ボサノバへのいくつかの入り口(その5)

5.ボサノバへの入り口その5〜ギタリスト目線
子供の頃にピアノを習って以来、楽器演奏にはずっと興味があったにもかかわらず縁遠い生活を送ってきましたが、90年代に入ったころから楽器をやってみたい気持ちが盛り上がり、好きな音楽ジャンル〜ボサノバだけじゃなくてロックとかフォークとかジャズとかも含めてですが〜の教本をちょぼちょぼと買っていろいろ試してみました。

で、ボサノバについてもいくつか教本を買ってみたのですが、そこで代表的ミュージシャンとして共通して紹介されていたのが、
・ジョアン・ジルベルト
・アントニオ・カルロス・ジョビン
・ルイス・ボンファ
・バーデン・パウエル
だったように記憶しています。

当時はあまりよくわからなかったけど、これはやはり「ギタリスト」(と「作曲家」)の紹介だと思うんですよね。ギター教本なのだからギタリストを紹介するのが当然だと言われたらまぁそうかもしれないけど、弾き語りをやりたかった私からすると、本全体の作りも含めてどうも目線がギタリストというか器楽奏者のそれという感じがして、なんとなくなじめなかったというか自分のやりたいこととは違うなという違和感がありました。

少し乱暴な言い方をすると、「歌わずにギターを弾くだけで満足できるか」という問いに対する答えで「音楽人種」というか音楽に対する指向性を類型化できるんじゃないかという気がします。私は明らかに「歌わずにギターを弾くだけでは満足できない」タイプの人種なので、「(歌うことなく)ギターを弾くことだけに興味がある人」向けに作られた教本とかレッスンとかにうまく取り組めないみたいなんですよね。

思い起こせば、私はいろんな音楽教室に通ってきたけど、一番長続きしたのはフォークギター教室でした。で、長続きした理由を考えると、結局その教室の先生が「弾き語りの人」だったということに尽きるような気がします。

弾き語りだって楽器は弾くわけだから、たとえ楽器演奏者目線で作られた教本やレッスンであっても楽器演奏の面だけを参考にすればよいではないかという考え方もあろうかと思います。確かにそうなんですが、それは弾き語りが人生(というと大げさだけど)の一部としてある程度確固たる地位を占めるようになってからの話であって、そこに到達するまでの、モチベーションやら習慣やらが形成されるまでの段階では、教える側と教わる側の指向性のマッチングのようなことがとても重要な気がしています。ギター奏者としてうまくなりたい人と、ギター弾き語りがうまくなりたい人では、意欲や興味を引き出すツボが違うと思うんですよね。で、前者向けのツボを突くよう作られた教本やレッスンは、往々にして後者にはあわない、といったことが起こるのだろうと思います。

というわけで、当時は本格的にボサノバ演奏に乗り出すことなく、DTMやらジャズピアノやらに細々と取り組んでいたのでした。


2 thoughts on “ボサノバへのいくつかの入り口(その5)

  1. yojik

    なーるほどー。
    こうしてへりさんの変遷を聞くと面白いな!
    自分ともかぶってるようなかぶってないような。

    楽器追求と弾き語り指向かー 
    うん、楽器はとてもうまいのに弾き語りはできないとか
    歌えるけど楽器ソロはやりたくないとかいろいろありますね。
    あと、へりさんが人とまったく違うところだと思うのは
    自分で曲を作ることだと思ってます。歌詞も。
    オリジナルを作る人の精神構造と楽器だけをする人の精神構造はときどき違うように思います。
    まーでもそこには、「オリジナルといえるようなオリジナルなのか」という高いハードルがあるから、作ってるだけでどうこうは言えないのでしょうね。
    自分が満足にできてないのにエラそうに言っちゃうけど、へりさんのオリジナルはやる意味のあるオリジナルだと思います。これは歌われるべき、みたいなものを人に感じさせるのって、とても難しいじゃないですか。そこを軽々(じゃないのかな、見えない努力があるのか!)と越えてくるのはへりさんの才能(努力)なんだなと思います。

    前の記事にあった英語ボサノバ邪道みたいなのは
    私はまったく気にならないというか、別に何語でうたってもいいではないか!くらいの気持ちなんですが、
    そんな本家vs邪道みたいな対立もあるのか、、、。
    むしろアストラッドの英語イパネマなんてめちゃ好ましく聴こえます。英語ネイティブぽく聴こえないとこが可愛い!もし、これはボサノバじゃない!とかいわれたらウンザリするな〜〜めんどくさいよな〜ボサノバじゃなくてボサノビかなんかですかねといってしまいそう、、、
    まあボサノバ部外者なのでノンキなこといいちらかしてます。

    真性ボサノバ、みたいのも聴いてて楽しいけど、
    「暮らしのボサノバ」っていうのがこれまた、へりさんのいろんな音楽体験がミックスされた感じをよく出していていいなって思います。

    わ、長文になって失礼。

    返信
  2. heli 投稿作成者

    こちらこそ長文のエントリーを読んでいただきありがとうございます。
    また、オリジナル曲についてのコメントは非常に嬉しかったです。ありがとう。

    オリジナル作品を作ることについては、そのうち改めてまとまったものを書こうと思いますが、一つだけ。少なくとも「意味のあるオリジナルを作ること」はおろか、「オリジナルを作ること自体」ですら、私にとっては全然「軽々」ではなかったですよ~(泣)。

    弱音とも愚痴ともつかないこと書くと、「作ること」に対する「敷居」ってもっと低くならなかったもんかなぁという気がします。たわいのないものでもつまらんものでもいいから、もっと気楽に「作ること」に乗り出すことができたらよかったのにと思うんですよね。
    もっとも、それは私自身の考え方の問題というか、自分で自分の内面に敷居を設置していただけなのかもしれないけど。

    本家vs邪道対立については、その根っこの一部は左翼イデオロギー的なものなんだろうなと思ってます。資本主義の親玉アメリカのリッチな白人ミュージシャンが、第三世界ブラジルが生み出した宝物たるボサノバを搾取する、みたいな。これに趣味の違い(「やっぱボサノバにはサックスじゃなくてフルートだよね」とか)や相互理解の欠如などが重畳して、不毛な対立のようなものが形成されたのだと思います。今やそんな話も雲散霧消しつつあるとは思いますが。

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