ボサノバへのいくつかの入り口(その1)

「ボサノバとは何か」みたいな話は、たとえばWikipediaとかを読んでいただくとして(ただし書きっぷりは必ずしもニュートラルじゃないような印象も)、ここでは私がボサノバという音楽に触れてきた中で感じたさまざまな側面について書いてみようと思います。

1.前史
中学か高校の頃、フォークギターをやってみようと思って買った教本の巻末に、「ボサノバは高級なコードを使うので弾き方の説明は割愛する云々」と書いてあるのを読んだのが、ボサノバという言葉に触れた最初の機会でした。「なるほど、ボサノバは高級なコードを使うのか」と思う一方で「高級なコードってなんやねん」と疑問に思ったのをおぼろげながら覚えています。

次にボサノバ的なものに触れたのは、80年代初頭の日本のアングラなロックバンド、突然ダンボールの「成り立つかな?」というアルバムの2曲目に入っているイパネマの娘のカバーです。ただ、これはボサノバとはかけ離れたアレンジだったため、「イパネマってなんやねん」という疑問を覚えただけで、音楽スタイルとしてのボサノバはまだ全く意識することはありませんでした。何しろ聴いたことが全くなかったわけですから。

2.ボサノバへの入り口その1〜ネオアコ前期
82年頃、チェリーレッドやクレプスキュールといったレーベルから、トレーシー・ソーンとかベン・ワットとか二人が結成したEBTGとかアンテナとかいった、その後ネオアコと呼ばれることになる音楽がリリースされるようになりました。主にアコースティックギターまたはクリーントーンのエレキギター(デジタルディレイとかを効かせたものも多かった)をフィーチャーし、ジャジーなコードワークを駆使しつつもシンプルな弾き語り音楽という特徴のため、リズムパターンはボサノバとはずいぶん異なるものが多かったにもかかわらず、ボサノバ的であると評されることが多かったように記憶しています。
一方で、これらの音楽はパンク〜ニューウェイブの文脈のものとして認識されており、実際にひりひり・ぴりぴり・ざわざわしたニュアンスを多分に含むものであったと思います。
当時大学生だった私は当時これらの音楽(その先駆的存在であるドゥルッティ・コラムやヤング・マーブル・ジャイアンツも含めて)にすっかりはまってしまいました。それはいいんですが、同時に「ボサノバとはこういう音楽なんだ!」と思い込んだことで、その後の足取りが少々面倒なものになったかなぁという気もしています。でも、今でも自分にとって(特に曲を作るときには)ボサノバとはこういうひりひりした文脈での音楽であり続けているんですよね。三つ子(じゃないけど)の魂百までというか。(続く)


2 thoughts on “ボサノバへのいくつかの入り口(その1)

  1. か猫

    新装開店のブログ、ますますheliワールドが炸裂している!
    博識で雑食っぷりが爽快です(←褒めてるんだよ)

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  2. heli 投稿作成者

    >か猫さん
    どうもありがとう。これからは音楽の話をいっぱいするぞ!と決意だけはしたものの、やはり性格的に音楽だけということにはならなさそうです(笑)。これからもお楽しみに!

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