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県境マニア・飛び地マニア

さきほどFacebookで「福島県の盲腸県境」の話が紹介されていたので、興味を持って見に行きました。
いやー。こういうの好きなんですよね。「県境マニア」とか書いてあるし。世の中にはいろんな人がいるもんだ。
ちなみに、最初の写真だけをぱっと見ると、単に3つの県の県境があるだけに思えるかもしれないけど、要するに尾根伝いに福島県の領土がにょーーーっと伸びているという話です。

似たジャンルとして「飛び地」があります。最初にこの世界と出会ったのは「自治体の飛び地」というページ。いやあるわあるわ。よくこれだけ調べるよなー。都道府県別では千葉と大阪が多いようです。一覧表の一番左の列の地名をクリックすると地図を見ることができます。千葉県山武市の二重飛び地とか見ると思わず笑いがこみ上げてくるのは一部の人種だけなんだろーか(一段階ズームアウトするともっと笑えるかも)。落書き帳では飛び地マニアが熱く語り合っていて実に好ましい。
ちなみに世界の飛び地については、世界飛び地領土研究会というページがあります。こちらもディープですなー。

私が生まれ育った札幌の地名は「南24条西11丁目」みたいなXY座標の世界だったので、飛び地というものがそもそも感覚的にぴんとこなかったんですが、内地(北海道人は北海道以外の都道府県(主に本州だけど)をこう呼ぶ)の、特に地方の地図を見ると「源左衛門新田(川口市)」とか「兵太夫(藤枝市)」とかいう地名があって、地名はその土地の持ち主なんだなと実感させられます。境界線が妙に複雑だったり飛び地があったりすると、昔は領地を巡る争いがあったのかな?と想像したり。


北斗星に乗ってきた

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北海道と本州を結ぶ「青函トンネル」の話を聞いたのは、生まれ育った札幌の小学校のたぶん社会科の授業でした。
完成したら世界一長いトンネルになること。大変な難工事であること。完成は1980年代の後半であること。1988年と具体的な年を聞いたような気もしますが、昔のことなので記憶は定かではありません。

「高度成長の頃は夢があった」とか言われますが、自分自身があまり将来に夢を抱いたりするような子供でなかったせいか(単に現在のこと(野球だとか)に夢中で将来のことなぞあまり考えもしなかったというだけのことで、将来のことを冷静かつ現実的に見据えていたとか、そういうんじゃありません)、あまりぴんとこないんですよね。
でも、青函トンネルはそのような「夢」だったのではないか、と言われたら、まあそうかもしれません。

東京に母方の祖父母の家があったので、子供の頃、二度ほど鉄道で行きました。
普段から家の前を走っていた路面電車には乗り慣れていたけれど、鉄道らしい鉄道に乗るのは夏休みの海水浴で小樽の方に行くときくらい。
ましてや、東京まで、一泊二日で、青函連絡船や寝台列車を乗り継いでとなると、これはもう非日常的な体験以外の何物でもありませんでした。
乗り物酔いしやすかったため苫小牧くらいまで来たところですっかり気分が悪くなり、窓が開かないと窒息すると大騒ぎしたこと。初めて乗る大きな船に興奮して走り回ったこと。青森駅の跨線橋から眺めるホームに泊まっている何台もの寝台列車の幻想的な光景。冷凍みかんのひんやりとした味。明け方にこっそり寝台の小窓から眺めた、どことも知れない土地の薄明の景色・・・。

・・・とまあ、そんな記憶もすっかり過去のものとなった1988年。
新卒で上京した際に勤務先から世話してもらった練馬区のアパートを引き払って、埼玉県の京浜東北線沿いにある巨大団地に引っ越した年。結局、その一年間しか住んでいなかったんですが。
ある日。仕事帰りで駅から団地に向かう途中、線路沿いの道を歩いていると、後ろから列車がごーーっという音とともに追い抜いて行きました。
何気なく列車の方に目をやると、それは寝台列車で、行き先の表示は「札幌」。

あのときのくらくらするような感覚。
スガシカオの「夜空ノムコウ」に

あのころの未来に、僕らは立っているのかなぁ

という一節があるけど、まさにそういう感じ。

これは乗らなくてはならない、と思って、その年の夏休みに札幌に帰省するときに早速乗りました。
バブルの頃だったこともあって、食堂車「グランシャリオ」とかロビーカーとか、なんだか自分の知っている寝台列車と違って豪華だなーと思いながらも、これ一本で札幌まで行けてしまうんだ!という事実はやはり圧倒的、感動的。
そして青函トンネル。トンネルに入る前はすごくドキドキしたけど、いざ入ってしまえば、トンネルはトンネル。
とはいえ、途中の竜飛海底とか吉岡海底とかの駅を通過したときは、海底を通っているという感動がじんわりと湧いてきたし、その前後の津軽線とか旧江差線から眺める海は本当に美しかった。

その後も何度か北斗星には乗ったけど、90年代半ばに父親が逝去して実家が札幌になくなってからは、札幌に行く機会も少なくなり、北斗星にもずいぶん長い間ご無沙汰することとなりました。

今年、北斗星の運行がとうとう終了するとのニュースが。
正直なところ、速く行きたいなら飛行機使うよ!新幹線なんてどうでもいいやん!と思うわけですが、まあそのあたりは今や関東在住の私がとやかく言うべき話でもありません。
というわけで、予定を立てて、一ヶ月前の午前4時に最寄りの駅に並んで、チケットをなんとかゲット。今週末に乗ってきました。
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19時間の旅だったけど、なんだかあっという間に終わってしまいました。
自分にとっての一つの時代が終わったという感じ。


ギターかついで立山越え

少し前の話ですが、ゴールデンウィークに富山に行ってきました。
以前通っていたギター教室の合宿がなぜか富山で開催されることになり、OBの私にも声がかかったのでした。

で、問題はどうやって行くかです。
富山は昨秋にも行っていて、そのときは黒部から立山を通って富山に抜けるという、もろ観光ルートを通りました。まあ富山に用事があるだけの人は普通こういうことはしないと思いますが。
で、今回ですが、結局性懲りもなく同じルート。
一つは黒部・立山に行ったことのない友人と2人連れだったということもあるけど、この時期の立山といえば、あの何メートルもの高さの雪の壁の間を走っていくバスに乗れる!ということが大きかったですね。
問題は気温。当時は地上もあまり暖かくなくて最高気温が15度くらいだったのだけど、なんといっても立山は標高2500メートルくらいなので、氷点下も覚悟しなくてはなりません。というわけで、一応それなりの準備はしていったんですけど。でも黒部立山ルートの入り口の扇沢ターミナルのテレビを見たら、室堂の気温は氷点下8度・・・。

でも行ってきました。天気は快晴!風もなかったので、体感温度は全然寒くなかった!
というわけで証拠写真。
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室堂は完全に雪景色で、スキーやらスノーボードやらをやっている人はたくさんいますが、ギターケースを抱えている人は見かけませんでした(当たり前だ)。
すれ違う人も、最初は「この人が持っているギターケースみたいな物体はいったいなんだろう?」みたいな目つきでこちらを見るんですよね。たぶん、新手のウィンタースポーツの用具か何かだと思ったんでしょう。で、すれ違ってしばらくすると後ろの方から呆れたような声で「・・・ギターか・・・」とか言っているのが聞こえたり。なかなか楽しい山越えでした。


北海道に行ってきました。

先週末、北海道旅行に行ってきました。
11月下旬などという一番旅行に適していない時期に行ったわけは、母親と姉が合唱をやっていて、そのコンサートが札幌であるから。
それにしても、この季節の北海道を訪れるのはずいぶん久しぶりなので、いまいち季節感がどんな感じだったか思い出せないまま、念のため雪が積もっていても大丈夫なよう準備をして臨みました。

■11/22
昼間で仕事をした後、飛行機で千歳に飛び、すぐに車を借りて札幌へ。路面はぜんぜん乾いていて、普通の感覚で走れたので一安心。コンサートは7時からなので、6時までに札幌に入れたら福来軒でラーメンを食おうと思っていたら、本当に6時ぴったりに到着。醤油ラーメンと非水洗便所を堪能し(違)、本日の宿のホテルライフォートにチェックイン。安くて立派で良い宿でした。
で、今回の旅のメインイベントが行われるkitaraへ。最初と最後は現役の合唱団が演り、間に母親と姉が属しているOBの合唱団が単独もしくは現役との合同で演るという構成。現役はいかにも現代の合唱団らしいというか、清澄で正確だけど厚みとか豊かさはそこそこという感じ。一方、OBは全く逆で、ビブラートは多く音程も完璧とは行かないのかもしれない(どちらも十分許容範囲だったと思うけど)けど、子供の頃から聞き慣れた豊かで厚みのあるトーンは何にも代えがたいものがあるように思いました。そういう意味では、現役とOBの合同演奏はそれぞれのいいところがうまく融合して、とてもよかったような。
■11/23
朝起きたらいい天気なので写真を一枚。ほぼ真ん中に見える平べったい建物がkitara。

その後、朝風呂に入って再び外を見たらこんなことに。なんという天気の変わりやすさ。

チェックアウトし、雪降る中を母親と姉とともに車でフラフラ。中島公園に倉式珈琲店というよさげな店を見つけて一休み。後で調べたらサンマルクの系列だったんですね。うーむ。その後小樽に移動して、毎度のおおとみろーとれっく。そういえば、これまた後で知ったのだけど、ろーとれっくの姉妹店のマリー・ローランサンは小樽駅の近くに移転したんですね。こんど行ってみよう。
宿はニセコの五色温泉。雪が降る中、ちょっと硫黄の香りのする露天風呂を堪能しました。いやー最高っす。
■11/24
最終日。もちろん朝も露天風呂。温度計を見ると氷点下8度でした。でも、むかし入った芦別温泉の露天風呂は氷点下20度くらいだったから、氷点下8度なら楽勝です!
宿を出て雪の中をひたすらドライブ。昼前に洞爺湖のほとりの月浦にあるゴーシュというカフェに到着。ここはしあわせのパンという映画でロケが行われたとのことで(見てないのでどういう映画なのか知らないのだけど)、開店前から数人が待っているという人気店。私は開店時間も何も把握しないまま行ったのだけど、偶然ベストのタイミングに店に入れたようで、店を出る頃には何組もの客が席が空くのを待ってました。
それはともかく、雪や霧で見えたり隠れたりする洞爺湖を大きな窓ごしに眺めながら美味しいパンと珈琲をいただくのは、確かにとても良い感じ。

あとは、きのこ王国大滝本店で昼飯喰ったり土産買ったりして、車窓ごしに支笏湖の眺めを堪能し、千歳空港へ。2泊3日の旅は無事終わり。

・・・と思ったら、最近北海道の天気がすさまじいことになっているような。いやー旅行の時はちょっと雪が降るくらいで済んでよかった・・・。


九州で旧交を温める

先週の金曜日から土曜日にかけて九州に行っていました。

■金曜日の夜は福岡でしほたつさんと呑みに行きました。会うのは何年ぶりだろう? 10年は経っていないと思うのだけど、5年経ったか否かはもはや判然としません。あと、なんだか会うたびに場所が違うんですよね。前回は京都だったし、その前は横浜だった、とか。
 もともと、90年代にパソコン通信NIFTYのオリジナル曲のフォーラムで知り合ったのですが、あれこれライブを一緒に見に行った記憶の方が強いかも。たとえば小川美潮は、CDは持っていたけどライブはしほたつさんに誘われて初めて見に行ったし、西山瞳とかB-Hot Creationsとかは全然知らなかったけど、どちらもとても良かった。そうそう、しほたつさんのサイトにあるジャズ関係のレビューがとても面白いです。ジャズのレビューというと、やたら独断的・教条的か珠玉の名曲的にあたりさわりがないかのどちらかというのが多いように思いますが、しほたつさんのは視点がとても柔軟でジャズへの愛情とユーモアが感じられるのが良いです(それも決して名盤ばかりではないことが「変なジャズ」のレビューをみればわかります)。あと、ブログのカテゴリーを見てもわかるとおり、音楽以外もとても多趣味な人です(折り紙とかまじですごい)。
 そんなしほたつさんと呑みながら話を聞くのはただただ楽しい。連れて行っていただいた割烹(でいいんだろうか?)で美味しい日本酒と和食(刺身とか塩辛などの海産物)を堪能しつつ、楽しいひとときを過ごしました。

■土曜日の昼は熊本で。約20年前、まだ札幌に住んでいた頃、東京に一年間研修に来たことがあったのですが、そこで知り合った熊本からの研修生3人とひさびさの再開。会って喋ると、なんかあまり変わってないなーと思うのだけど、一方で今はみなスマホをばりばりと使いこなしていて、そこだけは時代の流れを感じたかも。今回、熊本に来ること自体が20年ぶりだったのだけど、今や政令指定都市になって立派になったなーという印象。あと、くまもんというのがゆるキャラとして脚光を浴びているとのこと。世事に疎い私は全然しらんかった・・・。
 東庵という老舗の蕎麦屋に昼飯に連れて行ってもらい(せいろ寿司というのを食べた。うまかった!)、熊本城を案内してもらい、おみやげまでたんまりいただいてしまい、なんだかお世話になりっぱなしでただただ恐縮。次は20年たたずに会いたいもんです。