アライヂ・コスタとシルヴィア・テリス

ボサノヴァの歴史によれば、1959年、chega de saudadeが世に出た次の年に、今ではボサノヴァとして知られる新しい音楽が学生の間で話題となり、リオデジャネイロ・カソリック大学(PUC)で学生の企画による「第1回サンバ・セッション・フェスティバル」が開催されたと書かれています。大勢の学生が押し寄せ、成功裏に終わったこのイベントでは、「ハイライトはアライヂ・コスタ」であり、「シルヴィーニャ・テリス以外にはアライヂに太刀打ちできる者はいなかった」と書いてあります。

これを読んだ時点では、アライヂ・コスタもシルヴィア・テリスも聞いたことがなかったので、どんな感じなん?と興味を持って、アライヂ・コスタのアルバムCanta Suavementeとシルヴィア・テリスのアルバムAmor em Hi-Fiを聞いてみたんですが、私のイメージしていたボサノヴァとはずいぶん違ったものでした。たとえばボサノヴァの歴史には、アライヂ・コスタの「おまえの悲しみが泣く」について「このムーヴメントの枠を超えてヒットし、”最初のボサノヴァの曲”と呼ばれるようになる歌だ」と書いてあるんですが、Canta Suavementeに入っているその曲を聴いた印象は、つややかな声で朗々と(ちょと色っぽく)歌い上げる唄に弦と管がたっぷり入った豪奢なバッキングというもので、簡素なバッキングで淡々と歌うというボサノヴァのイメージとはかなりかけ離れていました。
Amor em Hi-Fiの方は、ギターが入ったりしてもう少しはボサノヴァっぽい面もあるけど、唄はアライヂ・コスタと似た印象で、例えばアストラッド・ジルベルトとかに比べるとずっと情感のこもった感じがしました。

ディス・イズ・ボサノヴァとかでも評論家が「シルヴィア・テリスは典型的なボサノヴァの歌手とはいえない」みたいなことを言っていたように記憶してるんですが、ではその場合の「典型的なボサノヴァ」ってなにかというと、たぶんジョアン・ジルベルト的なものなんだろうと思うんですが、当時のブラジルではアライヂ・コスタやシルヴィア・テリス、さらには「小舟」を歌ってボサノヴァ人気が全国区になったなどと言われる(らしい)マイーザとかが歌ったものも、いやそれこそが立派なボサノヴァだったということはないのかなと思ったりもします。ジョアン・ジルベルトはともかくアストラッド・ジルベルトがブラジル本国でほとんど知られていないということになると、いわゆるボサノヴァっぽい歌い方をする当時の女性歌手ってワンダ・サーくらいということはないんだろうか(でもヴァガメンチだって64年と少し時期的には遅いし)。

ああ、仕事に行かなきゃ。


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