月別アーカイブ: 2012年2月

ボサノバの本とか(その1)←続くのか?

これまでだらだら述べてきたようなボサノバとのつきあいの中で、読んだボサノバ関係の本を少し紹介します。例によって網羅性は全然ありません。

ヴィヴァ! ボサノーヴァ(中村とうよう(監修)/田中勝則(協力)、ミュージックマガジン)
 たぶん一番最初に買ったボサノバの本。前半には解説やインタビューや対談、後半はCD100枚のディスクガイド。コンパクトな判型・ページ数は手頃で良いし、紹介しているCDの枚数もしぼられていてとっつきやすいし、勉強になる話もいっぱい盛り込まれているけど、主張は強いし気に入らないものには歯に衣着せぬ辛口な批判が行われているので、読み手を選ぶ本かも。

・ボサノヴァの歴史(ルイ・カストロ、国安真奈訳、音楽之友社)
 タイトルの通りの本。ゴシップネタも含めものすごいボリュームなので、全くの初心者には向かないかもしれないけど、ちょっと興味を持ったくらいのところで読むといきなりディープな世界に引きずり込まれてはまってしまうかもしれません(というか私がそうだった)。続編のような本として同じ著者・訳者による「ボサノヴァの歴史外伝 パジャマを着た神様」というのもあります。包括性・網羅性からしてボサノバの世界にいつも鎮座しているべき本のような気がしていましたが、最近絶版になってしまったようで残念。復刊ドットコムにでもかけようかな。

・ムジカ・ロコムンド―ブラジリアン・ミュージックディスク・ガイド(アスペクト)
 ボサノバだけでなくブラジル音楽全般のディスクガイド。大勢の人が大量のディスクについてコンパクトなレビューを書いているという、ほかのジャンルでもよくあるタイプのディスクガイド。私はだらだら長風呂しながらなんとなく開いたページをぼんやり眺めるようなつきあい方をしてます。

・リアル・ブラジル音楽(Willie Whopper、ヤマハミュージックメディア)
 いまブラジルで実際に興隆している音楽やその背景となる社会や文化について包括的に説明した本。例えばセルタネージョとか現地ではすごく人気があるけどあまり日本では取り上げられていないような(私が知らないだけかもしれないけど)話も豊富です。といっても堅苦しいものでは全然なくて、写真も多いし、現地のライブスポットの紹介とか、もちろんディスク紹介も含めて、今のブラジル音楽を楽しむための実用的な情報が盛りだくさん。


ボサノバへのいくつかの入り口(まとめ)

7.ボサノバへの入り口その7〜その他
ボサノバへの入り口のバリエーションについてあれこれ書いてきましたが、日本におけるボサノバの入り口として一番大きな存在は、たぶん小野リサではないかと思います。これまで「ボサノバのことは良く知らないけど、小野リサは知っている」という人に何人も遭遇しましたが、それらの人々に特に共通点というか類型があるようには見受けられなかったので、おそらく広く一般に知られた存在ということなんだろうと想像しています。一方、結構マニアックな音楽好きの知り合いにも小野リサを愛聴しているという人は何人かいるので、単にポピュラリティのある存在ということでもなさそうではあります。かくいう私自身はあまり積極的に聴いたことがないのでよくわからないんですが。聴かなかったことに特に理由はなく、単に「ご縁がなかった」ということではあります。

8.ボサノバへの入り口その8〜まとめ
というわけで、最後にまとめとして、これまであげてきたボサノバの入り口のそれぞれについて、私自身にとってのボサノバ占める関心度・重要度のシェアと、私のお勧め盤(必ずしも典型的・代表的な盤というわけではない)を一枚ずつ挙げてみます。
(1)ネオアコ前期(40%)
【お勧め盤】North Marine Drive/Ben Watt(1982)
 この分野はこれにとどめを刺す!という感じ。
(2)カフェミュージック(15%)
【お勧め盤】Hoping for love/Isabelle Antena (1987)
 いかにもフレンチな感じにお洒落なんだけど、一方でちょっと変わった風味もあり、あっさり聞き流すには引っかかりのある音。
(3)本家ブラジル(15%)
【お勧め盤】Domingo/Caetano Veloso, Gal Costa(1967)
 ボサノバ全盛期の作品でも懐メロリバイバル作品でもないので(ボサノバ全盛期に幕を引いた作品なのかな?)、やはり典型的・代表的作品とは言えないけど、すばらしい内容なのでお勧め。
(4)ジャズ(5%)
【お勧め盤】Chet Baker sings(1955)
 ゲッツ・ジルベルトの文脈で好んで聴いている作品は(あまり)ないので、同じジャズというだけで全然文脈の異なる(というかボサノバより時代が前の)この盤を持ってくるのは反則ですか。でもブラジルの元祖ボサノバな人たちは好んで聴いていたとのこと。
(5)ギタリスト目線(5%)
【お勧め盤】なし
 普段からインストものを聞く習慣がないので、、、
(6)ジョアン・ジルベルト(20%)
【お勧め盤】Chega de saudade(1958)
 ジョアン・ジルベルトの作品、これまで聴いた範囲では(聴いてないものも少なからずあります)聴くに値しない作品というのはなかったような。というわけで、一枚目から順に聴いていくのがいいような気がします。



冬の大三角形〜yojikとwandaと秋山羊子〜 @リエゾンカフェ

長らくさぼっていたライブレポを再開します。って、根が怠け者なので、どこまで律儀にレポートできるかわからないけど。

てなわけで2/12に渋谷のリエゾンカフェで開催された「冬の大三角形〜yojikとwandaと秋山羊子〜」です。
yojikとwandaのライブは数多くあれど、その中でもリエゾンカフェでのライブはある種特別な魅力があるんですよね。余談ですが私も「こんなふうにライブやってみたい!」と憧れて、ついには昨年末に演らせていただいてしまったわけですが。

で、リエゾンカフェでの秋山羊子さんとのジョイントは、昨年の「夏の大三角形」に続いて二回目ということになります。ただ、今回はベースの服部さんが加わっているので正確には四角形ですが。またまた余談ですが、秋だったら秋の大四辺形があるし、調べたら春も春のダイヤモンドというのがあるらしいので、4人を星になぞらえるなら春と秋の方がいいかも。

また、今回はくじらい料理番長の誕生日でもあり、さらにyojikさんも2月生まれということで、ライブ前からパーティーっぽい展開が期待されたわけです。いえい。

先発はyojikとwanda。かぶりつきのソファ席ですっかりリラックスしている上に、音の方もベースが入っているためとてもゆったりとしたいい感じ。が、途中でwandaくんが小道具として使うはずの目覚まし時計が見つからないというトラブル発生!しばらく探すも発見できず、結局お店から代替機を借りて急場をしのぐことになりました。曲の方もハプニングにふさわしい激しい(微妙に開き直り気味?)ストロークの曲。ハードな状況を勢いで乗り越える現場力を今回も見せつけてくれました(違)。

後発は秋山さん。こちらは微動だにしないというか、ゆるぎない世界を作り上げて魅了していくという感じ。台風の目のような静けさというか。

最後は全員で。誕生日を祝う曲、バースデーケーキ・・・。こういう暖かさがリエゾンカフェのイベントにはいつもあって、いいなぁと思うんですよね。

そして料理。ライブのために用意される特別料理にバースデーケーキにお客さん提供のおみやげなどなどなど、目一杯堪能。

いやー楽しかった!みなさんお疲れさまでした。


ボサノバへのいくつかの入り口(その6)

6.ボサノバへの入り口その6〜ジョアン・ジルベルト
90年代に買った「ヴィヴァ! ボサノーヴァ」という本に、「ボサノヴァの最重要盤」として「The Legendary Joao Gilberto 」というアルバムが紹介されているのが目にとまりました。ジョアン・ジルベルトが最初のボサノヴァ曲と言われるchega de saudadeを出して以来、オデオンレーベルから出した3枚のLPをまるごと1枚のCDに収めたお買い得盤ということで、ボサノヴァの原型ってどんなんだったんだろう?という好奇心から、すぐに購入。ただ一方で、ゲッツ・ジルベルトでの唄にあまり良い印象を持っていなかったこともあって、半信半疑という感じでもありましたが。
一聴して感じたのは、「ん?なんか唄が生き生きしてるな?」ということ。いや、唄だけでなくギターやバッキングもきびきびと小気味好い感じ。
こりゃいいやと思って、その後しばらく何度も繰り返し聞きました。が、さすがにLP3枚分で三十何曲も入っているため、ずいぶん長い間曲名と曲が一致しませんでした。いや実は今でも少なからぬ曲の名前がわかってません。やはりあまりいっぺんにたくさんの曲を聴くのはよくないなぁと思ってましたが、最近ようやくオリジナルアルバムがCDで単売されるようになりました。あと「The Legendary Joao Gilberto 」では曲順もぐちゃぐちゃだったので、ちゃんと時代順に聴けるようになったのも良いことだと思います。

その後、通っていたフォークギター教室の入っていた道玄坂のヤマハで偶然「ジョアン・ジルベルト初来日!」というポスターを見かけ、こりゃすごいと思ってギター教室の仲間と東京国際フォーラムに見に行きました。いや、印象的といえばこれほど印象的なライブもなかったです。開演時間が過ぎてしばらくした頃、「アーティストはただいま会場に向かっております」というアナウンスが流れたのですが、そのときの会場の「やっぱり〜」みたいな失笑まじりの雰囲気は何とも言えないものがありました。あと、ジョアン・ジルベルトがステージの途中でかなり長い間身じろぎもせずじっと固まってしまい、いったいこれは何なんだろうという感じで観客が固唾をのんで見守ったり。
そして唄と演奏。以前読んだ催眠術の本に、催眠術にかかっているときの感覚について、体は眠っているけれども頭というか額の一点だけが覚醒しているという感覚だと書いてあったように記憶していますが、ジョアン・ジルベルトの演奏を聴いているときの感覚はそれに近いものがあったような気がします。余談ですが、北海道を車で旅行していたとき、夜に運転しながらジョアン・ジルベルトの「声とギター」を聴いていたら、そのような催眠術的感覚に陥りました。頭は冴えているので「これはまずいなー」と冷静に考えているのだけど、体はなんだか眠っている、みたいな。くわばらくわばら。
もう一つ記憶しているのは、ジョアン・ジルベルトの演奏に合わせて頭を振りながら聴いていたら、後ろの席の人から「頭を振るのをやめてください」と注意されたこと。その後ジョアン・ジルベルトのファンに対する「求道的」イメージの一部を形成するきっかけとなったできごとではあります。おそらく、ついに日本にやってきたボサノヴァの神様ジョアン・ジルベルトの演奏を一挙一動たりとも見逃すまいと集中している気持ちが乱されるということだったのではないかと想像していますが、いずれにせよポピュラー音楽のコンサートで頭を振っただけで注意されたのはあのときだけです。


ボサノバへのいくつかの入り口(その5)

5.ボサノバへの入り口その5〜ギタリスト目線
子供の頃にピアノを習って以来、楽器演奏にはずっと興味があったにもかかわらず縁遠い生活を送ってきましたが、90年代に入ったころから楽器をやってみたい気持ちが盛り上がり、好きな音楽ジャンル〜ボサノバだけじゃなくてロックとかフォークとかジャズとかも含めてですが〜の教本をちょぼちょぼと買っていろいろ試してみました。

で、ボサノバについてもいくつか教本を買ってみたのですが、そこで代表的ミュージシャンとして共通して紹介されていたのが、
・ジョアン・ジルベルト
・アントニオ・カルロス・ジョビン
・ルイス・ボンファ
・バーデン・パウエル
だったように記憶しています。

当時はあまりよくわからなかったけど、これはやはり「ギタリスト」(と「作曲家」)の紹介だと思うんですよね。ギター教本なのだからギタリストを紹介するのが当然だと言われたらまぁそうかもしれないけど、弾き語りをやりたかった私からすると、本全体の作りも含めてどうも目線がギタリストというか器楽奏者のそれという感じがして、なんとなくなじめなかったというか自分のやりたいこととは違うなという違和感がありました。

少し乱暴な言い方をすると、「歌わずにギターを弾くだけで満足できるか」という問いに対する答えで「音楽人種」というか音楽に対する指向性を類型化できるんじゃないかという気がします。私は明らかに「歌わずにギターを弾くだけでは満足できない」タイプの人種なので、「(歌うことなく)ギターを弾くことだけに興味がある人」向けに作られた教本とかレッスンとかにうまく取り組めないみたいなんですよね。

思い起こせば、私はいろんな音楽教室に通ってきたけど、一番長続きしたのはフォークギター教室でした。で、長続きした理由を考えると、結局その教室の先生が「弾き語りの人」だったということに尽きるような気がします。

弾き語りだって楽器は弾くわけだから、たとえ楽器演奏者目線で作られた教本やレッスンであっても楽器演奏の面だけを参考にすればよいではないかという考え方もあろうかと思います。確かにそうなんですが、それは弾き語りが人生(というと大げさだけど)の一部としてある程度確固たる地位を占めるようになってからの話であって、そこに到達するまでの、モチベーションやら習慣やらが形成されるまでの段階では、教える側と教わる側の指向性のマッチングのようなことがとても重要な気がしています。ギター奏者としてうまくなりたい人と、ギター弾き語りがうまくなりたい人では、意欲や興味を引き出すツボが違うと思うんですよね。で、前者向けのツボを突くよう作られた教本やレッスンは、往々にして後者にはあわない、といったことが起こるのだろうと思います。

というわけで、当時は本格的にボサノバ演奏に乗り出すことなく、DTMやらジャズピアノやらに細々と取り組んでいたのでした。