ここしばらくボサノヴァばかりやってきました。
コード感も気持ちよいし、唄も(音域的にもフレーズ的にも)歌いやすいし、自分でも曲を思いつきやすいから、たぶん自分に合っているんだろうと思います。
ただ、そろそろ違うこともやりたくなってきました。
去年出した「いつか住んでいた家」にもボサノヴァじゃない曲がいくつか入ってるけど、どうも10曲全部ボサノヴァだと単調で飽きてしまうような気がしたんですね。
もちろん一口にボサノヴァといっても、リズムパターンとか曲調とかで幅広いバリエーションを作り出すことはできるはずなので、単に私の腕前というか能力の問題ではあるわけですが。
で、何をやろうかな。
たとえばロジ・プレインとかレイチェル・ダッドみたいな、オープンコード(なんとなくオルタネートチューニングっぽい響きのような。違うかもしれないけど)で短いパターンをループ的に延々と繰り返していくようなアコースティック弾き語り曲はやってみたい。さてどうすればいいんだろう・・・。
オルタネートチューニングはジョニ・ミッチェルやポリー・ポールズマとかで多少の経験はあるので、どういうふうに取り組んでいけばいいのか多少はイメージが湧くのだけど、問題は「短いパターンをループ的に延々と繰り返していくような」タイプの曲をどうやって作るかです。どうもAメロBメロCメロとかでコード進行のバリエーションをつけていくようなタイプの曲づくりになじんでいるせいか、いまいち勝手がわからんです。単に作るだけなら作れるだろうけど、魅力的なものにするための勘所みたいなものがよくわからない。まぁそれは実際に作りながら体で覚えていくしかないのかもしれないけど。
ま、ものづくりは一日してならず。気長に取り組みます。
良いですね〜〜〜
突然ですが
こないだのライブみて思ったんですけど、
やっぱり私は原則としてオリジナルをやる人好きです。
カバーもボサノバも好きですが
自分でやっててすら
正直、曲がいいのは当たり前じゃん、というところがあり。
それで拍手をもらうと少し恐縮します。
だってもうすでに世の中で承認されたいい曲やってんだもの。100人力の強い味方が最初からバックについてる。
それに比べてオリジナルの惨めさ(笑)
元曲に匹敵する、凌駕するすんごいカバーはたくさんあるし、それも大好き!
それはどっちが上とかじゃなく(だってどっちもいいしね)、ただ闘う場所が違うような気がする。
どんなにカバーに工夫をしてみても、オリジナルを作って歌う人の恥ずかしさとかっこ悪さには遠く及ばない気がするのですよ。
でも私は、その恥ずかしさを越えてオリジナルを歌うなまぐささに心をグッと動かされるのです。それは素晴らしいカバーを聴いたときとはまた違う種類の感動な気がします。わかってもらえるかしら。
だから私はへりさんがトリで恐縮してたけど、
ぜんぜんトリで良かったと思いました。
曲を途中で間違えてもやめないでほしいと思うけど(笑)、
ベテラン二人とはまた違う場所にリッパに立ってるのが誇らしく思いました。
というわけで、次のことをやりたくなるのは
オリジナルを作ってる人にとって、
自然な流れだと思います。
期待してまっせ〜〜
いちファンというかいち観客としての立場だと、カバーであってもyojikさんのすばらしい唄に拍手するのは当たり前じゃんと思うけど、演る側の立場だとyojikさんの言うことはすごくよくわかります。この曲、この詞、この唄、この演奏を支えているのは自分しかいないという、徒手空拳で背水の陣で孤軍奮闘な感じ。しかも、自分の中の第三者目線がいちばんたちのわるい敵だったりするという・・・。まぁそれでも、まがりなりにも十曲つくったたまものか、すこしは図太くなったかもしれませんが、状況が変わったわけではないんですよね。何はともあれ前のめりに進んでいきたいと思います。yojikさんもがんばれ!