月別アーカイブ: 2012年3月

季節感の違い

なんか気温が猛烈に上がったり下がったりして、体調がおかしくなりそうです。しかも昨日行った耳鼻科の先生によれば、明日はすっごく花粉が飛ぶらしい。気をつけないと。

これまで札幌と東京でそれぞれ20年以上暮らしたわけですが、時々ふと、今頃の札幌の天気や気温ってどうだっけ? と思うことがあります。3月頭だと、あと少しで春という希望を持ちつつも、まだ冬まっただ中という感じだったかな? 札幌を離れて20年近く経つので、だんだん札幌の季節感が思い出せなくなってきています。

それでもいまだにやや違和感があるのは春です。札幌と東京では桜の時期が決定的に違うんですよね。東京では桜が咲くのは4月頭だから、入学式とかで桜が咲いているというイメージがしっくりくるけど、札幌では入学式の頃というと、泥まみれの灰色の雪があちこちに残っていて、すごく埃っぽく汚らしい季節です。一方、花見を兼ねた大学の新歓コンパ(「新歓コンパ」という言葉もずいぶん長い間見聞きしなかったので、死語になってやしないかと思ってついぐぐってしまいましたよ。どうやらまだ大丈夫みたいだけど)はゴールデンウイークでした。

というわけで、あと一ヶ月もたたずに桜が咲くという気が全然しないのは、札幌の季節感がまだどこかに残っているからなのか、それとも今年の冬がやたらと寒かったからなのか(なんとなく後者の方が大きい気もしますが)。


書く時間

MacBook Airを買い、毎朝(平日)スタバでブログを書くようになってから約1ヶ月がたちました。今のところ、(当社比で)かなりまめに書くことができていて、それはよいことだと思うのですが、不満なのは時間がかかりすぎていること。とにかく、スタバに到着してからスタバを出るまでの約1時間、ほとんどをブログ書きに費やしているんですよね。できれば15分くらい、長くても20分くらいで書き上げたいんですが…。
ふと思ったのは、リンクとかをまめに張りすぎているかなぁということ。読んで興味をもったらぐぐれば済む、と考えれば、こちらでいちいち丁寧にリンクするまでもないかな、という気もします。
というわけで、しばらくはリンクは必要最小限で行くことにしよう。


3/22(木)ライブやります!〜日本語ボサノバの夜@祖師ヶ谷大蔵Cafe MURIWUI

というわけで、約3ヶ月ぶりにライブやります。
http://www.ne.jp/asahi/cafe/muriwui/events/index.html
今回はいつも一緒にやっているOTTさんに、初顔合わせの東輝美さんを加えた3人でやります。
平日ですが、都合のつく方はぜひハンバーガー食べに遊びに来てください。私も楽しみです!

■日時 3月22日(木)19:00-
■場所 Cafe MURIWUI@祖師ヶ谷大蔵(地図
■チャージなし・投げ銭制


yojikとwandaライブ@南池袋ミュージックオルグ

というわけで昨日行ってきました。

ライブとは関係ないのだけど、昔、西武池袋線沿線に住んでいた頃、江古田のプアハウスという喫茶店のカレーが大好きだったので、今でも池袋方面に出かけるとなると、時間さえ許せばついつい江古田まで足を運んでしまいます。唐辛子ではなく胡椒の辛さと香りが特徴的なカレーは、今はなき札幌のテルサラサートのインディアンカレーを彷彿とさせます。って、ほとんどどんな味だったか忘れかけてるけど。

…でライブですが、ミュージックオルグに行くのは初めてで、階段を地下2階まで降りて扉を開けると、奥に向かって細長い長方形のスペースの右サイドが演奏者、左側がお客さんというレイアウト。カレーのせいで到着が少し遅れたため、店に入るとすでに演奏は始まってました。
一番手はスチール弦アコギのソロでしたが、演奏者の前に机が置いてあり、その上にエフェクター等の機材をいっぱいならべて、サンプリング音を流しながら気ままにギターをつま弾いていくという感じの演奏。
二番手はギタレレ(なのかな?大きさはウクレレくらいだけど6弦ある)とナイロン弦アコギの弾き語り女子。ちょっとおっとりした雰囲気で、曲も飾らない感じで、声ものびやかで良い声。のどの調子があまりよくなかったみたいで最初のうちは咳き込んで苦しそうだったけど。
三番手はyojikとwanda。今日はウッドベースとドラムも入ったバンド形式。バンド形式を見るのは何回目かだけど、見るたびにまとまりが良くなりパワーアップしている感じが。おおむねガンガンいってましたが、ラストの前にやった八月の風が静かな感じでとてもよいアクセントになってました。ああいう静かな感じのをもう一曲やってもいいかも(冒頭のI love youも曲調はゆったり系だけど、箸休め的な曲ではないし→いや八月の風だって箸休めじゃないし→ま、いいっか)。一方、あのくらいラウドな演奏になると、唄が音量の小さくなるところで少々聴き取りづらくなるように思いました(デュオの静かな演奏なら無問題なんですが)。レコーディングだとコンプとか使ってレベルを均すんだけど、ライブだとどうなのかな。
四番手は弾ける若者バンドという感じ。なんか学校のイベントとかでノリノリの演奏ぶちかましクラスメートに大受け!みたいなイメージが浮かぶ演奏。ほぉーという感じで静観していた私はあまり良い客とは言えなかったかも…。

yojikとwandaは今月30日に再びミュージックオルグでやるようです。今回の編成にMC sirafuのスティールパンが加わるということで、また違った感じになるのではないかと楽しみです。


「古い」音楽・「新しい」音楽

ジョニ・ミッチェルの伝記DVD「ウーマン・オブ・ハート・アンド・マインド」に、若い頃に聞いた音楽について語っている箇所があります。うろ覚えだけどこんな感じの話です。

■昔(50年代まで)は「低音の時代」だった。つまり、ハリウッド的に豪華なおとぎ話の世界で、王子様がお姫様に低い声で愛をささやく(あるいは朗々と歌う)という音楽が主流だった(そういう映像が流れる)。
■次にボブ・ディランの60年代初め頃と思しき映像。ギターをジャカジャカ鳴らしながらあのがさつな声で歌うのは、

You got a lotta nerve
To say you are my friend
おまえ、俺の友達だとか言って、
図々しい奴だな

「こんな歌詞は聞いたことなかった」とジョニ・ミッチェルはくすくす笑いながら言い、自分もこんな詞を書きたいと思った…(ボブ・ディランの音には不満があった由)

こんな二分法は大雑把と言えば大雑把なんだけど、いわば「ロック史観(ディランやビートルズが全く新しいものとして登場した、みたいな)」とでもいうべきものには、こういう感覚ってあったりするよなーという気がします(もちろん人によっては、その切れ目がサイケだったりパンクだったりヒップホップだったり、いろいろなんでしょうけど)。

で、ボサノヴァに触れるときも、ついそういう感覚で聞いてしまうわけです。例えばサンバ・カンソン歌手が歌ったボサノヴァの雰囲気は古き良き時代のものだなぁと思うし、またディス・イズ・ボサノヴァの冒頭でカルロス・リラのCoisa mais lindaの訳詞が字幕で出てきたのを読んだときも、ああ昔の歌詞だなぁと思うんですよね。

一方、ジョアン・ジルベルトはどうもこういう感覚による新しい/古いという物差しがうまくフィットしない感じがします。かといってエバーグリーンというのともちょっと違う。

ああ、また時間がなくなってしまった。続きはまたそのうち。