「枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ」

近所の商店街に3フロアもある大きな書店があります。
できるだけ贔屓にしようと思って、よく足を運んで本棚を眺めては、面白そうな本を買ってるんですが、一昨日は新潮文庫の棚で「枯れるように死にたい」という本が目にとまり、早速買って読んでみました。
著者は団塊世代の女性のライター(特に医療や福祉が専門というわけではなさそう)で、夫は心臓外科医として長年病院で働き、定年後に老健や特養で経営と利用者の健康管理に従事しているとのこと。

この本の良さは、この夫婦の組み合わせによるところが非常に大きいと思いました。
終末期の介護や医療について特に医療や福祉に専門的知見があるわけではない一般読者と同レベルの著者の目線と、長年医療に携わってきたものの老人施設での終末期の実態について知見の無かった医師の著者の夫の目線の組み合わせが、大きな説得力を生んでいるように思いました。
特に、著者の姑(ということは夫にとっての母親)を看取る話は、「医師が自分の母親の終末期にどう向き合ったか」と捉えると、貴重なレポートなのではないかと。

できれば老衰で安らかに逝きたいけど、そもそも老衰って実際にはどういうものなのか全然わかっていなかった私には、口から食事を取ったり水を飲んだりできなくなったあと、鼻や胃ろうや鼠径部から栄養を送り込んだり点滴で水分を送り込んだりすることをしなければ、こうなるのか!ということがわかって、とても有益でした。

勢い余って「「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」という本を読み始めました。こちらはの著者は医師(やはり病院勤務後に特養に移ったとのこと)です。まだ読んでる途中ですが「枯れるように死にたい」と特に矛盾や齟齬はなく、自分の中の終末期や老衰死のイメージがさらに補強されたような気がします。

ただ、そういう死に方をするためには、少なくとも現時点ではそれなりの備えが必要のようです。終末期の延命措置は不要である旨の意思を文書にしておくとか(日本尊厳死教会のリビングウィルとか)、延命措置なしの看取りに協力してくれる医師や福祉関係者や施設を探しておくとか。
いずれにしても、倒れたりぼけたりしてからでは遅いので、元気なうちにやっておかなくては。

 


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