WSJ「【寄稿】同胞を見捨てる世界のエリート」について(思いつきメモ)

出雲旅行記の途中ではありますが。

ネット上でこんなWSJの記事を見かけました。【寄稿】同胞を見捨てる世界のエリート

この記事の後半では「エリート」と一括りにして、特にリベラルか否かは問題にしていませんが、前半はメルケルの移民・難民受け入れ政策に関する話が多くの分量を割いて書かれているので、今回の米大統領選の結果のことも考えて、ここではリベラルな理念がなぜ「保護されていない人々=厳しい生活を送り、このような(=大量の難民・移民受け入れのような)重荷に対処するだけの資源を持たず、特別に保護されることもなく、金もコネもない普通の人々」のことを見捨てるようになった(ように見える)のかについて、思いつくままにメモしてみます。

1.リベラルとソーシャルに関する濱口桂一郎氏の議論
 濱口氏のブログに掲載されている「リベラルとソーシャル」という記事は、この問題を考える出発点として良いと思います。
 ポイントは、
1)ヨーロッパでは、経済活動の自由をできるだけ尊重するのがリベラル、労働者保護や福祉の為には経済活動の自由をある程度制限することもやむを得ないと考えるのをソーシャル。
2)アメリカでは、ヨーロッパのソーシャルに相当するものがリベラルと呼ばれている。
※2)の背景については、「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください–井上達夫の法哲学入門」という本を読んで一応納得はしました。手元に本がないのでうろおぼえですが、確か「何ものから束縛されることなく自由に生きるためには一定の経済的な保証が必要であるとの考えのもと、それを実現するための施策(福祉など)の実現を志向するのがリベラル」だということだったかと。

2.「リベラル」という言葉の多義性
 前項の話だけでも話が混乱する要因として十分だと思いますが、他にもいろいろあると思います。
【リベラル1=ソーシャル】労働者保護や福祉を志向
 これは現実的な問題を解決するということであって、たとえば労働者が安く長時間こきつかわれているのであれば、賃上げとか労働時間削減などの実現に向けて取り組むということですね。労働法制などによる規制も主要な手段の一つです。
【リベラル2】リベラル1の発展系ですが、労働者が不利益な立場にある根本原因を資本主義的な生産様式に求め、その解決策として社会主義や共産主義の実現を掲げる。視線が足下の問題から遠いところにシフトした結果、問題解決に向けた現実的取組への関心が薄れたりすることもあるように見受けられます。
【リベラル3】問題の範囲を労使関係から年齢、性別、人種、性的志向等に拡張し、差別や抑圧の解消を目指す。

時間が無いので尻切れトンボ気味ですが、(アメリカ的意味での)リベラルの軸足が【リベラル1=ソーシャル】から「リベラル2」「リベラル3」へと次第にシフトする中で、【リベラル1=ソーシャル】成分が揮発していってしまった、ということなのかな、と。
とつぜん日本に視点を移すと、例えばリフレ的(=緩和的)な金融政策とか、働き方改革(時間労働削減など)とかは、そもそもがソーシャルな政策なので(アメリカ的な意味での)リベラル政党が真っ先に担いでしかるべきものではないかという気がするんですが、大々的に推進しているのは自民党安倍政権だったりするのも、同じような構造なのかなと。

まあ、腰を据えて勉強したことのある分野でもないので、あくまでも素人のメモということで。

【追記】この記事を寄稿したペギー・ヌーナン氏が、2月にトランプに関する記事を寄稿していたことが池内恵氏により紹介されていました


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