読書書き殴りメモ(昭和史の決定的瞬間、ノモンハン1939)

最近、hamachanブログで紹介されていた坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」という本に興味を持って読んでみました。
斎藤隆夫という、戦前の粛軍演説で知られる(らしい)人のことを、この本で初めて知ったけれども、それにしても反戦平和を唱える人が「社会生活の安定」の問題に冷淡であることが多いのはなぜなんだろう。

奇妙に聞こえるかも知れないが、昭和12年7月の日中戦争直前の日本では、軍ファシズムも自由主義も社会民主主義も、すべて数年前とはくらべようもなく、力を増していた。政治が活性化していたのである。問題は、これらの三勢力が単純な三角関係を作ってくれないことにあった。なかでも「自由主義」と「社会民主主義」の関係が、相当にねじれたものであった。一般に「平和と民主主義」と言うときには、この二つの勢力は一括して「民主主義」の方に入るわけであるが、昭和11・12年の日本では「自由主義」は古典的な資本主義にべったりで、社会改良的な政策には驚くほど冷淡であった。

「リベラル」という言葉の多義性を精査することで何かが見えてくるんじゃないかと思って書き殴ったままのものが下書きとして放置されています。そのうち蔵出しするつもり。

一方で、軍ファシズムはどうだったのか。もちろんこの本にもいろいろ書かれていますが、後書きに、

筆者の一つの心残りは、参謀本部が対ソ戦準備に専念していたことは明らかにできたが、「日中戦争」の方は、東条英機率いる関東軍の動向を、十分に明らかにできなかったことである。

とあります。確かにそんな印象ではありました。

そこで何か良い本ないかなと思ってあれこれ探して見つかったのがゴールドマン「ノモンハン1939 第二次世界大戦の知られざる始点」。なんで中国でなくソ連なのかと言われるかもしれないけど、これはグローバルな構図の中で個別のイベントがどのような意味を持っていたのかを明らかにしてくれるグレートな本です。

「一度に二つ以上の敵を相手にする」という望ましくない状況に、自国ははまらないように、敵国をはめるように

というのを基本的な戦略として考えると、ソ連は実にうまくこの状況を回避し、日本やドイツはこの状況にはまってしまって敗北してしまったという構図が見えてきます。
なぜ日本がこの状況を回避できなかったかといえば、世界全体を見渡して各地での自国の行動を的確にコーディネートしなくてはならないのに、軍については中央による現場のガバナンスが全然効いていなかったから、ということでしょう。
一方、ソ連は政治による軍の統制がしっかり効いていたわけですが(こういうのをシビリアンコントロールというんだろうか)、それを可能にしたのが陰惨な粛清だったというのがなんともはや。まあ運もあったんだろうけど。

あと、戦争が敗北に終わった後、現場で奮闘した者は自決して責任を取るよう強要され、作戦を立案実行したミドルマネジメントは別な場所に行ってまた問題を起こし、トップマネジメントは黙認放置するという構図もなかなかしびれるものがあります。

ということで、単なる書き殴りは尻切れトンボで終わる。

 


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