近所の本屋が最近なんだか面白い

私が住んでいる、ごくありふれた首都圏郊外の私鉄沿線の駅の近くに書店があります。
いくつか支店のある、それなりに大きな書店ではありますが、そうはいっても住宅街にある書店なので、まあ一般的な品揃えではありました。

これが、少し前に全面リニューアルして、なんだか様子が変わってきました。
最初は棚の場所が入れ替わっただけだろうと多寡を括っていたんですが、よく見ると、以前にはなかったような本がちらほら目に入ります。
例えば、エッセイのコーナーを見ていたら、「渋谷のすみっこでベジ食堂」という本を発見。
著者の小田晶房って、yojikとwandaのCDを出しているレーベルCOMPARE NOTESをやってる人じゃなかったっけ。
びっくりして思わず買ってしまっただよ。

最近は、小説とかエッセイとかの棚に詩歌のコーナーを発見。
こんなコーナーあったっけ?と思いながらつらつら背表紙を見ていたら、「鮎川信夫 橋上の詩学」という本を発見。
またまたびっくりして買ってしまいました。
いろいろなエピソード満載の本で興味深く読んでいます。
・ティーンエイジャーだった鮎川や森川義信が最初期の詩を投稿していた「若草」は、少女雑誌から派生した文芸雑誌だったとのこと。竹久夢二や東郷青児が表紙を描いていたとのことなので、なんとなくどんな雑誌か想像がつきます。これらの詩(森川義信の「春」とか)を読んで、なんだかかわいらしくも麗しいなぁと思ってましたが、なんだか納得。
・加島祥造のインタビュー。なんか加島祥造という人には、いろいろなシチュエーションで出くわしている気がしますが(老子とかポーとか)、なんでこの人が荒地同人だったのか、いまひとつぴんとこないところがありました(なーんて偉そうなこと言えるほど荒地のことも加島祥造のことも存じ上げないのだけど)。なので、

みんながあまりに深刻がった言葉ばかりを使っているから、そうではない、ライト・ヴァース的なものがもっとあってもいいんじゃないかと思った。

という言葉を読んで、ああやっぱり、と思ったり。
・80年代の吉本隆明との論争の部分はあまりよくわからなかったけど(たぶん端折って生煮えになっているんだと思う)、たとえばソーカル事件のようなものを経てPost Truthな時代に直面している身には、鮎川の「一元論」というのは何となくぴんとくるものがあるようなないような。いろんな意味で「『モダン』であるということ」を改めて考えたくなってみたり。

あと、こういう本で引用されている詩を読むのが好きです。
いわゆる詩集って、詩がいっぱい載っていて、いつもトゥーマッチな感じがするんですよね。
一度に出会う量はもっと少ない方がいいと思う。
(少しずつ読めばいいんだけど)

 


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