クワクボリョウタ「10番目の感傷(点・線・面)」

去年の10月に大阪の国際国立美術館でやっていた「世界制作の方法」という展覧会で見て深く感銘を受け、すっかりブログで紹介した気になっていたのに、改めて過去のエントリーを見返してみたら、その頃はブログ書きをすっかりさぼっていたことが判明したので、半年以上も経過してしまったけど書いてみようと思います。

それは、クワクボリョウタの「10番目の感傷(点・線・面)」という作品です。

真っ暗な部屋に鉄道模型のレールが敷いてあって、その周りにいろいろなもの〜この作品のために作ったとおぼしきものもありますが、多くは時計とか洗濯ばさみとかざるとかいったありふれた日用品です〜が置いてあります。で、レールの上を強い点光源を載せた列車が走っていくと、そのいろいろなものが影絵となって部屋の壁に映し出されるという趣向です。

と説明しても、実際にどういう感じなのかは見てみないとわからないと思うので、上記のリンク先に置いてあるムービーをご覧いただければと思います(できれな夜に明かりを消した部屋で見た方が良いと思います)。日常的でありふれたものを使って、とても非日常的で幻想的で世界を作り出しているというギャップが非常に面白いです。

個人的には、昔よく乗った夜汽車のことを思い出しました。子供の頃は札幌に住んでいて、修学旅行で京都に行くときも東京の親戚や友人を訪れるときもみな夜汽車でした。高校の頃に釧路の方の海水浴場に行ったときや、大学の頃に函館の方に旅行に行ったときには、夜行の普通列車の乗りました(今はほとんどないですよね)。東京で勤めるようになってからも、しばらくは札幌に帰省するのに鉄道を使っていました(そのうち飛行機を使うようになったけど)。

よく乗ったとはいっても非日常的な体験であることにかわりはなく、しかも時間帯が夜であることもあって(だいたい酒も呑んでるし)、ぼんやりととりとめのないハイな気分でずーっと外を眺め続けるんですが、車窓に展開される夜の風景の多くは、その風景の中にいる人にとっては日常そのものだったりするわけです。たとえばどこかの駅に停車しているときに、線路のそばの家の窓越しにテレビでプロ野球を見ながらビール飲んでるおっさんが見えたり、とか。それはずいぶんディテールの明確な例ですが、道路だとか橋だとか街路灯だとか、そこにいる車や人影とか、ほとんどは日常の営みそのものなんですよね。

そんな、日常と非日常が混濁した魅力を、この作品を見て思い出したのでした。


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