「ボサノヴァの歴史」を読んで(その3)〜転勤

私が生まれ育った札幌は、ただでさえ支店経済の町である上に、近所には社宅や官舎がたくさんあったので、小中高校時代は、親の転勤に伴い転入してきたり転出していったりする生徒がクラスに何人もいました。

なので、「ボサノヴァの歴史」のプロローグに、ジョアン・ジルベルトがティーンエイジャーだったころ、おそらく同じくらいの年のイエダという「町一番の美人」がいて、「公務員だった彼女の父親が、故郷のリオ・グランデ・スルから転勤させられてきた」などと書いてあるのを見ると、なんとなく子供の頃のことを思い出して親近感が湧くというかリアリティを感じたりしたんですよね。「ブラジルにも転勤があるのか」なんて。そりゃ転勤なんてあって当たり前かもしれないけど、でもブラジルの転勤のことなんて考えたこともなかったわけで。

ところで、リオ・グランデ・スルからジュアゼイロってどのくらい距離があるんだろうと思ってgoogle mapで計ってみたら、だいたい2500キロくらいでした。札幌からだとだいたい宮古島くらいまでの距離です。さすがブラジルはでかいといえばでかいのだけど、一応日本国内でイメージできる範囲の距離感であるとも言えます。那覇支店から札幌支店に転勤というような感覚でしょうか。

ついでにもう一丁。ジョアン・ジルベルトが風呂場にこもってギターの練習に没頭し、ボサノバ奏法を編み出したという逸話がありますが、その風呂場があったのは、ジョアン・ジルベルトのお姉さんが夫婦で住んでいたミナス州ヂアマンチーナの家だったとのこと。なんでそんなところに姉夫婦がいたかというと、夫が「道路建設技師で、フリーウェイ建設のため、その町に派遣されていた」ということだそうで。ブラジルでは1950年代半ばにフリーウェイが建設されていたのか。日本で最初に高速道路ができたのは1963年ですから、ずいぶん早い印象です(Wikipediaを見ると、日本が相当遅かったということらしいですが)。当時ブラジルは高度成長期を迎えていてインフラ整備が積極的に行われていたということを後で知りましたが、国の財政力という面でも車の普及という面でも、私が想像する以上に進んでいたことがわかりました。
あと、姉夫婦がヂアマンチーナに派遣される前はどこにいたのか知らないけど、仮にリオとかサンパウロとかだとしたら、お姉さんはジュアゼイロ→リオ→ヂアマンチーナと移動しているということですよね。感覚的には札幌で生まれて東京に出て結婚して、新潟に転勤、みたいなイメージなんでしょうか。やっぱり日本の転勤族とあまり違わないような気がして、なんか親近感を覚えたのでした。


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