価が高まり、日本でも先日とうとう「左川ちか全集」が刊行されるに至りました。実は今回の余市訪問も「左川ちか全集」出版を祝して敢行したようなところがあります。めでたいことです。

・・・といろいろ書いてきましたが、私にとっての余市というのはどういう町かというと・・・。
札幌に生まれ育った人間として、小樽・余市・積丹方面というのは、「夏休みに海水浴に行くところ」でした。とにかく楽しく遊ぶところというイメージですね。虫刺されや日焼けや混雑した列車・バスというマイナスイメージもありますが。
ただ、余市自体は遊ぶところではなく、「小樽から積丹に行くバスが通過する大きな町」という感じだったかな。子供の頃は乗り物酔いしやすく、ちょうど余市に着いた頃に一番ぐったりしていたように記憶しています。その後積丹の方に向かうと車窓から見える断崖絶壁の風景が素晴らしくて気分が快方に向かうのですが。

あと、小学校の社会科の授業で、余市や隣町の仁木は果樹栽培が盛んであると習った記憶があります。実際、ニッカウヰスキーが「大日本果汁株式会社」として設立され、ウイスキーが出来上がるまでの間リンゴジュースを製造販売していたのは、余市でリンゴ栽培が盛んだったことが背景にありました。ちなみに、左川ちかの生家もリンゴ栽培を行っていたようです。

だいたいそんな感じですが、最近私の中で余市に対する関心が高まってきたのは、やはり左川ちかの詩を生み出した風土とはどういうものだったのか知りたくなったということなんだろうと思います。そのあたりはおいおい書いていこうかと。。。


北海道自家用車旅行その14〜霧多布から余市へ北海道大横断

ペンション・ポーチ@霧多布での3日間の滞在もあっという間に終わり、次は余市へ向かいます。
距離は500㎞くらい。ひたすら一日中走ることになります。
まあ、今回わざわざフェリーで車を持ってきたのは、北海道を自分の車で思い切り走るため。
そういう意味では、本来の目的にかなっているとも言えます。

出発の朝、宿の部屋から外を眺めます。

行きも帰りも琵琶瀬展望台から霧多布にご挨拶。次はいつ来れるかな。。。

ひたすら一日中走るとは言っても、同じ道をただ戻るのは嫌なので、屈斜路湖のほとりにある三香温泉に立ち寄ります。
結構な遠回りになりますが。。。

三香温泉もすごく久しぶりだけど、相変わらずののんびりしたたたずまい。コロナ対策のため休憩室でまったりできないのは残念でしたが、仕方ありません。

三香温泉を出発したらそろそろ昼が近かったので、弟子屈で昼食。
なぜか何度も入ったことのある、そば処福住という店。普通に美味しいです。
実は最初、間違えて隣の店に入ったら、なんだか様子がおかしいので、変だなと思って周りを見回してようやく店が違うことを理解し、慌てて店を出たのだけど、あとで調べたらあれは弟子屈ラーメンという有名な店だったようで。。。
そのまま食べてくればよかったな。

食事も済んだら、いよいよ余市に向かってまっしぐら。写真も全く撮っていません。
弟子屈からは国道241号線、いわゆる「阿寒横断道路」を西進。最初はだだっぴろい平原を走る果てしなく真っ直ぐな道ですが、やがて山が迫ってきてつづら折れの峠道に。降ってきた雨は雪に変わり、げげっと思ったものの路面は積もったり凍ったりということもなく、まずまず普通に走れて安堵。

悪天候のため阿寒湖もオンネトーも通過し、足寄に到着。道の駅「あしょろ銀河ホール21」で一休み。立派な建物で(松山千春コーナーとかもあった。。。)車もいっぱい停まっていて、たくさんの人でにぎわってました。

足寄を出発したらすぐに道東自動車道に入ります。しばらく行くと釧路の方からの道と合流する本別ジャンクションに。本別には親戚が住んでおり、子供の頃に何度か遊びに行ったことがあります。そういえば最近全集が出た左川ちかも幼少時に家族と離れて本別の親族のところで過ごしていたとか。利別川沿いののどかな農村地帯ですが、雨降りでどんよりしていました。

あとは十勝平野を横切り、日高山脈を越えて、石狩平野へ。・・・と書くと、あまりにも端折りすぎのような気がしますが、道東自動車道だとほんと速いんですよね。日勝峠をえっちらおっちら越えていた頃のことを思うと隔世の感があります。

さらに千歳恵庭ジャンクションから道央自動車道に入り、札幌、小樽を抜けて、初めて走る後志自動車道へ。しばらく走ったらもう余市です。

真っ黒な雲の向こうの晴れ間から夕方の明るい陽光が強烈に射し込んで、なんだかすごい光景でした。


北海道自家用車旅行その13〜霧多布岬、アゼチの岬

根室からペンション・ポーチに戻る途中に、霧多布の市街地近くにある霧多布岬とアゼチの岬に立ち寄り。
霧多布岬は最近ラッコが見られることで有名らしいけど、私は残念ながら見ることができませんでした。

アゼチの岬。この界隈の島は皆、縁が垂直に切り立っていて、上面が真っ平らというプレート状の形をしています。


北海道自家用車旅行その12〜春国岱

今まで春国岱(しゅんくにたい)って何回くらい行ったっけ?と思って自分のブログを検索してみたら、2008年のこんな記事を見つけました。回っている場所が今回とほとんど同じですね。ついでに車までマーチ(マツダレンタカーなのに)。時期からして私が今乗っているのと同じk12マーチでしょう。14年間全く進歩が無いというか。。。

2008年に撮った春国岱の写真はこちらの記事に載ってます。気に入ってライブのフライヤにも使ったりしました。

今回は、河を渡る橋が修復中で、同じような写真は撮れません。
あと、以前にランドマークのように存在した丸太製の望楼のようなものがなくなってしまい、景色のアクセントというかめりはりが失われたようにも思います。
まあ、そうはいっても風蓮湖や野付半島の茫漠とした景色はやっぱりいいです。
何と言っても、このブログの最初の記事の写真は野付半島ですから。
原点みたいなもんです。


北海道自家用車旅行その11〜日本最東端のジャズ喫茶・根室サテンドール

納沙布岬から根室市内に引き返してきて、JR根室駅前に車を駐め、サテンドールでコーヒーを飲みながら一休み。
日本で一番東にあるジャズ喫茶です。
店の成り立ちや今日までの経緯などは以下の記事を参照。
根室 サテンドール / Satin Doll | ジャズ喫茶案内
復活した日本最東端ジャズ喫茶、根室「サテンドール」の新店主に話を聞いた
創業者の弟夫妻がUターン「サテンドール」1日再開【根室】
1964年に根室の若者が「地理的に最果てであっても、文化的な最果てにあらず」をスローガンにジャズ・クラブを立ち上げ、その後コンサートの企画開催なども手がけ、クラブの活動拠点として喫茶店を開店。
それから数十年が経過し、関係者の高齢化や地域の人口(特に若者)の減少もあって、閉店・再開を繰り返している状況ですが、今回久々に再訪することができて、とても嬉しかったです。