「古い」音楽・「新しい」音楽

ジョニ・ミッチェルの伝記DVD「ウーマン・オブ・ハート・アンド・マインド」に、若い頃に聞いた音楽について語っている箇所があります。うろ覚えだけどこんな感じの話です。

■昔(50年代まで)は「低音の時代」だった。つまり、ハリウッド的に豪華なおとぎ話の世界で、王子様がお姫様に低い声で愛をささやく(あるいは朗々と歌う)という音楽が主流だった(そういう映像が流れる)。
■次にボブ・ディランの60年代初め頃と思しき映像。ギターをジャカジャカ鳴らしながらあのがさつな声で歌うのは、

You got a lotta nerve
To say you are my friend
おまえ、俺の友達だとか言って、
図々しい奴だな

「こんな歌詞は聞いたことなかった」とジョニ・ミッチェルはくすくす笑いながら言い、自分もこんな詞を書きたいと思った…(ボブ・ディランの音には不満があった由)

こんな二分法は大雑把と言えば大雑把なんだけど、いわば「ロック史観(ディランやビートルズが全く新しいものとして登場した、みたいな)」とでもいうべきものには、こういう感覚ってあったりするよなーという気がします(もちろん人によっては、その切れ目がサイケだったりパンクだったりヒップホップだったり、いろいろなんでしょうけど)。

で、ボサノヴァに触れるときも、ついそういう感覚で聞いてしまうわけです。例えばサンバ・カンソン歌手が歌ったボサノヴァの雰囲気は古き良き時代のものだなぁと思うし、またディス・イズ・ボサノヴァの冒頭でカルロス・リラのCoisa mais lindaの訳詞が字幕で出てきたのを読んだときも、ああ昔の歌詞だなぁと思うんですよね。

一方、ジョアン・ジルベルトはどうもこういう感覚による新しい/古いという物差しがうまくフィットしない感じがします。かといってエバーグリーンというのともちょっと違う。

ああ、また時間がなくなってしまった。続きはまたそのうち。


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