ソーシャル(社交)〜「大人ってこんなに毎日会ったりしないもんだよ」

どういうタイトルをつけたらいいかわからないので適当につけてみる。

「ボサ・ノヴァ・ギターが弾ける本(中村善郎)」の中のコラムに、ブラジルの酒場の話が出てきます。それによれば、酒場に来る人はみな仕事が終わると家でシャワーを浴びて着替えてやってくるので、お互い普段何をやっている人なのかをうかがい知ることができない、とのことです(うろ覚えなので正確性はすこし怪しいかもしれない)。で、ギターを回し弾きしながら酒を飲みながら話をしながら夜はふけていく、という。

我が身を振り返ると・・・
私がサラリーマンになった二十数年前のことを思い起こすと、自分には会社以外の日常的人間関係がほぼ皆無でした。札幌から東京に出てきて知り合いがほとんどいなかったということもあるけど、普段はまっすぐ家に帰り(しばらくすると江古田の喫茶店プアハウスなどに立ち寄ってから帰るようになりましたが)、土日は会社のテニスクラブに参加するか、さもなくばレコードや本を買いに池袋に繰り出したりする程度。

4年後、高校時代のクラスメート(当時大学院生だった)とルームシェアして住むようになったこともあって、そちら関係(大学関係者)とのつきあいが発生し、少しだけ状況は変化しました。その後も、パソコン通信NIFTY-Serveに入ったり、音楽教室やらテニススクールやらに通ったりして、さらに少しずつ状況は変化。
その後、90年代後半に大きく状況が変わりました。ひとつはギター教室に入ったこと。グループレッスンだったのですが、年数回行う発表会やギター合宿で、他の生徒のみなさんとずいぶん親しくなりました。もうひとつはインターネットで知り合ったギター仲間との付き合いです。都内だけでなく四国のお泊まりイベントとかにも参加したりして、これまた人間関係が大きく広がりました。

こんな状況は今もさらに発展しつつ続いているのだけど、ちょっと振り返って、二十数年前、サラリーマンになった当時にこういう未来が待っていると想像できたかというと、正直なところ全くできなかったですね。会社と家を往復するだけの毎日ってなんなんだろーなー、こんなことを一生続けるのなら意味ないなーなんて思っていたような気がします。

というわけで、ずいぶん自分の人生はましになったような気がしているんですが、それでも冒頭に書いたようなブラジルの酒場的社交生活(なんとなく思うのだけど、こういうのってブラジルの特殊事情ではないですよねきっと)に比べると、仕事でも家庭でもない部分の人間関係の厚みのようなものが乏しいのかなという気もします。あまり毎日顔をつきあわせていると暑苦しくなるのかもしれないけど。


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