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「エマと、蜜と、エマ蜜と」@元住吉Powers2

先日、新作「遠近(おちこち)に」を紹介したエマーソン北村のライブが近所であるというので、歩いて行ってきました。
歩いてライブを見に行くのって、1987年に埼玉に住んでいた頃に見に行ったスザンヌ・ヴェガ@浦和以来27年ぶりです。あまり意味の無い記録だけど。
元住吉Powers2、近所とはいえ行くのは初めてだったけど、ゆったりとしたスペースにのんびりくつろげる席で、なかなか快適。
ビールもブラジリアンソーセージもうまかった。

最初に登場したのが蜜という男女デュオ。男が唄とギター、女が唄。ポップで音楽性も幅広くMCというかお客さんとのコミュニケーションも楽しい芸達者な実力派。
次はエマーソン北村。オルガンとシンセとペダルのベースとリズムボックスを駆使しながら演奏するんですが、コンピュータベースの自動的な仕掛けに頼らない人力感というか生演奏感から、暖かみのある人間くささのようなものが感じられてとても魅力的。いい曲揃いだったけど、個人的には下北六月という曲が好きですね(本当はアルバムでその前の「十時の手帖」から通しで聞くのが良いのだけど)。
最後はエマ蜜ということで3人での演奏。和気藹々としていていい感じ。それにしてもヘイヘイブギにはちょっとびっくり。子供の頃、親が買ったとおぼしき笠置シヅ子のレコードがあって、東京ブギ、ヘイヘイブギ、買物ブギ、ジャングルブギの4曲入りだったんですが、よく聞いてましたねー。ヘイヘイブギは

昔から笑う門にはラッキーカムカム

という詞がなんだか脳天気で好きなんですよね。

というわけで、のんびりたっぷり楽しんできました。
歩いて帰れるライブは楽で良い。


英仏詩の朗読サイト

言葉に音楽がつくと詩であり、音楽のない言葉は散文にすぎない。

・・・とまでポーは言ったと、「対訳 ポー詩集」には書いてあります。
まあ、そこまで言わないまでも、詩においては言葉の音声の側面が重要だというのはよく言われる話ではあります。

あと、言葉の美しさみたいな話もありますよね。○○語は世界一美しいとか、日本語より美しいとか。怪しい話ではありますが。

その割には、日本では欧米の詩の原語の音を感得できるような環境があまり整っているようには思えないのは私だけでしょうか。

あと、それ以前の問題として、文字レベルでもオリジナルの言語の形で詩を読ませるよう手引きするものもあまりないように思います。
英語の詩については、岩波文庫から詩人ごとに対訳が出ているなど、比較的充実しているようですが、たとえばフランス語の詩だと「フランス名詩選」くらいで、しかもアマゾンのレビューを見ると、

類書があまり無い事から貴重な一冊であるのは確かですが、解説らしい解説が無いのが残念でした。
イギリス、アメリカ名詩選ではほとんどの詩に、どういう経緯で書かれたどういう趣旨の詩なのか、丁寧な解説が添えられており、歴史や当時の社会情勢、国民性や世論などを知るのに大変役立ちます。

とか書かれてたりします。やっぱり類書はあまりないんだー。

というわけで、ちょろちょろアマゾンやネットを漁ってみました。

■ポー
1)対訳
「ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)」。近所の本屋で売っているくらい入手しやすいのはありがたいことです。訳者の加島祥造氏の

英米での低い評価とフランスでの高い評価ーこの間に、もうひとりの詩人ポーがいるのではないか。

というニュートラルなスタンスも好ましい感じがします。解説も充実しています。
2)音声
海外のサイトを探したら、LibriVoxというサイトが見つかりました。
まだほんの少ししか見てませんが、すごく充実したサイトのようです。
Listenの側のCatalogボタンをクリックし、検索ボックスの下のAdvanced Searchをクリックし、Authorにpoeと入力し、Category/Genreをpoetryにしてsearchボタンを押すと、わさわさと出てきます。しかも、The Ravenみたいな代表作は各国語版まであります(フランス語版は、ボードレール訳とかマラルメ訳とかいろいろあります)。

■マラルメ
1)対訳
もともと英語もあまりできませんが、フランス語に至っては全くの無知なので、対訳は必須。フランス名詩選にもいくつか載っているみたいですが、”Collected Poems and Other Verse (Oxford World’s Classics) “という英語の対訳が出ているので買ってみました。想像するに、日本語よりも英語の方がはるかにフランス語に近いので、英語で読んだ方がよりフランス語を読むのに近い感覚で理解できるのではないかと(英語力の問題もあるけど・・・)。
2)音声
Litterature audio.comというサイトを発見。「青空(L’Azur)」という詩を聞きたいと思って、検索ボックスに”mallarme L’Azur”とか入れて検索すると、”Apparition”と”L’Azur”という2つの詩が出てくるので、あとは再生ボタンを押すなりダウンロードするなり好きにすればよいです。

いやーネットの検索って楽しいですね(手段が目的と化しているような気がしないでもない)。

 


歌詞づくりの苦労

最近ぱらぱらと眺めている「ポオ 詩と詩論」という本にこんなことが書いてありました。

・・・真なるものに対して敬意を払うことにかけては、ぼくは人後に落ちないつもりだが、やはりここで或る程度、真理一流の説得の流儀が有効な範囲というものをはっきりさせておこうと思う。その方が真理の説得力を強めるし、やたらに範囲を拡げて、かえってそれを弱めるようなことはしたくない。(中略)真理を確固たらしめるには、単純、正確、簡潔でなければならない。冷静沈着で、感情に左右されてはならない。つまり、できるだけ詩的とは正反対の心の状態になければならない。真理一流の説得の流儀と詩のそれとの間にある根本的、断絶的な相違が見分けられないようでは、盲同然である。・・・(詩の原理)

ふだん仕事をしているときは、どちらかというと、ここでいうところの「真理」の世界に近い心持ちだと思うし、それ以前にもともと自分の体質がそっちに近いと思ってるんですが、そういう人がいざ歌詞のようなものを書こうとすると、何か普段の心持ちとは相容れないものを感じて、とても不自由な感覚を覚えたりします。
それを何とかしようと思って、休日に風呂に入ったり極力だらだらして、頭の中をとりとめないようにしようとするんですが。

でも、そんなふうにしていったんネタが出てきて、あとは整理編集、みたいな段階になったら、むしろ平日の朝の仕事前の時間帯とかの方が作業がさくさく進んだり(ポオ自身による”The Raven”の制作の解説を見ていても、なんかそんな感じがしました)。

まだまだ歌詞を作る作業スタイルが確立したとは到底いえないレベルですが、あれこれ試行錯誤する中でぼんやりと感じたことを書いてみました。