月別アーカイブ: 2012年6月

コンビニランチ

職場が埋め立て地から都心の方に越してきて以来、平日の昼食は外食を利用してきました。外に食いに行ける店がものすごく限られていた埋め立て地からすると都心はまさに天国、よりどりみどり・・・。
が。調子に乗っていたら、なんだかだいぶ肥えてきたような。やはり外食ってどうしても高カロリーになりがちなんですよね。
そんなわけで、最近昼飯はコンビニで買うようにしています。一昔(いや二昔、三昔か)のコンビニ弁当とか弁当屋の弁当というと、ごはんが多すぎだったりおかずにマカロニが入っていたりで(炭水化物をおかずに炭水化物を食うというラーメンライス的な日本の正統派食文化のあらわれかもしれないけど)、ヘルシーなアイテムはあることはあるけど種類が少なくて、毎日そればかり食ってると飽きる・・・みたいな感じだったように記憶してますが、最近はボリューム控えめでヘルシーなアイテムが豊富ですね〜。今週の昼食を見ると、
月・・・ミックスサンドと牛乳
火・・・五穀米に根菜の煮物をのせて黒酢をかけた弁当
水・・・外食(カレー)
木・・・ボリュームたっぷりのサラダ(グリーンサラダの上に豆が乗っている)とおにぎり
ってな感じ。こんなふうに何種類かのメニューを回していけば、コンビニだけで昼飯は事足りるような気がしてきています。いい時代になったもんだ。


向き不向き

昔から「音楽をやりたい」と漠然と思ってはいたものの、何をやったら楽しいと思えるのかがよくわからず、面白そうだと思ってあれこれ試してはみるものの、そのうち憑き物が落ちて放り出す、ということを繰り返してきました。もっとも今思えば、その「試す」というのもずいぶん不徹底だったとは思うんですが(今は徹底できているという意味でもない)。でも憑き物が落ちてしまうと「それが何か?」という気分になって続けられなくなってしまうんですよね。

その点、ボサノヴァのギター弾き語りは4年くらい続けてきた今、とりあえず憑き物は落ちていないようです。
若干一段落の感はあるけど、続けるのがつまらなかったり辛かったりということはありません。

こういうのが「向いている」ということなのかな、と何となく思ってみたりします。そんなふうに続けられたものは他になかったので。
そして、せっかくそんなに自分に向いているものが見つかったのなら、もっと大切にすべきというか、よそ見をせずに集中すべきなのかもしれないな、などと思ったりもします。

でも、ついついあれこれ目移りがしてしまう。で、相変わらずあれこれ手を出してはみるものの、長年の実績(?)が証明しているとおり、やはり成果は出ないし、しばらくしたらつまらなくなってしまう。チャレンジし続けるといえば聞こえはいいけど、無駄なことを続けてぜんぜんハッピーになれないという思いは辛いし、どんどん精神的な疲れがたまってきている気がする。

音楽の断捨離!とかいって、ボサノヴァのギター弾き語り以外のものをばっさり切り捨てたらすっきりするのかな。すっきりはするんだろうな・・・。


クワクボリョウタ「10番目の感傷(点・線・面)」

去年の10月に大阪の国際国立美術館でやっていた「世界制作の方法」という展覧会で見て深く感銘を受け、すっかりブログで紹介した気になっていたのに、改めて過去のエントリーを見返してみたら、その頃はブログ書きをすっかりさぼっていたことが判明したので、半年以上も経過してしまったけど書いてみようと思います。

それは、クワクボリョウタの「10番目の感傷(点・線・面)」という作品です。

真っ暗な部屋に鉄道模型のレールが敷いてあって、その周りにいろいろなもの〜この作品のために作ったとおぼしきものもありますが、多くは時計とか洗濯ばさみとかざるとかいったありふれた日用品です〜が置いてあります。で、レールの上を強い点光源を載せた列車が走っていくと、そのいろいろなものが影絵となって部屋の壁に映し出されるという趣向です。

と説明しても、実際にどういう感じなのかは見てみないとわからないと思うので、上記のリンク先に置いてあるムービーをご覧いただければと思います(できれな夜に明かりを消した部屋で見た方が良いと思います)。日常的でありふれたものを使って、とても非日常的で幻想的で世界を作り出しているというギャップが非常に面白いです。

個人的には、昔よく乗った夜汽車のことを思い出しました。子供の頃は札幌に住んでいて、修学旅行で京都に行くときも東京の親戚や友人を訪れるときもみな夜汽車でした。高校の頃に釧路の方の海水浴場に行ったときや、大学の頃に函館の方に旅行に行ったときには、夜行の普通列車の乗りました(今はほとんどないですよね)。東京で勤めるようになってからも、しばらくは札幌に帰省するのに鉄道を使っていました(そのうち飛行機を使うようになったけど)。

よく乗ったとはいっても非日常的な体験であることにかわりはなく、しかも時間帯が夜であることもあって(だいたい酒も呑んでるし)、ぼんやりととりとめのないハイな気分でずーっと外を眺め続けるんですが、車窓に展開される夜の風景の多くは、その風景の中にいる人にとっては日常そのものだったりするわけです。たとえばどこかの駅に停車しているときに、線路のそばの家の窓越しにテレビでプロ野球を見ながらビール飲んでるおっさんが見えたり、とか。それはずいぶんディテールの明確な例ですが、道路だとか橋だとか街路灯だとか、そこにいる車や人影とか、ほとんどは日常の営みそのものなんですよね。

そんな、日常と非日常が混濁した魅力を、この作品を見て思い出したのでした。


ポレンタ

先週末、リゾットでも作ってみようと思って、The Italian slow cookerという本の目次を眺めていたら、”Risotto, Polenta, and Grains”というカテゴリーが目にとまりました。
ポレンタって何?と思っていくつかのレシピを見てみましたが、どうやらコーンミールというとうもろこしの粉を水や牛乳などで練り上げて作る食い物のようです。いちばんベーシックなやつは、マッシュポテトと同じように肉料理とかの付け合わせとかに使ったりするようですが、他にも野菜を入れたりチーズを入れたり、いろいろバリエーションがあるらしい。

ということで、今回はゴルゴンゾーラとマスカルポーネのポレンタというやつに挑戦することにしました。
まずは材料の調達。要となるのはもちろんコーンミール。あまり細かい粉は適さないようで、ある程度粗挽きのものが良いようです。
ゴルゴンゾーラとマスカルポーネはちょっとお高いので、今回はお試しということで、割安なデンマーク産のブルーチーズにアメリカ産のクリームチーズで代用しました。

作り方はきわめてかんたん。スロークッカーにコーンミールと水と牛乳と塩を入れて適当にかきまぜて3時間加熱(2時間くらいたったところで一度かきまぜる)。最後にチーズを入れて出来上がりです(ブルーチーズは半分を溶かし込み、残り半分はトッピングに)。

今回、写真を取り損ねたので、こちらをご覧あれ。鶏ガラスープとかセージとか洒落た材料を使ってるようですが、見た目は一緒です。黄色くてぽってりした感じはなんとなくカスタードっぽいけど、口に含んだらとうもろこしそのものの味がします。

イタリア料理といえどもイタリア全土で作られているわけではないらしく、小麦の出来ない北部の山間部の料理のようです(Wikipedia)。


yojikとwandaライブ@Cafe Muriwui

6/9、祖師ヶ谷大蔵のCafe Muriwuiで行われたyojikとwandaライブに行ってきました。
当日はあいにくの雨でしたが、それにもかかわらず客席は大入り。
(Muriwuiではライブ中でも雨の音がよく聞こえるのが実は気に入ってます)
前半は対バンの畔(あぜ)。プロジェクタで切り絵による影絵のアニメーションを映写しながら、ループさせたバッキングにおもちゃ系の楽器で音をのせていく。
なんとなく、無声映画のBGMを即興でつけるのはこういう感じなのかなと思いました。特に、一曲だけyojikとwandaバンドが参加しているときの様子が、映像を見ながらそれに合った音を探しているような感じだったような。

後半はyojikとwanda+服部将典(ウッドベース)+吉田悠樹(二胡)。一曲目の「夢見るダンス」から、なんかいつもと違う感じ。最初のがーーーっと盛り上がるところがなんかマイルドというかこなれているような気が。その後の演奏も歌も、とてもゆったりと安定していて、リラックスして聞けました。これは、バンドでのレコーディングに向けてリハをたくさんこなしてきているせいなのかな、とふと思ったり。一方で、以前のyojikとwandaのライブで感じることの多かった、その場の勢いでやっつけちゃうような活きの良さのようなものは陰を潜めていたような。まぁこの二つの方向はなかなか両立しがたいと思うので、その時々でいろんな面を見せてくれれば良いかな、と(これまでもずっとそうだったし)。