あてになったりならなかったりする芋づる

先日アップしたBurialに関するエントリーの中でこんなことを書きました。
「実はBrial聴く前にJames Brakeが各方面で絶賛されていたのでどんなもんじゃろと思って聴いていて、あまりぴんとこなかったんですが、そのJames Brakeが雑誌のインタビューでBrialを絶賛しているのを読んで、期待できるようなできないような微妙な気持ちでアマゾンをポチっとしたのでした。一聴して、おお、これは良い!」
世間で話題になっている文脈で芋づるをたどってみたけど、なんだかぴんとこないということが時々ありませんか? たとえば、Burialをきっかけにダブステップに興味が湧いたので、ベース/ビート・ミュージック・ブックというディスクガイド本を買ったのですが、そこでPantha du Prince “Black Noise”という作品が紹介されていました。この作品、Animal Collective “Merriweather Post Pavilion”のライナーノーツで、メンバーが最近影響を受けた作品として挙げているのを見て、ほぉと思って買って聞いてみたら涼しげなパーカッションが魅力的なとてもよい作品だったのですが(これはあてになった芋づる)、くだんのディスクガイド本にはこの作品について、
「Four Tetのフォークトロニカをミニマルハウスに置き換えたかのような哀愁と叙情性を帯びた儚げな音の粒子は、同時期にそのポストダブステップ版として登場したGold Pandaとともに音響マニアからも高い評価を得た」
と書いてあったので、iTunes StoreでFour TetとGold Pandaを試聴してみたのだけど、なんだかあまりぴんときませんでした。詳しい人が聞いたら共通点というか文脈のようなものがすぐわかるのかもしれませんし、私ももう少し聞き込んだらまた印象は変わるのかもしれませんが。
そういえば昔Prefab Sproutを聞いてた頃、Andy PawlakとかDeacon Blueとかが同じ系統の音楽として紹介されていたのを見て聞いてみたけど「ほぇ?」という感じだったこともあったな。いや、別に悪い作品だったというわけじゃないのだけど。Prefab Sproutとの共通点とか言われると、うーむという感じだったような。あまりよく覚えてないけど。

もちろんあてになる芋づるも多いし、そもそも芋づるをたどることをやめてしまったら新しい音楽への出会いは激減してしまうと思いますが、ときどき釈然としない思いをすることもあるのであります。


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