「ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ」

というわけで、一日遅れで手持ちの数少ないサンバのCDの話でもしようと思います。手始めは「ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ」というコンピレーションから。ジョアン・ジルベルトが演奏してる曲の多くが古いサンバのカバーだというのは良く知られてますが、じゃあ大元のバージョンはどういうものだったのかが、この一枚で相当部分網羅されていて、ジョアン・ジルベルトのバージョンと聴き比べるとサンバとボサノバの差分とは何かがとてもよくわかります。
…というつもりで買ったんですが、個人的には端からもうぜんぜん別物という印象なので、それぞれの曲が始まったら「ああ、あの曲の原曲はこんな感じなんだ!」と思って、その後はすぐにジョアン・ジルベルトのことは忘れて古いサンバの演奏を楽しむという感じなんですよね。ボサノヴァに比べると、リズムは打楽器の洪水…とまではいかないけど、やはりにぎやかだし、金管とかも入ったりしてラウドなアレンジ。唄もささやくような感じというよりは朗々と歌う感じで、分厚いコーラスとかも入ってきます。

昨日と同様、この文章も音源聴きながら書いていて、今はオルランド・シルヴァの「十字架のもとで」がかかってますが、ジョアン・ジルベルトのしみじみとした演奏とは全然違い、やはり豪奢なバッキングで朗々と歌ってます。超初期のジョアン・ジルベルトの唄はオルランド・シルヴァそっくりだったそうですが、これを聴く限り全然そういう感じがしません。
ジョアン・ジルベルトは自分がやっているのはサンバだと主張しているという話を時折目にします。ジョアン・ジルベルトとしては、自分が作り出した独自のスタイルでサンバの曲をやっているだけということなのでしょう。ただ、そのスタイルは原曲とはずいぶんかけ離れているので、多くの人にはサンバとは別ジャンルに感じられるということでありましょう。私自身についても、私がボサノバに惹かれる要素は原曲のサンバには(あまり)含まれていないように感じます。別物として魅力を感じるといったところでしょうか。

思いつきで適当なことを言うと、「物まねではないが同類」と見なされるような人が次々と出てくるような状況ができたら、新しい「ジャンル」を作ったと言えるのかな、という気がします。

とはいいながら、全然逆のことを言うようですが、昔々最初に「ゲッツ・ジルベルト」を聴いたとき、2曲めのドラリセがイパネマやコルコヴァードなどの洗練されたジョビン作品とはやや味わいが違って、なんだかほっこりした曲だなと思ったのを記憶しています。なかなか微妙なもんですね。

というか、今かかってる「愛するのは良いこと/ガロートス・ダ・ルア」の歌詞がどうしても「ママレモン」に聞こえて困ります…。


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