田崎晴明「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」

原発事故が起こって以来、ベクレルとかシーベルトといった言葉を頻繁に目にするようになったわけですが、放射線とか放射性物質そのものがこれまで日常的になじみがないものだったので、それぞれの単位の正確な意味は、ある程度まとまった形の信頼できる解説を読まないとなかなか理解するのが難しいと思います(少なくとも私にとっては)。さらに、そもそも放射線とか放射性物質とはどういうものなのかとか、どのくらいの値だとどのくらいの影響があるかとか、どういう対策にどのくらい効果があるのかとかいったことについては、いろいろな立場の人が異なった(場合によっては正反対の)意見を言ったりしているので、なかなか本当のところがわかりづらいのではないでしょうか(少なくとも私にとっては)。

田崎晴明さん@学習院大が先日ウェブにアップされた「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」は、そのような疑問にわかりやすく答えてくれるテキストだと思います。難しい数式も使わず平易に書かれているので、私のような文系人間でも大丈夫です。とはいえ中身は濃いので、読んでいて濃くなってきたら少し落ち着いて気持ちを集中させた方がよいかもしれません(平易なところはリラックスして読んでも大丈夫かと)。また具体例で計算(足し引き掛け割り算の範囲です)するところは、できれば自分でもそのとおり計算してみると理解が進むでしょう。

なお、この本というか田崎さんのスタンスは第7章を読むとよくわかります。

本やインターネットで人の書いた物を読んでいると(と言っても、ぼくは、人が書いた「まとめ」の類はあまり読まないのだが)、確信をもって「絶対に安全です。心配はいらない」と書いている人がいると思うと、同じくらい堂々と「絶対に危険だ。逃げろ」と叫んでいる人もいる。何故みんなこんなに確信を持って物が言えるのだろうと、ぼくなんかは不思議に思ってしまう。(中略)これまでの研究・調査の結果、ほぼ確実にわかっていると思えることがらについては「わかっている」とちゃんと書き、そうでないことがらについては、「わからない」と正直に書いた。

そして、「ほぼ確実にわかっていることがら」に対する理解が深まれば、世の中で言われているさまざまなことの一部はほぼあり得ない・起こりえないことがわかるので、考慮しなくてもよくなるでしょう。その結果得られる認識の中には、われわれにとって良いこと(たとえば「放射線の被害によって人がバタバタと倒れるようなことはなさそう(P121)」とか)もあれば良くないこと(たとえば「煮沸消毒しても、焼却炉で燃やしても、微生物に食べさせても、放射性物質を分解して無害な物質に変えることはできない(P27)」とか)もあるでしょう。

そして、そのように「わからない」ことが減らすことで、ほぼあり得ない・起こりえないことを怖がったり期待したりしなくてもよいようにしようというのが、これまで言われてきた「正しく怖がる」ということの意味だと思います。
一方で、田崎さんのような物理学者ですら勉強しても「わからない」ことはゼロにはならないし、たとえゼロに限りなく近づいたとしても、「怖がる」という「感じ方」には個人差があるし、かつそのような個々人の感じ方は尊重されなくてはならない、だというのが田崎さんの言いたいことだと思います。
私はどっちも正しいと思います。

なお、田崎さんのテキストは朝日出版社から単行本として出版することが決定した由。


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