月別アーカイブ: 2012年4月

yojikとwandaライブ@おんがくのじかん

ということで行ってきました。おんがくのじかんは初めて行く店です。というか三鷹で下車するのも実は初めてなんじゃないだろーか。
店に向かいながら、なんかこの感じは覚えがあるなぁと思って、さっき思い出したのだけど、中央線の駅から南に下って右側のビル地下にある店、というのが、以前OTTさんのライブを見に行った国立の「音楽茶屋 奏」と一緒だ。
で、おんがくのじかんですが、ウェブに書いてある「音楽レーベルがキリモリする、お茶やお酒が楽しめるCDショップ&イベントスペース」という説明そのもので、壁には CDがジャケットが見えるようディスプレイされ、奥にはバーカウンターがあり、そしてピアノのあるステージがあるという。近所にこういう店があったらいいなぁと思うのだけど、中央線沿線と違って我が家のある沿線にそのような店はあまりないのであった。

今回は3組の対バンライブ。最初は初めて見るアニス&ラカンカという女子2人組。2人ともエレキギターを弾きながら歌うという点では、先日池袋ミュージックオルグで見たGustave Coquiotとかもそうだけど、独特の暖かみのある音になるなぁと思います。いざとなれば歪ませてアグレッシブな演奏もできるし。ニュージャージーからの来日公演ということで(笑)、ちょっとアメリカンフレーバーなところも感じました。
2組目はyojikとwanda。ひさびさのデュオは、ややスロースターター気味だったけど、後半は尻上がりによくなる感じ。19日の下北沢leteのワンマンライブが楽しみだけど、私は行けるかどうか激しく怪しい。うまく都合がつくよう天に祈るばかりです。
トリは原田茶飯事。祖師ヶ谷大蔵ムリウイで見て以来二度目だけど、やはりすごくインパクトのある唄とギターに圧倒されました。というか、お客さんをいじったりしている様子からも、前回に輪をかけてノリが良かったような。

これで土曜日とかだったらもっと遅くまでのんびりしていくんですが、日曜日ということで翌日のことを慮って早めに失礼しました。


フィーリン〜Guyun y su Grupo “Canta Elisa Portal”、Jose Antonio Mendez “Escribe Solo Para Enamorados”

結構前にヴィヴァ・ボサノーヴァという本を読んでいたら、カエターノ・ヴェローゾの「粋な男」というアルバムの紹介で故・中村とうよう氏が「このアルバムは本質はフィーリンをやっていることなのに、ライナーノーツにはそのことは全然触れられていない」と書かれていました。かなり批判的な書きっぷり(「ゲスの勘ぐり」とか書いてあったもんなー)に「そこまで書かんでもいいんじゃないか」と思いつつ、「フィーリン」というボサノヴァに相通ずるようなスタイルの音楽がかつてキューバに存在したことを知り、いつか聞いてみようと漠然と思ったのでした。

で、最近のことですが。
何かの雑誌(何だったか思い出せない)で雨と休日という西荻窪のCDショップが紹介されていたのを読んだのですが、「穏やかな音楽ばかりを集めたセレクトCDショップ」というコンセプトが気になったのでウェブサイトを見に行きました。扱っているCDを見ると、普段よく聞いている好きな音楽がずいぶん多かったので、なんか親近感を持ったのですが、最近のブログの記事でフィーリンのアルバムが紹介されている! ということで、即座に紹介されている2枚のCDを買ってしまいました。詳しい情報は元記事をご覧いただくとして、
■Guyun y su Grupo / Canta Elisa Portal
 ギターのコードワークはボサノヴァ(ジャズ)と共通するモダンな感じですが、スチール弦っぽい音色はまた違った味わいがあります(ボサノヴァはナイロン弦じゃないと・・・という感覚は私にはないみたいです)。唄はナチュラルなヴィブラートを利かせて比較的さらりと唄っていて、なんとなくボサノヴァ期の女性サンバ・カンソン歌手を連想しました。
■Jose Antonio Mendez / Escribe Solo Para Enamorados
 曲のタイトルが「あなたがわたしをわかってくれるなら」「変わってしまったあなた」「わたしを愛して」「できることなら」「私を責めて」「決心しておくれ」「私の熱愛」・・・という感じです(他の曲もみんなこんな感じ)。なんか演歌っぽい湿性の暑苦しい世界が展開されても不思議でない感じですが、音は全然そんな感じではなく、クールなバックと抑え気味の唄です。淡々とつぶやくような感じではなく、ハスキーで細かいヴィブラートのかかった声ですが、さらりと気持ちよく聞ける唄です。


久々に英語学習進捗状況

 ずいぶん長らく話題にしてこなかった英語学習の件ですが、決して挫折したわけではなく、通勤時間は英語学習の時間という習慣がすっかり定着しています(時々さぼるけど。特に帰りの電車で疲れている時は)。
 今やってるのは、
・自宅の最寄り駅からターミナル駅まで(私鉄)・・・ぐんぐん英語力がアップする音読パッケージトレーニング 中級レベル(森沢洋介、ベレ出版)
 英検2級のリスニング英文を素材に使った音読パッケージ用テキスト。パッセージが100もあるので、なかなか終わりません。
・ターミナル駅から職場近くの駅まで(地下鉄)・・・DUO3.0(鈴木陽一、アイシーピー)
 語彙力を増やすことを狙った例文ですが、いわゆる瞬間英作文的なトレーニングを行っています。が、これまた例文が560もあり、4分割して進めています。今は3つめ(281-420)をぐるぐる回しているところ。
 というわけで、どちらもボリュームが結構あり、しかもちょうど後半戦まっただ中くらいのところにいるので、若干倦怠気味ではありますが、いまがふんばりどころだと思ってがんばっています。まあがんばるとはいっても一応は習慣化してるので、さぼらないよう少しだけ自分にハッパをかけるくらいですが。
 これらが終わったところで、久々にTOEIC受けてみようかな。


ボサノヴァの次になにをやろうかな。

ここしばらくボサノヴァばかりやってきました。
コード感も気持ちよいし、唄も(音域的にもフレーズ的にも)歌いやすいし、自分でも曲を思いつきやすいから、たぶん自分に合っているんだろうと思います。

ただ、そろそろ違うこともやりたくなってきました。
去年出した「いつか住んでいた家」にもボサノヴァじゃない曲がいくつか入ってるけど、どうも10曲全部ボサノヴァだと単調で飽きてしまうような気がしたんですね。
もちろん一口にボサノヴァといっても、リズムパターンとか曲調とかで幅広いバリエーションを作り出すことはできるはずなので、単に私の腕前というか能力の問題ではあるわけですが。

で、何をやろうかな。

たとえばロジ・プレインとかレイチェル・ダッドみたいな、オープンコード(なんとなくオルタネートチューニングっぽい響きのような。違うかもしれないけど)で短いパターンをループ的に延々と繰り返していくようなアコースティック弾き語り曲はやってみたい。さてどうすればいいんだろう・・・。
オルタネートチューニングはジョニ・ミッチェルやポリー・ポールズマとかで多少の経験はあるので、どういうふうに取り組んでいけばいいのか多少はイメージが湧くのだけど、問題は「短いパターンをループ的に延々と繰り返していくような」タイプの曲をどうやって作るかです。どうもAメロBメロCメロとかでコード進行のバリエーションをつけていくようなタイプの曲づくりになじんでいるせいか、いまいち勝手がわからんです。単に作るだけなら作れるだろうけど、魅力的なものにするための勘所みたいなものがよくわからない。まぁそれは実際に作りながら体で覚えていくしかないのかもしれないけど。

ま、ものづくりは一日してならず。気長に取り組みます。


ソーシャル(社交)〜「大人ってこんなに毎日会ったりしないもんだよ」

どういうタイトルをつけたらいいかわからないので適当につけてみる。

「ボサ・ノヴァ・ギターが弾ける本(中村善郎)」の中のコラムに、ブラジルの酒場の話が出てきます。それによれば、酒場に来る人はみな仕事が終わると家でシャワーを浴びて着替えてやってくるので、お互い普段何をやっている人なのかをうかがい知ることができない、とのことです(うろ覚えなので正確性はすこし怪しいかもしれない)。で、ギターを回し弾きしながら酒を飲みながら話をしながら夜はふけていく、という。

我が身を振り返ると・・・
私がサラリーマンになった二十数年前のことを思い起こすと、自分には会社以外の日常的人間関係がほぼ皆無でした。札幌から東京に出てきて知り合いがほとんどいなかったということもあるけど、普段はまっすぐ家に帰り(しばらくすると江古田の喫茶店プアハウスなどに立ち寄ってから帰るようになりましたが)、土日は会社のテニスクラブに参加するか、さもなくばレコードや本を買いに池袋に繰り出したりする程度。

4年後、高校時代のクラスメート(当時大学院生だった)とルームシェアして住むようになったこともあって、そちら関係(大学関係者)とのつきあいが発生し、少しだけ状況は変化しました。その後も、パソコン通信NIFTY-Serveに入ったり、音楽教室やらテニススクールやらに通ったりして、さらに少しずつ状況は変化。
その後、90年代後半に大きく状況が変わりました。ひとつはギター教室に入ったこと。グループレッスンだったのですが、年数回行う発表会やギター合宿で、他の生徒のみなさんとずいぶん親しくなりました。もうひとつはインターネットで知り合ったギター仲間との付き合いです。都内だけでなく四国のお泊まりイベントとかにも参加したりして、これまた人間関係が大きく広がりました。

こんな状況は今もさらに発展しつつ続いているのだけど、ちょっと振り返って、二十数年前、サラリーマンになった当時にこういう未来が待っていると想像できたかというと、正直なところ全くできなかったですね。会社と家を往復するだけの毎日ってなんなんだろーなー、こんなことを一生続けるのなら意味ないなーなんて思っていたような気がします。

というわけで、ずいぶん自分の人生はましになったような気がしているんですが、それでも冒頭に書いたようなブラジルの酒場的社交生活(なんとなく思うのだけど、こういうのってブラジルの特殊事情ではないですよねきっと)に比べると、仕事でも家庭でもない部分の人間関係の厚みのようなものが乏しいのかなという気もします。あまり毎日顔をつきあわせていると暑苦しくなるのかもしれないけど。