DVD・映画」カテゴリーアーカイブ

大貫妙子「カイエ」

1985年に就職で上京して間もない頃、豊島園近くのアパートに住んでいたこともあって、同じ沿線の江古田のとある床屋に通っていました。ちょうどおやじから息子へと代替わりしつつある中で息子の趣味を反映したのか、床屋にしては少しお洒落っぽくなったような店で、順番待ちするスペースに置いてあるテレビもソニーのプロフィールとかだったように記憶しています。
ある日順番を待ちながらぼーっとそのテレビ(モニターというべきかもしれん)を眺めていたら、真っ暗な画面に印象的な女声のハモりが。
なんだかとても惹きつけられて、これっていったい何だろう?と思っていたら、画面に浮かび上がった”OHNUKI TAEKO”の文字。

これが大貫妙子の音楽との出会いでした。

今思うと、中学生の時にビートルズを聞くようになってからずっと、「男性ボーカル」の「洋楽」以外はほとんど聞いていなかったんですよね。当時は黙ってても周りからいろいろ(いい意味での)雑音は入ってきたので、女性ボーカルということではケイト・ブッシュとかジョニ・ミッチェルとか矢野顕子とかはなんだかすごいなーと思ってはいたし、邦楽ということではYMO(YMOというよりもスネークマンショーというべきかもしれん)とかヒカシューとかゲルニカとか突然段ボールとかも面白いなーと思ってはいました。でも、毎日好きこのんで熱心に聞くということはあまりなかったような気がします。
そういう意味では、自分の好きな音楽として聞くようになった最初の「女性ボーカル」、最初の「邦楽」は大貫妙子だったかもしれません。

で、この「カイエ」という映像作品、当時はレーザーディスクで発売されていて、私も買いました。私自身はレーザーディスクのプレーヤーを持っていなかったのですが、80年代後半頃から部屋をシェアして住んでいた友人が持っていたので、それで見ていました。が、91年に転職で札幌にUターンした後はこの作品を見ることもできなくなってしまいました。時々思い出しては、また見てみたいなーと思ったりもしたんですけど。

その後DVDの時代になった後も、この作品が長らくカタログに載ることはなかったので、これはもう二度とお目にかかれないかなとぼんやり思ってましたが、たまたま先週末にアマゾンで検索したら2008年にDVDで発売されていたことを発見! 速攻でポチっとしてしまいました。
昨日届いたので、晩飯を食いながら部屋を暗くして鑑賞。ディスクをパソコンに入れてしばらくすると、真っ暗な画面に大貫妙子のの声が。いやー。

この作品、一部を除いてモノクロです。また、「環境ビデオ」(当時はBGVなどという言葉もあったような)として作られたということで、一つの映像をずーっと流し続けることがとても多い。で、その映像(フランス)がとても魅力的なんですよ。古くて傾いたアパートと煙突と空と月。ベンチのある砂浜。暗闇の川をすべっていく船の灯り・・・。個人的に好きなのは「夏に恋する女たち」で、夕暮れ時の街をずーっと映し続けているんですが、「朝が来る〜」のあと転調するところに合わせて街灯が灯るのがすっごーく印象的なんですよね。あと「幻惑」では、モノクロじゃないけど霧に包まれた森林が車窓を前から後ろに流れていくのをずーっと映していて、なんだか道東の朝の車窓風景ってこんな感じだったよなーと乗り鉄的な感想を抱いたり。

当時はMTV全盛期で、ビジュアル的にも音的にもけたたましいまでに刺激的なPVで世の中あふれかえってましたが、そういうものとは対極の作品として「カイエ」はひっそりと存在していたように思います。


“Pillows & Prayers” DVD

Everything but the girlの“On my mind”のビデオクリップがYouTubeにあるらしいことを知り、早速見に行きました。このビデオクリップ、チェリーレッドから出ている“Pillows & Prayers”という、いにしえのコンピレーションアルバムと同名のDVDに収録されているもののようです。

この曲、最初にトレーシー・ソーンの「遠い渚」日本盤のA面ラストに(確かボーナストラックとして)入っていたのを聞いたときは、なんだかベン・ワットの声が情けなさすぎのぼんやりとしたよくわかんない曲という印象しかなかったのだけど、このなんともやり場のない鬱々たる気分(と暇)を持てあましているような索漠とした気分の映像と組み合わさると、なんだか良いですね。
この頃ベン・ワットが使っていたギターはグレッチのクリッパーというモデルだと聞いていましたが、実物を見るのは初めて。グレッチというとカントリー的にデコレートされたゴージャスなギターというイメージがなんとなくあるけど、このギターは装飾らしい装飾もなくピックアップも1個の質素なモデルのようです。ここに説明があるけど「ホワイト・ファルコンがキャデラックだとしたら、クリッパーはカローラ」とか書いてあって笑ってしまいました。


「ハーブ&ドロシー」

ハーブ&ドロシー」という、ニューヨークの市井の現代美術コレクター夫婦に関するドキュメンタリー映画を見ました。ハーブ&ドロシーというのは夫婦の名前です。夫(ハーブ)は郵便局員、妻(ドロシー)は公務員で、ありふれたアパートに住んでいる特段裕福なわけでもないのに、どうしてトラック5台分もの現代美術のコレクションをなしえたのかというのが中心的テーマの一つなわけですが。

現代美術についてときどき感じていたこと(現代美術に限った話じゃないけど)。
作品を創っているときには無数の選択肢があって、その一つ一つをジャッジし決断を下さなくてはならないわけだけど、「これでいいのだ」とどのくらいの強さで思っているもんなんだろうと思ってました。アーティストが自らの作品について語るのを見るとき、とても強い自信に裏打ちされた主張力のようなものを感じることが多いのだけど、その自信はどこからくるのかな、と(ビジネスとしての必要性は当然あるわけだろうけど、それを差し引くとどうなのか)。

この映画には、ハーブ&ドロシーとアーティストとのやりとりがたくさん出てくるのだけど、そこで垣間見られるアーティストの表情は、思いのほか柔軟なものでした。もちろんアーティストは自分の考えを主張はするのだけど、一方でハーブ&ドロシーも同じくらい自分の(少なからずアーティストとは異なる)考えを主張する。アーティスト側はどうかというと、反発するでもなく(苦笑くらいはするにしても)耳を傾ける。時にはスケッチブックに書いた一連の作品(スケッチ?試作?)をスケッチブックから外してばらばらにしてみたり。
興味を持ったアーティストの作品を全部見る、という姿勢に象徴される、ハーブ&ドロシーの作品やアーティストに対する愛情・好意がアーティストに伝わるから、アーティストも鎧を脱ぐということなのかもしれないけど、完成品として堅固な姿になる前の、別な形にもなりえた可能性を感じさせる、柔らかく肥沃な土壌のようなものを感じました。そこは、普段はアーティストが独りのたうち回る泥沼なのかもしれないけど、ハーブ&ドロシーが一緒にいるとそれはどろんこ遊びのようなものになるのかもしれないな、などと思ったり。


過去ログ公開作業完了&「人食いネズミの島」リターンズ

ブログの引っ越しに伴い、600近くのエントリーについて、カテゴリーをつけ直したり一部タグを書き直したり(jugemの仕様なのか一時期のエントリーはやたらとdivだらけだったりします)公開する作業を行っていましたが、昨晩やっと終わりました。突貫工事だったので、一部カテゴリーのつけ方が変だったりレイアウトが崩れていたりするところがあるかもしれません。ご一報いただければ直したいと思います。

で、こんな作業をしていると、昔書いてすっかり忘れていた記事についつい見入ってしまったりするんですよね。引っ越しとか大掃除しているときに、本棚やタンスの奥から出てきた本に時間を忘れて読みふけったりするのと同じです。

そんな記事の一つが「人食いネズミの島」詳細はエントリーを読んでいただければと思いますが、ジャンク映画宝庫に載っているおびただしいB級ゲテモノSF映画のレビューの数々は今読んでもやっぱりおかしい。でも、当時買ったDVDはまだ全部観てないんだよな・・・。いや、人食いネズミの島は観ましたよ。中身は本当にレビューに書いてあるとおりです(汗)。さっき人食いネズミの島でぐぐったら、B級映画のレビューの分野はなかなか栄えているようで。いやー。


Allegro Non Troppo(ネオ・ファンタジア)のDVDをゲット

映画のDVDをAmazon.co.ukに注文していたのがやっと届きました(Amazon.co.uk本体じゃなくてマーケットプレイスの方だけど)。30年くらい前に日本で「ネオ・ファンタジア」という邦題で公開された映画で、クラシックの曲にアニメを付けるという作りなのだけど(wikipedia)、アニメ以外の部分がいかにもいかにもなドタバタ部分に日本語字幕が欲しい~。イタリア語はぜんぜんわからないし、英語の字幕も一所懸命読んでいたら、肝心の映画本体に目が行かなくなってしまいます(泣)
とりあえず最初の2話(曲)を見ました。1話目は老いた男の妄想というか欲望をストレートに描写。2話目は群衆を思うがままにして破滅させようとする邪悪な男の話。続きは正月休みにでも見ようっと。
ちなみに、ネオ・ファンタジアの一部(もしかして全部?)はYouTubeに上がっている模様。とりあえず日本で公開されたときのポスターに採用されていたような気がする猫と廃屋の話とか。