小中高校の頃の地理の授業で(というか地図帳を読んで、というほうが正確かも)仕入れたブラジルに関する知識が五月雨式に思い出されてくるわけですが、その中にブラジルで人口の多い町はどこか、というのがあります。一番がサンパウロで1000万人くらい(以上)、二番がリオデジャネイロで600万くらいだったように記憶しています。Wikipediaを見たら、今もあまり変わってないみたいですね。一方、日本はもちろん東京が一番で840万、二番が大阪で300万くらいでした(今では大阪の人口はだいぶ減って、二番は横浜ですが)。私の印象は、サンパウロはともかく二番目のリオが600万とはずいぶん多いなということで、ブラジルではサンパウロとリオの関係ってどういう感じなのかな、東京と大阪みたいな感じなのかな、などと漠然と思ってました。いまgoogle mapでサンパウロとリオの直線距離を測ってみたら、だいたい360キロくらいですね。東京からの距離でいうと、だいたい京都くらいなので、やはり関東と関西のような距離感覚ということのようです。
「ボサノヴァの歴史」によれば、chega de saudadeがヒットしたころ、サンパウロのテレビ局「TVパウリスタ」で「オ・ボン・トン」という生放送の番組があり、司会はジョビンで、ヴィニシウスやボスコリも頻繁に出演していたとのことです。もちろん彼らはリオに住んでいたので、出演するたびにリオからサンパウロへと出張することになるわけですが、ジョビンは飛行機で、ヴィニシウスは汽車で、ボスコリはバスで、それぞれ移動していたのこと。東京から大阪までの出張と考えると、まぁ確かにどれもありだよないう感じですが、もちろん当時の交通機関なので、例えば飛行機なら「彼(ジョビン)は飛行機恐怖症を克服した。あの当時のコンステレーション機に毎週欠かさず乗り、しかも同じ人間でいられる者など、他にはいなかった」ということですし、汽車ももちろん新幹線のようなものがあったわけではないので、在来線でとろとろ行く感覚だったでしょう。割と最近まで走っていた寝台急行「銀河」に乗ったことがある人はそれをイメージすればいいかも(私は乗り損ねました)。あと、バスで大阪と東京を往復というと、どうも最近のyojik(東京在住)とwanda(大阪在住)がライブのたびにバスで行ったり来たりしていることをふと連想したりもして。