ボサノバへのいくつかの入り口(その6)

6.ボサノバへの入り口その6〜ジョアン・ジルベルト
90年代に買った「ヴィヴァ! ボサノーヴァ」という本に、「ボサノヴァの最重要盤」として「The Legendary Joao Gilberto 」というアルバムが紹介されているのが目にとまりました。ジョアン・ジルベルトが最初のボサノヴァ曲と言われるchega de saudadeを出して以来、オデオンレーベルから出した3枚のLPをまるごと1枚のCDに収めたお買い得盤ということで、ボサノヴァの原型ってどんなんだったんだろう?という好奇心から、すぐに購入。ただ一方で、ゲッツ・ジルベルトでの唄にあまり良い印象を持っていなかったこともあって、半信半疑という感じでもありましたが。
一聴して感じたのは、「ん?なんか唄が生き生きしてるな?」ということ。いや、唄だけでなくギターやバッキングもきびきびと小気味好い感じ。
こりゃいいやと思って、その後しばらく何度も繰り返し聞きました。が、さすがにLP3枚分で三十何曲も入っているため、ずいぶん長い間曲名と曲が一致しませんでした。いや実は今でも少なからぬ曲の名前がわかってません。やはりあまりいっぺんにたくさんの曲を聴くのはよくないなぁと思ってましたが、最近ようやくオリジナルアルバムがCDで単売されるようになりました。あと「The Legendary Joao Gilberto 」では曲順もぐちゃぐちゃだったので、ちゃんと時代順に聴けるようになったのも良いことだと思います。

その後、通っていたフォークギター教室の入っていた道玄坂のヤマハで偶然「ジョアン・ジルベルト初来日!」というポスターを見かけ、こりゃすごいと思ってギター教室の仲間と東京国際フォーラムに見に行きました。いや、印象的といえばこれほど印象的なライブもなかったです。開演時間が過ぎてしばらくした頃、「アーティストはただいま会場に向かっております」というアナウンスが流れたのですが、そのときの会場の「やっぱり〜」みたいな失笑まじりの雰囲気は何とも言えないものがありました。あと、ジョアン・ジルベルトがステージの途中でかなり長い間身じろぎもせずじっと固まってしまい、いったいこれは何なんだろうという感じで観客が固唾をのんで見守ったり。
そして唄と演奏。以前読んだ催眠術の本に、催眠術にかかっているときの感覚について、体は眠っているけれども頭というか額の一点だけが覚醒しているという感覚だと書いてあったように記憶していますが、ジョアン・ジルベルトの演奏を聴いているときの感覚はそれに近いものがあったような気がします。余談ですが、北海道を車で旅行していたとき、夜に運転しながらジョアン・ジルベルトの「声とギター」を聴いていたら、そのような催眠術的感覚に陥りました。頭は冴えているので「これはまずいなー」と冷静に考えているのだけど、体はなんだか眠っている、みたいな。くわばらくわばら。
もう一つ記憶しているのは、ジョアン・ジルベルトの演奏に合わせて頭を振りながら聴いていたら、後ろの席の人から「頭を振るのをやめてください」と注意されたこと。その後ジョアン・ジルベルトのファンに対する「求道的」イメージの一部を形成するきっかけとなったできごとではあります。おそらく、ついに日本にやってきたボサノヴァの神様ジョアン・ジルベルトの演奏を一挙一動たりとも見逃すまいと集中している気持ちが乱されるということだったのではないかと想像していますが、いずれにせよポピュラー音楽のコンサートで頭を振っただけで注意されたのはあのときだけです。


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